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ボストン・レッドソックス


ヨミ: ボストンレッドソックス
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ボストン・レッドソックスBOS)とは、MLBアメリカンリーグに所属するプロ野球チームである。

本拠地はフェンウェイパーク

概要

アメリカンリーグ 東地区
ボストン・レッドソックス
Boston Red Sox
基本情報
創設 1901年
本拠地 フェンウェイパーク
略号 BOS
選手情報
ワールドシリーズ 9回
リーグ優勝 14回
地区優勝 9回
ワイルドカード 6回
永久欠番
・1:ボビー・ドーア
・4:ジョークローニン
・6:ジョニーペスキー
・8:カールヤスレムスキー
・9:テッドウィリアムズ
・14:ジムライス
・27:カールトン・フィス
・42:ジャッキーロビンソン
経歴
プロ野球球団テンプレート

1893年にウエスタリーグの球団としてオワイオ州トレドに誕生。1900年にアメリカンリーグが発足し、1901年にボストンに本拠地に置いて参入する。

リーグ加盟と同時にセントルイス・カージナルスからサイヤングを獲得。ヤングの活躍や選手兼任監督であるジミー・コリンズを中心に1903年、チーム初優勝を成し遂げる。この年に第1回となるワールドシリーズピッツバーグ・パイレーツと対戦。5勝3敗で初代リーグチャンピオンく。

1912年にはフェンウェイパークが開場。このころのレッドソックスにはスライディング・キャッチを得意としたハリーフーパー、センターゴロを捌いたトリススピーカー3メートルの土手を自由に上り下りしたというダフィー・ルイスの3人からなる100万ドルの外野として知られていた。彼らの活躍もあって2度ワールドチャンピオンとなる。

1914年にはベーブ・ルーを獲得。ルースは1915年に投手として18勝、打っては打率.314、4本塁打という活躍でチームワールドシリーズ制覇に貢献。翌年も23防御率1.75チームも2年連続のワールドシリーズ制覇。1918年に5度ワールドシリーズ制覇を果たす。ベーブ・ルースもこの頃から打者にも専念するようになり、この年には11本塁打、翌1919年にはそれまでの本塁打記録を大幅に塗り替える29本塁打を放ち、本塁打王いている。

1920年に経営難に苦しんでいたレッドソックスは12万5千ドルの銭と30万ドル以上の負債を肩代わりすることを条件にベーブ・ルースをニューヨーク・ヤンキースへトレード。時のヤンキースは最下位が定位置の弱小球団だったが、彼のヤンキース移籍を期にヤンキースの成績が伸び始め、ベーブ・ルースが在籍した1920年代から 1930年代にかけて8回のワールドシリーズ優勝、11回のリーグ優勝を成し遂げた。そしてそれに反例するかのようにレッドソックスの成績は伸び悩み、 1925年から6年連続最下位を記録するなど、優勝から大きく遠のいたシーズンが続いた。

1940年代から1950年代に4割打者テッドウィリアムズ三冠王カールヤスレムスキーといった大選手が在籍し、度々ワールドシリーズに出場する競合になったにもかかわらず、何故かあと一歩で優勝できないという悲劇を繰り返すことになる。

1967年1975年ワールドシリーズも7回戦で敗退、1978年は一時2位ヤンキースに14ゲームもの大差をつけたが、故障者続出等で9月の直接対決4連戦に全敗したこともいて、シーズン最終日に追いつかれ、ワンゲームプレーオフに敗れて地区優勝を逃した。

1984年にはロケットとも呼ばれる豪腕投手ロジャー・クレメンスがメジャーデビュー1986年4月29日には1試合20奪三振を達成。この年クレメンスはMVPサイヤング賞を受賞し11年ぶりにリーグ優勝となり、ニューヨーク・メッツとのシリーズでは、3勝2敗で迎えた第6戦[外部]を延長10回に2点リードのままランナーなしであと1アウトで優勝という場面まで来たものの、3連打と暴投[外部]で同点に追いつかれ、さらにビル・バックナーの「史上最悪のトンネルとも呼ばれるエラーでまさかのサヨナラ負けを喫してしまう。第7戦も逆転負けで、手に届くところまで来ていたワールドチャンピオンを逃した。

