ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


ドラえもん


ヨミ: ドラエモン
掲示板をミル!
2464カキコ!

ドラえもん』とは藤子・F・不二雄漫画
及び同作品に登場する22世紀からやってきた未来世界ネコロボットの事。


作品概要


ドラえもん02野比のび太は、運動も勉強も苦手な世間に良くいる何をしても駄小学生
ある日、机の引き出しから、22世紀未来世界のび太の孫セワシから送られたと言うお世話ロボットドラえもんが現れる。

のび太は、ドラえもんの持つ「すこしふしぎ」な未来具を使って様々な非日常的な体験をする。未来具のは、時にのび太になり、時に思慮のない具の使い方のせいで、のび太や周りの人々を振り回す災いとなったりするのであった。

日本人なら言わずと知れた民的作品。東アジア圏を中心に世界的にもよく知られた傑作である。


原作(漫画版)


1969年12月小学館の学習雑誌(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』~『小学四年生』)にて連載開始。連載当初はそこまで人気もセールスも振るわず、何度か連載終了があったが(最終話が3作存在するのはそのため)、試しに刊行した6巻までが大変な好評を博し、以降も続刊が決まった。それから、1300作以上の短編を残し、そのうち自撰の作品を一部加筆なども行い、全45巻をてんとう虫コミックスに収めている。実際、作者が自分でオススメするだけあって、後述の未収録作品と較しても、完成度の高い傑作が集まっており、後述の未収録作品とべても知名度も段違いである。尚、てんとう虫コミックスドラえもん』は累計1億部以上売れている。

対して、てんとう虫コミックス、通称てんコミ収録作品以外は一般に未収録作品と呼ばれており、約400作品ほどが日のを見ずに埋もれていた。後に小学館によるドラえもんプラス(未収録作品だけをセレクションしたもの。名作、「45年後...」などもこれに含まれる)によって何作かはサルベージされ、手に届きやすくなったものの、依然FFランド収録作品などは閲覧困難な状況が続いていた。しかし、藤子不二雄F大全集の刊行によって全てが補されることになった(但し、作者原作ではない作品は対外)

1977年にはドラえもんメインに創刊されたコロコロコミックでも大々的に連載が始まる。長年に渡ってドラえもんコロコロ誌上でも破格の扱いを受け、劇場版新作長編アニメが上映される前になるとその原作となる漫画大長編ドラえもん)も掲載していたほどであった。作者の亡き現在でもコロコロコミックの表や背表には、ドラえもんが大きく描かれている。劇場版については「大長編ドラえもん」の項を参照のこと。

1996年原作者の藤子・F・不二雄が逝去したため、最終回が描かれないままとなってしまった未完作品である。事実上の最終話は「ガラから来た男」である。現在では藤子・F・不二雄アシスタントが彼の意志を継ぎ、なんらかの形で作品は続いている。

漫画ドラえもんあくまでギャグ漫画である(作者もそう発言している)。なので、教育上よろしくないだとか、のび太のような思考は子供をダメにするとか、そんな寝言は全くのお門違いである。だから、のび太に災難が降り注ごうが、が頭上に落ちようが、二階から落ちようが意に介さないのだ。

「こいつ、ギャグ漫画人間だ!!」


アニメ版


現在放送中のテレビ朝日版と、1973年に放送されていた日本テレビ版の2つが存在する。

日本テレビ版ドラえもん

詳細は「日本テレビ版ドラえもん」も参照のこと。

通称「旧ドラ1973年日本テレビ動画(※日本テレビと資本関係はい)が制作したテレビ放送用アニメーション作品。当初は視聴率面で苦戦したものの、後半にはそこそこの人気を得るようになったそうである。しかし、制作会社が突然業したために半年で番組が打ち切りとなってしまった。

