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ナショナリズム


ヨミ: ナショナリズム
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ナショナリズムとは、自らが所属するネイションを尊重する意識と行為一般である。ナショナリズムは、時にはネイションへの深い感情的なコミットメントを構成し、ネイションへの所属がメンバーにとって自己自身を定義する不可欠なアイデンティティの一部として感ぜられる。民族義、国家義とも訳される。


ネイションの定義


ネイションは、「民族」「民」「国家」などと訳される。ネイションは邦訳の多様性が示すように、実質的な定義を与えようとすると困難になる。国家民の不在は国際政治を考えるとあり得ないとしても、ネイションを定義しようと、外部から観察可な客観的性質を分析しようとしても、必要かつ十分に定義する条件は見つけられないからである。例えば、血縁のような生物学的類似性は、ネイションの条件ではない(ex.混血)。離散の民=ディアスポラの存在が示すように、領土もネイションにとって不可欠な条件ではない(典的にはユダヤ人、クルド人)。言は、ネイションの成立にとって非常に重要な要素の一つだが、それ自体でネイションが存在するわけではない。言の分布とネイションの区画が合致しないことは往々にしてある。宗教も重要なファクターだが、言の分布以上似、ネイションの界からの乖離が大きい。

ヒュー・シートン=ワトソンは、ネイションという現は確かに存在するが、それについてのいかなる科学的定義も不可能だとしている。逆にアントニースミスは、「歴史上の領域、共通の神話歴史的記憶、大衆的・的文化、全構成員共通の経済、共通の法的権利・義務、特定の名前」によってネイションを定義しているが、この定義は補になりそうな性質を列挙したもので、これに当てはまる共同体はあまりに広い。例えばこの定義に従えば、古代ギリシャ都市国家も、邪馬台国も、伝統的な中国帝国も全てネイションだということになる。しかし、歴史的には、ネイションは極めて特異な共同体である。ネイションの定義の困難あるいは不可能性をスミスは逆説的に示す。ネイションの本質は、積極的に固定化されるいかなる性質にも還元できないところにある。

「ネイション」という自身は古代からあるが、その示対は、今日のネイションではない。ラテン語のnatioの直接の義は「生まれてきた者」であり、古代ローマでは、こので、出自を同じくする外国人グループ示されていた。正式のローマ市民よりも地位の低い、周辺的な住民として扱われていた。しかし、中世ではこの示対は大きく変化し、中世キリスト教会において、教会共同体の内部の諸党と諸党を代表する文化的・政治エリートや権威の事をす。「ネイション」が、今日的な意味で、人民の共同体を示するものとして使われた最初の事例は、16世紀初頭の絶対王政イギリスに見られる。こうしてネイションは歴史的には、一方で出自によって結びついた周辺的で特殊な共同体という意味を、他方には理念上は世界そのものと同一視されていた共同体(教会)の中心的なメンバーという、振れ幅を持った意味を持ちながら存在している。


特殊主義と普遍主義


ネイションは、少なくとも二つの必要条件を満たす政治的共同体である。第一にそれは、生活様式の共通性に基づく自生的な単位である。多くのネイションが、政治導者の決定に基づく制度や民衆的な社会運動に媒介されて誕生した面を持つが、ネイションが全面的に意識的な作為の産物であるということはない。それは自生的な核なしには存在しない。それゆえネイションは、歴史の展開の中で自然発生したそれぞれに特殊な伝統によって自身を外部から区分する共同体である。

第二に、ネイションは直接の面識関係やその集積をはるかえたコミュニケーションの範囲を覆っている。どんなに小さなネイションでも、メンバー同士が互いによく知っていることはなく、どの場合、互いに一生会うことはない。ベネディクトアンダーソンがネイションを「想像の共同体」と呼んだのはそのためである。ネイション以前の、あるいはネイション以外の共同体においては、メンバーが他のメンバーや共同体そのもののためにときに命を賭しても良いと思うほどの連帯感や着を持つためには、メンバーが互いに直接の関係を持っているか、少なくとも直接の関係を具体的に辿る事が出来るほどに近い関係で繋がっていなくてはならなかった。ネイションは、互いに直接の関係を持たない大量のメンバー同士が、命懸けの同胞意識を持つようになった、最初の共同体である。

以上の二つの条件は、全てのネイションに共通する二つの特徴に対応している。第一に、どのようなネイションも、間的・社会的に限界を持ったものとして想定され、地球そのものと同一視されたりしない。この面で、ナショナリズムは特殊義として現れる。第二に、ネイションは、原理的に等なものたちの同志的な繋がりであると幻想されている。ネイションには、カーストの階級=ヒエラキーや、貴族民などといった階層性は適合的ではない。的な共同体であるという想定は、ネイションにとって必要条件である。底した義は、最終的には普遍義として現れる。