その後1988年1990年1995年に地区優勝を果たしたが、ワールドシリーズに進出できなかった。

1920年代から続いたレッドソックスがワールドシリーズ制覇ができないジンクスルースの称であった「バンビーノ」からバンビーノの呪い」と呼ばれている。


2002年テリーフランコーナ監督が就任し、アリゾナ・ダイヤモンドバックスからカート・シリングを獲得し、オークランド・アスレチックスからはキースフォークを獲得。ペナントレース4月ヤンキースとの直接対決を6勝1敗で乗り切り、アリーグ東地区を4ゲーム差をつけて首位に立つ。しかしその後チーム全体が低調とな り、7月末の時点でヤンキースに10ゲーム差をつけられていた。7月末に長年チームの顔であったが、シーズン後にFAによってチームを去ることを確実視されていたノマー・ガルシアパーラをシカゴ・カブス放出。その後、モントリオール・エクスポズからオーランド・カブレラミネソタ・ツインズからダグミントケイビッチロサンゼルス・ドジャースからデーブロバーツを獲得するなどの大補強。
この年のワールドシリーズではセントルイス・カージナルスと対戦。緻密な野球を標榜するカージナルスと、細かい野球が苦手な自分たちを『ディオッツidiots)』と呼んでいたレッドソックスとの好対照の顔合わせだったが、結果は4勝0敗でレッドソックスが1918年以来のシリーズ制覇を達成した。なおポストシーズン8連勝はメジャー史上初、4勝0敗でのシリーズ制覇は球団史上初であった。ベーブ・ルースの放出から84年、ついにバンビーノの呪い」は解かれた


2006年には松坂大輔ポスティングシステムにより獲得。


2007年シーズン当初から独走、一時は2位との差を10ゲーム差以上引き離す。ジョナサン・パペルボンダスティン・ペドロイアなどの生え抜きや、長年の不安要素であった中継ぎ投手岡島秀樹やマニー・デルカーメンなどの活躍、マイク・ローウェルやケビン・ユーキリスなどの守備強化されたことがまた、クレイバックホルツがデビュー2戦ノーヒットノーランを達成したという明るい話題もあった。その結果ニューヨーク・ヤンキースの地区10連覇を阻止し、チームとしても12年ぶりの地区優勝を成し遂げ、メジャー最高勝率も記録した。ポストシーズンも勝負強さを発揮し、3年ぶりのワールドシリーズ制覇を成し遂げた。


2008年も地区優勝は確実と見られていたが、エースジョシュ・ベケットやのオルティーズら選手の相次ぐ故障がき、この年大躍進を遂げたタンパベイ・レイズにかわされ、地区2位となった。シーズン途中にはしたジョンレスターノーヒットノーランを達成し、大きな称賛を浴びている。結局ワイルドカードは獲得したものの、続くプレーオフでもレイズに破れてこのシーズンを終えた。


2009年は大補強を施したヤンキース、前年リーグ優勝のレイズとの三つどもえの争いとなった。7月頃には一時首位をキープしていたものの、オール スター明けにヤンキースに首位を奪われるとそのままヤンキースの独走を許し、2年連続でワイルドカード獲得の地区2位となった。プレーオフでは前年勝利したロサンゼルス・エンゼルスと再び対戦したが、0勝3敗で敗れた。


2010年は故障者続出で地区3位に終わった。


2011年ヤンキースと首位を競ったが、9月以降に失速し、ヤンキースに首位を奪われ、2年連続で地区3位に終わった。


2012年はかつて千葉ロッテマリーンズ監督を務めたボビー・バレンタイン監督に就任。しかし、選手との間に確執が生じ、ケビン・ユーキリスジョシュ・ベケット、エイドリアン・ゴンザレスなどのをトレードで放出してしまう。チームも地区最下位に終わり、バレンタインはわずか1年で解任されてしまった。


2013年ボストンマラソンを狙ったテロ事件を受け、ユニフォームの袖に「B-STRONG」を縫った。田澤純一上原浩治日本人必勝パターンを形成し、2007年以来の地区優勝を達成。ワールドシリーズではセントルイス・カージナルスと対戦。最後を上原浩治が締め、95年ぶりに本拠地フェンウェイパークで8度世界一を決めた。


2016年は3年ぶりに地区優勝を決めたが、ディビジョンシリーズクリーブランド・インディアンスに3連敗を喫した。


2017年ニューヨーク・ヤンキースと地区優勝争いを繰り広げ、9月30日に2年連続の地区優勝を決めた。ディビジョンシリーズではヒューストン・アストロズに3敗し、ジョンファレル監督は退任し、アレックスコーラ監督に就任した。


2018年は球団新記録の108勝を達成し、3年連続の地区優勝を達成。ディビジョンシリーズではニューヨーク・ヤンキースリーグチャンピオンシップシリーズヒューストン・アストロズを下し、5年ぶりにワールドシリーズ進出を勝ち取った。ワールドシリーズではロサンゼルス・ドジャースと対戦し、2013年以来5年ぶり9度世界一を決めた。

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更新2019年6月19日

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最終更新日: 19/06/19 23:27
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