会社業の後フィルムを始め資料が散逸し著作権の帰属先も宙に浮いた状態になってしまい、特に1979年からテレビ朝日版の放送を開始してからは原作者や小学館側もこの作品を黒歴史として扱うようになったため、長年に渡ってに包まれた作品となった。だがインターネット発達と共に情報の共有化が進むと、当時の関係者が所有していたオープニングエンディング映像転載の末に動画共有サイトなどで投稿され、断片的ながらも30年以上ぶりに日のを見た。

後のドラえもんイメージとは大きく異なる藤子・F・不二雄本人作詞テーマ曲が印的。いわゆる電波ソングかもしれない。なお子F氏は本人原作の「ポコニャン」のアニメでも見事な電波ソング作詞している。

日テレドラえもん声優は「あっぱれ!さんま大先生シリーズCGキャラクター2代目バカボンパパなどで知られるベテラン声優富田耕生(初代)と、「ドラゴンボール」の孫悟空や「銀河鉄道999」の星野郎などで知られる野沢雅子2代目が担当していた。ジャイアンテレ朝ドラえもんスネオ役を演じることになる肝付兼太のび太ママテレ朝版でのび太役を演じることになる小原乃梨子が担当するなど、一部声優テレ朝版で違う役を演じている。

テレビ朝日版

[HV]ドラえもん 金曜19:0019:30 テレビ朝日

大山時代を「大山ドラ」、リニューアル後を「わさドラ」と区別される。
どちらの時代も劇場アニメ製作されており、現在まで毎年3月上旬に開。

以下、簡単な紹介を掲載。

大山ドラ時代

1979年放送開始。シンエイ動画制作アニメが放映されていた。当初は月曜日土曜日18:50~19:00の帯アニメとして始まり、日曜日総集編が放送されるという形態だった。1981年現在金曜日30分番組となる。

ドラえもんは今なお有名である大山のぶ代(3代が担当した。2010年代時点で20代後半以降ぐらいの者にとって、特に(日テレ版と合わせて)この3代ドラえもんを演じた大山のぶ代シリーズは高い支持を受けている。

この2度アニメ化によって爆発的な大ヒット作品となる。ドラえもんは「サザエさん」にならぶ民的人気キャラクターにまで登りつめた。現在でもテレ朝を代表するキャラクターとして「クレヨンしんちゃん」と共に君臨している。

原作者の子Fからもドラえもんってこういうだったんですね」とまで言わしめたほどの、世話焼きおばさん的なキャラクター像が確立したのはこののぶ代の功績が大きい。わさドラになってからのドラえもんは世話焼きおばさん的なキャラクターから一変し、原作のような悪友的な性格に戻っている。それでものび太を呼ぶときの「のび太“くん”」という呼び名などは共通して同じ。

こうしたキャラの性格の違いもあり、話は中期ぐらいより原作漫画をなぞりつつも展開や結末を大きくアレンジしたものに変更されることもあった。(特に『風船手紙コントローラー』のようにホラー映画顔負けのトラウマものに変化したものや、『は呼んでいる』『エンゼルにおまかせ』『20世紀のおとのさま』のように、中篇化してよりドラマチック変されたものなども少なくない)
原作トックが少ない時期から放映されていたこともあり、アニメオリジナルエピソードも作られているほか、豊富になった後になっても未アニメ化作品に終わった原作も少なくない。別の一方で子F作品の原作を本作向けに変して使用されることもあった。