これら二つの特徴を統合することで、ネイションとナショナリズムの原理は以下のように言える。ナショナリズムは、普遍義への志向が特殊義の形式において現れたところに成立する。普遍義と特殊義のバランスの下で、ナショナリズムは成立する。そして特殊な集団の生活様式や規範を、一つひとつのネイションの内部では実際より過剰に普遍的なものとして想定するがゆえに、ネイションの内部には、必然的に、差別されるマイノリティが生み出されてしまう。マイノリティは、普遍的な標準から何らかの程度出外れていると見なされた逸脱者の集団とされる。ネイションに固有の等志向が、逆説的に差別されるマイノリティを自らの内部に生み出す。


ネイションとナショナリズムの起源


ネイションとナショナリズムがいつ成立したかをめぐって、理論は大きく二つに分かれる。一方に、ネイションは、原初的なや永続的な要因の産物であり、近代よりもはるかに以前から持続してきたという説がある。この説は、多くの場合、ナショナリストの自己理解とも合致する。日本というネイションの起伊勢神宮吉野ヶ里遺跡に見たり、フランスの起カール大帝の戴冠に見たりする場合が典である。これに対して、ネイションとナショナリズムは、近代に特徴的な要因に規定された近代の産物だとする社会科学者や歴史学者も多い。前者は原初義、後者は近代義とも言われる。

原初義を素に唱える学者は少ない。原初義を修正した形でする学者は、アントニースミスがいる。スミスは、古代から存在していた「エトニー民族)」が核となり、それが様々な要因によって近代においてネイションに転換したと論じる。それに対して、近代義の代表は、アーネスト・ゲルナーとベネディクトアンダーソンである。ゲルナーは、ナショナリズムをもたらした原因は「産業化」であるとする。産業化という機的な要請に適合的なシステム・態度として、ネイションやナショナリズムが生まれたとする。アンダーソンは、ラテン語などの「なる」に対するとして、資本主義と結びついた「俗」の出版活動宗教改革による“国語”による出版活動。ルターのドイツ語訳による聖書す。他にイタリアダンテによる『神曲』。、あるいは植民地におけるクレオール役人の「巡礼」にも見立てられる、植民地首都へと収斂していく出世(クレオール・ナショナリズム)レオール=植民地。具体的にはアメリカのナショナリズムを想定している。元々帝国の隷属的地位としてしか意味を持たなかったアメリカで、“アメリカ人意識”が醸成されていったことを、宗教の「巡礼」になぞらえている。例えば、本人ないしは本志向が強いクレオールは“植民地”に着を持たない。しかし、クレオール役人=植民地でしか出世出来ない知識人は逆に植民地首都へと“詣でる”ことを誇りにしていく。結果として単なる行政区としてしか意味をなさなかったクレオールがネイションに転化していく。南北アメリカの種々の独立戦争の動機はこうして説明される。、周囲のナショナリズムに対応して生ずる上からのナショナリズム=定ナショナリズム遅れてきたナショナリズム。フランスなど西ヨーロッパ政治的中心から外れていたプロイセンロシアでのナショナリズム運動す。後進的な地域では、フランスでのような市民革命を経ず、王が啓運動として上からのナショナリズムを扇動する。日本明治維新政府もこれに含まれる。などから、近代に固有の「想像の共同体」としてのネイションの成立を説明した。

民衆的な準出成立したのは、18世紀末から19世紀にかけての時期と見るのが、妥当である。これは、ナポレオン戦争に現れている。18世紀までは、ヨーロッパの軍隊は、どこのでも、として外国人傭兵で構成されていた。最初の「民軍」はナポレオンの軍隊である。プロイセン義者たちは、兵卒の5割に達する外国人を半分に減らそうとしていた。つまり18世紀末には故を守ろうというナショナリズムを持った民が、ヨーロッパでは大半ではなかった。またナショナリズムというが定着するのは、アイラ・ケミレイネンによると19世紀末である。原初義寄りのスミスも、十全なナショナリズムは近代の産物であると認めている。


ナショナリズムの時間的逆説


歴史学や社会科学者のには、ナショナリズムは近代的な現に見える。しかしナショナリズムを担う当事者の観的なには、ネイションやナショナリズムは古く、はるか古代に起を有するように映っている。ナショナリズムの普及は、しばしば古代史や考古学のブームとともに始まる。中世ではど問題にされていなかった「歴史」という学問が、ヨーロッパ大学で中核的な講座としての地位を獲得するようになり、歴史学者が続々と産まれたのは、ナショナリズムがヨーロッパを席巻した19世紀中葉以降である。ネイションは客観的には新しいのに観的には古い、という逆説がそこにはある。原初義はこの錯覚をそのまま追認する。

