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タニス(古代エジプト)


ヨミ: タニス

タニスとは、古代エジプト都市である。

ただしΤάνιςタニス)は古代ギリシャ文献での呼称であり、現地の人間の呼称は必ずしもその通りではなかったと考えられている。


概要


エジプト(北エジプト)に位置していた。ナイルの支流に面しており、商業や交通、政治の要所として栄えた。エジプト第3中間期の第21(紀元前1千年前後)はタニス首都としていたため、「タニス」と呼称されることもある。そのため第21期に存在していたことは確定しているが、それより以前のいつ頃から存在した都市なのかは明確ではない。

この都市の遺跡で見つかった「タニスの大スフィンクス」(ルーヴル美術館所蔵)には、エジプト中王期の第12王の王アメンエムハト2世(紀元前1900年頃の人物)など、複数の王の王の名が彫られている。よって「それらの王の時代には既にタニスは存在していたのではないか?」という推論も出てくる。しかし古代エジプトの遺跡では、「その場所が建設されるよりも古い時代の王の遺物を他の場所から移設して再利用した」という例がままみられるため、ある王の遺物が見つかったからと言って単純に「その王の時代にはこの都市はもう存在していたのだ」とは言えない。

旧約聖書の複数個所『民数記』第13章22節、『イザヤ書』第11章19節と13節、同書30章4節、『エゼキエル書』第30章14節、『篇』第78章12節と43節で言及されるエジプト都市「צֹעַן」(カタカナ表記ゾアン、ツォアンなど)は、ここタニスに相当すると言う説もある。


現在のタニス


現在エジプトにおいては、タニスがあった場所はエジプト北東部のシャルキーヤ県にある小さな町「サーン・イル・ハガルカタカナ表記は多様。アラビア語表記ではصان الحجر)」になっている。現在もナイル支流が流れてはいるが、長い年の末にの流れが変化したのか、量の少ない細いでしかなくなっている。

この町の近くの丘には古代エジプト時代の「古代都市タニス」の様相をわずかに残す遺跡があり、荒した殿オベリスクの破片など、石造りの建造物の残骸が荒れ地の中に佇んでいる。また近年では人工衛星からの赤外線によって、この丘の地中に非常に多数の屋が立ち並んでいた跡が残されていることが画像として示されており、古代の大都市の様相をい知ることが可となっている。

この遺跡からは第21や第22の王(ファラオ)らの墓も見つかっている。古代エジプトファラオの墓としてはしく盗掘に遭っていないままに発見されたため、ラピスラズリでできたファラオのマスクを含む多くの宝飾品が回収されている。

やや辺鄙な場所にあるためか、考古学的重要性だけでなく旧約聖書で言及された(?)というネームバリューがあるにも関わらず、観光地としてはあまり栄えていない。エジプト首都カイロから日帰り観光は可なようだが、を飛ばして片数時間かかるようで、この遺跡の観光だけに丸一日を費やすことになる。


他の都市との混同


かつてはエジプトに侵入してきたアジア系異民族「ヒクソス」の王首都「アヴァリス」がこのタニスと同一のものだと考えられていた。そのため、文献によってはタニスについてヒクソスの王首都と記されているものもある。2016年現在では、数十キロ離れた別の遺跡がアヴァリスに相当するとみられている。上記の旧約聖書での「צֹעַן」もタニスではなくこのアヴァリスの事だった可性もある。

また、タニスとは別の古代都市として同じエジプト北東部に立地していた「サイス」があるが、サイスタニスが混同されてしまう例もある。そのサイス現在アラビア語での地名が「サ・イル・ハガルアラビア語表記صا الحجر)」といって、現在タニスの地名「サーン・イル・ハガルアラビア語表記صان الحجر)」と非常によく似ていることが原因か。また、タニスサイスはどちらも王首都であり(サイスは第24王と第26王首都)、さらに双方ともナイルの支流に面していた。これらの共通点も混同の一因かと思われる。


関連項目



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最終更新日: 18/10/31 03:04
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