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テンニンギク


ヨミ: テンニンギク

テンニンギク(天人菊)とは、アメリカ原産のである。学名はGaillardia pulchella


概要


の明るいびらで構成された、キク科テンニンギク属の一年。多年のものはオオテンニンギクと呼ばれる。その鮮やかな見たから、言葉は「協」「団結」「きらびやか」など前向きなものが多い。9月4日10月25日の誕生を務める。

アメリカでは、発見したフランス人生物学者ガイヤール・シャラントノートの名前にちなんでガイラルディアと呼ばれている。オクラホマ州はガイラルディアを州の野草に定められ、20種類のテンニンギクが確認されている。日本語中国語では、美しい人を想起させる事からか「天人菊」と記され、日本語ではテンニンギク、中国語ではティエンレンヂィーなどと発音される。

園芸用品種が数多く存在し、端でも自生している姿が見受けられるので染み深いと言える。耐寒性が高く、また耐暑性も較的高いので園芸初心者に向いている。テンニンギクとオオテンニンギクの交配で、新たにグランディフロラという雑種が誕生し、色彩豊かな事からこちらも園芸品種が多数作られている。

原産は南北アメリカだが、日本中国にも帰化している。日本へは明治時代中期にやってきたとされている。オオテンニンギクは後期頃渡来と言われる。鹿児島付近で自生。6月9月の間に開し、美しいびらを開かせる。丈が3040cmしかなく、意外と背が低い。寒さに強く、口まで元気にを咲かせている傾向にある。食害虫としてはナメクジ類が挙げられる。多年草タイプのオオテンニンギクは生育がく、勢の拡大もいので雑草扱いされる事が多く、よく刈りされる。


特攻花


らびやかな印があるテンニンギクだが、一方で悲しい歴史も内包している。

大東亜戦争末期1945年3月鹿児島の各地から多くの特攻機が飛び立った。特に喜界島沖縄鹿児島の中間に位置する立地から、出撃する特攻機の数はとりわけ多かった。その飛行場の傍らには、テンニンギクが咲き誇っていた。近隣の婦女子は、出撃前の特攻隊員にテンニンギクのを手向けた。しかし「綺麗なテンニンギクまで一緒に散らせるのはびない」と考えたのか、出撃前に飛行場の隅に植えたり、あるいは出撃後に防を開けて放り投げたりした。そのテンニンギクが根付き、終戦から70年以上が経った現在でも美しく咲き誇っている。奇しくも、沖縄への特攻作戦が始まった3月に発芽し、第32軍の組織的抵抗が終わった6月頃に咲き終わる。

このような経緯から特攻と呼ばれ、言葉に「生きなさい」が追加された。平和を願うとして「天人菊の丘」という特攻を伝える歌が作曲され、喜界島造では特攻という焼焼酎が販売されている。民にとってテンニンギクには特別な意味合いが込められているようである。ちなみにテンニンギクと並んで、オオキンケイギクも特攻と言われている(特に鹿児島県内)。誕生を務める10月25日レイテ沖海戦の日でもあり、何かと戦争と縁があるである。

一方で、南方戦線から帰還した航空機輪にテンニンギクの種が付着し、併せて復員兵が持ち帰った種が芽吹いて広がったとする説がある(2006年6月1日読売新聞)。

喜界島では「特攻」、和名はテンニンギク戦争の悲惨さをり継ぐ。
毎年平和へのメッセージを咲かせ続けている。第二次世界大戦(太平洋戦争)の時、喜界島航空基地があり沖縄戦線への特攻中継基地であった。戦場立つ若い戦士に贈った別れの。「特攻」…大事にしましょう                       喜界町


関連項目



最終更新日: 19/07/22 08:22
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