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ハルウララ


ヨミ: ハルウララ
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ハルウララとは、1996年まれの競走馬高知競馬で通算113連敗を記録したである。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
ハルウララ(ウマ娘)」を参照して下さい。

概要


詳しくはいろんなところで調べておくんなせい。

ニッポーテイオーヒロインラッキーブリンという血統。実は、血統はそんなに悪くである。

生まれた時から小さく、見栄えも悪かったハルウララ。要するに売れ残ってしまい、生まれた牧場の場長は仕方なく自分で所有し、高知競馬で走らせることにした。高知競馬を選んだのは、預託料が日本一安かったからである。預かった調教師は、牧場長への義理を立てるためだけに彼女を預かった。

ハルウララは体が400kgに達しない小さなで、しかも臆病でわがまま。飽きっぽいという、競走馬としてはおよそ失格であった。厩舎では相当な苦労をして彼女をどうにか競走馬としてデビューさせる事には成功した。1998年11月デビュー戦は最下位。いわゆる連敗街道の幕が上がる。

ハルウララは非常に丈夫なであった。出走回数は年間約20回に及び、出走手当ての合計がどうにか預託料と釣り合ったがために、ハルウララはなんとか危機を免れた。それにしても年間20走とは、足元に負担が少ないダートコース距離だということを鑑みても物凄い出走回数である。間に惜しい二着こそあるものの、ハルウララは負け続けた。

2003年。ハルウララももう7歳。流石に好走する事さえくなってきて、いい加減引退かなぁ関係者が思い始めた頃の事。突然彼女にスポットライトが当り始める。

高知競馬実況を担当していた橋口浩二アナウンサーが、連敗がもうすぐ100に達しつつあったハルウララに気が付いた。その話を橋口アナから聞いた地元の新聞が面そうだと特集を組む。そして止の危機に直面していた高知競馬関係者がこれにをつけ、中央マスコミに売り込みをかけたのである。これに応じた各マスコミが「負け組の」という扱いで大々的に取り上げ、いわゆる「ハルウララ狂想曲」が始まったのであった。

先日までは地元のおっちゃんたちしかおらず、新聞記者など来た事もかった高知競馬場に、なんだか物凄い数の人々とマスコミが押し寄せたのである。当ては、もはや勝つ見込みもくなった7歳の客観的に見ると奇妙極まりない事に、彼ら彼女らは、ハルウララが負けるところを見に来ていたのである。100連敗達成時には5000人もの観客が詰めかけ、120人ものマスコミが押し寄せ、何故か「100連敗を祝う」セレモニーまで行われた。

グッズが次々と作られ「当らない」交通安全のお守りとして外れ馬券が持ち帰られる始末。高知競馬はかつていほど盛り上がる。当然出走するレースもピーク時には全発売が行われるなどケタ違いの売上を記録。当時「あと一回赤字を出せば即止」とされていた危機は一時的にせよ回避された。

後日談ながら、このときに得た黒字の一部は経営のための基プールされ、案の定ブームが去って元の高知競馬に戻ると、緊縮財政でもなお赤字が生じた際に、この基を取り崩して赤字埋めするギリギリの攻防の末存続し続けた。この延命策が、のちの「ナイター」開始にはじまる高知競馬一発逆転劇に繋がったのであった。ハルウララはいなくなっても結果的に高知競馬を救ったといっても過言ではない。

しかしながら、ハルウララの関係者にとって「負けることを喜ばれる」というのは不本意極まりない事であり、昨日まで駄馬扱いしていた世間が突然よと持ち上げるようになった毀誉褒貶のしさには相当呆れたらしい。そもそも、ハルウララの様に負け続けるしくく、負け続ければその内見放され、になって屋に売られるのが当たり前なのが競馬なのである。それが競馬という人間の娯楽にのみぶら下がっているサラブレッドという生き物の宿命なのであり、屋に売られる運命をどうにか避けさせようと関係者が頑る事によって競馬は成立しているのだ。

故に負けることを賞賛される。一生懸命走る事を特別視されることは、競馬関係者にとってはそれまで見送ってきた数多のたちを愚弄する行為に他ならず、ハルウララがマスコミに頻繁に取り上げるようになってからも牧場や厩舎、騎手コメントにハルウララが負けることを由とするような、彼女を擁護するようなコメント皆無である。一度彼女に騎乗した武豊騎手子供の頃から厩舎育ちであるので、当初はハルウララを覚めたで見ていたが、騎乗した際に彼女に対して純応援を送るファンを見て、競馬本質とは違うがこんながいてもいいのかもと納得したらしい。

ぶっちゃけ、ハルウララのブーム話題づくりが欲しかった高知競馬と、変わったネタが欲しかったマスコミ各社が盛り上げたものである。ハルウララは最終的に113連敗したのだが、実はその時点でさえ既に彼女の連敗記録は日本記録ではなかった(当時二位)のだ。今となればなんであれほど盛り上がったのか不思議なほどだ。

しかしながら競馬人気というのはハイセイコーにせよオグリキャップにせよ、最初はマスコミが盛り上げたにせよ、その後はその走る姿にが身を投影したファンたちが創り上げるのである。ファンたちは負け続けても諦めずに走り続けるハルウララに、実感なき経済成長の中であえぐ自分たちを見ていたのかもしれない。まさか負け続け引き篭もりの子供に抱えている親や「いつか本気出す」とか考えているニートの共感を得たわけではあるまいとは思う。

ハルウララは、8歳時になり、実質的なになっていたエッセイスト?の安西美穂子の手によって連れ去られ、栃木牧場に送られる。なんだかごたごたがあって、そのまま引退。通算113敗。その後は安西女史のによってホースセラピーに連れ出されたり、復帰するからと募を募ったり、はたまたディープインパクトと交配することが発表されたりしたらしいがいずれも実現する事はかった。よくあるの絡んだ卑しいゴタゴタ話で、巻き込まれたにとってはたまったものではない。まったく酷い話である。

引退後は北海道は新冠の牧場で余生をおくっていたが、安西女史のブログ[外部]によると2012年12月千葉に移動。その後が所有権を放棄。2014年7月、そのままそ千葉牧場が引き取り、引退サポート団体が支援する形となったことが発表されている。とりあえず元気なようで一安心である。

人間に振り回され続けた彼女に、せめて安らかな余生がされる事を願って止まない。 

2019年5月競走馬引退したたちが出走するソフト競馬[動]にて生初勝利をあげた。


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最終更新日: 20/03/30 00:18
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