大山ドラキャラクターデザインは放映当初より藤子・F・不二雄の画をあまり考慮したものとはなっておらず、ジャイアン出木杉しずちゃんなど原作版とは、ほぼ別人レベルで異なるキャラクターも少なくない。特にジャイアンドラえもんは時期によって顔の描き方や分け髪型の形状、ひげの位置などが大きく変化していた。一方で彼をはじめとする「片で描写されるキャラクター」はほぼ全員きちんと白目が描かれたデザインに変更されている。
放映初期は低学年誌と日本テレビ版との間くらいのデザインで全体的にキャラクターの顔部分が大きく描かれていた。映画第一作ごろからは頭が小さくなった代わりに全体的なバランスが見直され、このデザイン映画6作の『ドラえもん のび太の宇宙小戦争』ぐらいまで使われた。翌年の映画第七作『ドラえもん のび太と鉄人兵団』以降は当時より若干スマートになり、90年代ぐらいまではこのデザインマイナーチェンジしながら使用。末期ごろになるとキャラクターオーバーな動きが強調されるようになり、顔も原作版寄りに若干変化している。
因みに、藤子・F・不二雄大全集ドラえもん9巻にはこのドラえもんのためのキャラクターシートアニメスタッフに見せるためのキャラの表情や動きの簡単な見本)が資料特典として掲載されている。
ここでは「装の色・模様は自由」という定が成されていたが、大山ドラ時代はレギュラーキャラ装はほぼ固定であった。(この作品に限ったことではなく、当時のテレビアニメの一種の慣例。スペシャル版や映画でたまに色違いや柄違いが出る程度で、キャラクターごとにイメージカラーや固定衣装が決められていた)

大山ドラ時代の劇場アニメはすべてオリジナル作品で構成。毎年春休み映画館は親子連れで賑わったほか、多くの作品で配給収入が20億円近い大ヒットシリーズになり、ゴジラ映画に並ぶ東宝ドル箱シリーズになった。この頃から映画館に来てくれた全ての子供たち向けに劇場オリジナルおもちゃが配布されるのも恒例だった。

そのうち『のび太の恐竜』から『のび太のねじ巻き都市冒険記』までの漫画原作子F自身が手がけていた。うちねじ巻き都市子Fの遺作でもある。(『のび太のパラレル西遊記』以外の作品は脚本、『のび太の日本誕生』以降の作品は製作揮も担当している)

作品が大ヒットシリーズとなったことで民的に名が知れたことから、数年に一度程度で実写テレビ番組にも登場。中には90年代に発達し始めたCGを駆使してドラえもん本人が『徹子の部屋』に登場した回もあった。
を担当していた大山と番組会の黒柳徹子は元々女優時代からの親友同士でもあり、徹子の部屋にも大山のぶ代として出演したこともあるほか、大山認知症で活動中止を余儀なくされた際には夫の砂川啓介が出演、ボイスメッセージを寄せている。

放送開始から20年近く経過した90年代に入ってもなお大山ドラの安定した人気は定着していたものの、出演者やスタッフ高齢化は経年と共に避けられぬ事態になっていき、キャストの一部が鬼籍入りするなどしていた。
さらに放映期間中の1996年9月23日には原作者の藤子・F・不二雄が急逝したことで「原作サイド」からの発言が低下。、002年に作品製作体制がデジタル化されたことがひとつの区切りとなる。以後は視聴率アップCD売り上げを論んだタイアップ中心のテーマソングの採用増加のほか、脚本家オリジナリティをより尊重したがために原作キャラクターの性格破綻やアニメオリジナルキャラクターの出番増加などのテコ入れが露になっていき、大山版本来の持ち味であった「ほのぼのコメディ」としての要素が薄れ、トムとジェリーのようなドタバタ劇を中心とした「スプラティックコメディ」へと内容も変貌していった。

末期ファンの間でも未だに賛否を招いており「大山ドラ子F存命中が黄金期で、作者没後、特に末期黒歴史」とするファンもいるほど。オープニングテーマの度重なる歌手変更や実質最後のエンディングテーマとなったWの「あぁ いいな!」については特に批判が大きい。実際、原作者死去の際に遺族は一度は番組終了をテレ朝に提言しているが、高視聴率番組かつドル箱映画シリーズという大きな収入を打ち切ることができなかったため、遺族説得の上で放送継続となっている。

こうした作品品質の不安定化やキャスト高齢化は、わさドラ製作への契機となった。2004年に翌年の映画製作の休止が報じられると、後に大山のぶ代らの降が発表、全的なニュースになった。


次へ»
最終更新日: 19/05/20 16:18
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:大百科ニュース社