客観的には古い集団や共同体に関して、当事者たちがその古さを自覚せず、起から現在までの時間的深さを小さく見積もる場合ならば、記録の不在、記憶の伝承による劣化曲、想像の欠如といった、人間としての一般的な限界や傾向性から説明できる。例えば、文字社会の当事者が、自身の神話に基づいて「あれがらの祖先がから降りてきた時に使っただ」と差している先を見ると、せいぜい齢数十年の木だったりする。あるいは中世やルネサンスの絵画には、「創世記」のある場面や新約聖書エピソードが描かれているが、その人物の姿や衣装は、描かれた当時からするとあまりに現代的で、時代考がない。イエスの誕生を祝福するために厩舎を訪れた飼いは中世の農民の衣装をまとい、古代ユダヤ人には似ていない。

しかし、ネイションの起をめぐるナショナリストの錯覚は、これとは逆であり、不自然なものである。この錯覚は、普遍義と特殊義の重なりの時間バージョンとも考えられる。ネイションの「起」とナショナリストが見る出来事は、ネイションが実際には近代的な現である事を思えば、一種の幻想ではあるが、神話のような全な創作ではなく、経験的で歴史的な事実である。普遍的な共同体を基礎づける起現実的な人類の共同体がそこから流出してくるような起を考えるとすると、それは、本来は歴史えた原点、メタ歴史的に考えるような原点でなくてはならない。しかし、その普遍的な共同体の「普遍性」を「特殊性」の方へと当てはめたら、歴史を越えた原点が、特殊な共同体の歴史的な起と見なしう過去の出来事のうちに、しかも現在の経験からは隔絶していて、機としては歴史ではないような存在の始まりのように働くはるか古代に見いだされる。これが、ネイションを巡る時間的逆説のメカニズムと考えられる。


ネイションとステイト


日本語では「ネイション」も「ステイト」も、国家と訳される事が多い。しかし英語では全く異なる意味になる。「国家」と訳される事が多い「ネイション・ステイト」も単なる民+国家ではなく、ネイションとステイトは異なる概念でありながらも、共に政治的な機の面で類似するものとして理解される。

ネイションには、シンリックアイデンティティが生まれる。ネイションは、人々の関係が複雑になり、非人格的で抽的なコミュニケーションが支配的となった大きな集団(ゲゼルシャフト)において、はじめて形成されるものである。ネイションにおいては、アイデンティティが政策的に操作可なものとなる。ネイションは民族アイデンティティを、政治の観点から意味づける概念であり、人々はそこにおいて、言や文化の価値を守るために、政治的活動することになる。

これに対してステイトとは、ある統治機構のもとで組織された集団のことである。ネイションと峻別しようとすれば、国家という訳よりは政府になる。ネイションがアイデンティティの問題なのに対して、ステイトは統治に焦点を当てた概念である。ステイトは、国家や従属国家、複数の集団が集まる連邦国家などがあり得る。マックス・ウェーバーによれば、ステイトとは、ある領域のもとで、正当な権を独占した中央集権政府運営する強制的執行機関であり、それは行政機関や法制度、軍事的・宗教的な組織を備えていなければならない。これに対して、イギリスの法学者イアンブラウンリーは、国際法によって承認された集団という観点から、一定の確定した領土、人口、政府、他からの独立という4つの特徴でもって定義する。いずれにせよステイトは、発達した統治権機構である。

以上を総合して、ネイション・ステイトとは、その政治的な正統性を、一定の文化的な至高性を持ったアイデンティティに使えるものとして引き出すような統一された政治単位と言える。これを厳密に言えば、イギリス連邦はネイション・ステイトではなく、フランスにおいて歴史的に形成されたものとなる。

ただし、ネイションという言葉は、経済的繁栄を的とする政治組織という意味で、ステイトと同じような意味で使われてきた。アダム・スミスの『富論』は、ネイションを経済的に説明している。これに従えば、イギリスフランスも、16世紀以降の重商義や18世紀の産業革命期において、ネイションとしての性格を現している。また領土を前提にしている点でも、ネイションとステイトは共通性を持つ。

日本語の「国家」は、文化的な繋がりと政治的な統治権の意味を分別せずし示す便利な言葉である。しかしながら、以上のようにネイションとステイトは同じものをすとは限らない。


国語


ネイションにとって言は重要な要素の一つである。ナポレオンに占領されたドイツベルリンで、哲学者フィヒテは、「ドイツ民に告ぐ」という講演を行なった。


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最終更新日: 17/10/01 21:00
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