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リッチー・セクソン


ヨミ: リッチーセクソン
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リッチー・セクソン(Richie Sexson1974年12月29日-)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー、大扇風機である。


商品情報


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正式名 リッチモンド・ロックウッド・セクソン(Richmond Lockwood Sexson
サイズ 幅不明×行き不明×高さ約203cm
質量 107kg
製造日 1974年12月29日
製造地 アメリカ合衆国レゴン州ポートランド
価格 イチローより高額(シアトル・マリナーズ在籍時)

来歴


sexson
その苗字される理由のひとつである。
OB
リッチー・セクソン
Richie Sexson
基本情報
アメリカ合衆国
出身地 レゴン州
生年 1974年12月29日
身長
体重
203cm
107kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 一塁手
プロ入り 1993年
引退 2008年
経歴
選手歴
プロ野球選手テンプレート

1974年12月29日アメリカ合衆国レゴン州ポートランドにセクソンは人間として誕生した。同じ生年日の人物に俳優のメキ・ファイファーがいる。プレーリー高等学校時代は野球の他、バスケットボールアメリカンフットボールプレーしていた。

1993年ドラフト会議で24巡(全体で671番)に何故かクリーブランド・インディアンスから名された。その時、何故か野球を生業とすることを選び、インディアンスにそのまま入団。マイナーリーグシーズン100三振以上を2回経験したのち、1997年MLB史上最も身長の高い野手としてメジャーデビューを果たす。当時のインディアンスには強打の一塁手ジム・トーミが在籍しており、2000年途中、ブルワーズに移籍するまでのセクソンは一塁の他、外野手DHとして出場する事も多かった。

インディアンス1998年1999年と2年連続で地区優勝を果たす。特に1999年はセクソン自身初めて100試合以上(134試合)に出場。31本塁打・117三振を記録し、地区優勝に貢献した。ポストシーズン出場の経験はこの2年のみ。ポストシーズン通算打撃成績は、17打席 14打数 1安打 1打点 7三振。2年ともワールドシリーズには進出出来なかった。

2000年途中、3対4のトレードでミルウォーキー・ブルワーズに移籍。翌年2001年には45本塁打178三振リーグ2位)という活躍を見せた。シーズン45本塁打は、2007年プリンス・フィルダー50本塁打を放って塗り替えるまで、1979年ゴーマン・トーマスと並ぶブルワーズの球団記録であった。

2002年シーズン7月第4週に打率.550・2本塁打・9打点の活躍で週間MVPに選出される。翌2003年2001年と並ぶ45本塁打リーグ4位の151三振マーク。また、2002年2003年オールスターゲームに選出された。2年連続でホームランダービーにも出場。2002年は準決勝のサミー・ソーサとの対決に1本差で敗れ、2003年は第1ラウンドで1本しか打てず準決勝に進出出来なかった。オールスター本戦でも本塁打はおろか三振すら出来ず、らしさを出す事が出来なかった。

2003年シーズン終了後、3対6の大トレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍。しかし2004年は左肩の状態が思わしくなく、長く故障者リストに入っていた為、23試合9本塁打21三振という成績でシーズンを終えた。

2004年12月15日フリーエージェントシアトル・マリナーズに入団。この2日後には前年ナショナルリーグ最多本塁打いたエイドリアン・ベルトレフリーエージェントマリナーズに入団しており、右打者不利といわれるセーフコ・フィールドを本拠地とするにもかかわらず両右打者の大砲を高額で補強した事が話題となった。また、当時イチローなどの日本人選手が所属していたマリナーズに入団した事で、日本でもセクソンの名を知る者が増える事となった。

マリナーズ所属1年2005年シーズンは、39本塁打・121打点の成績に加え、167三振を記録。2位に27個の差をつけ、自身初のリーグ最多三振いた。かつてマリナーズにはチーム殿堂入り選手である"ボーン"ことジェイ・ビューナー(1996年1997年リーグ最多三振)や、セクソンと同じ背番号44をつけていたマイクキャメロン2002年リーグ最多三振)がおり、見事シアトル三振王を継承する事となった。なお、この年はマリナーズチームMVPにも選ばれている。

2006年は前半に調子を崩すものの、後半は合わせで持ち直し、34本塁打104打点・154三振リーグ2位)を記録した。


■sm2159651[ニコ動]

2007年打率が低迷。日本では「身長打率」、シアトルでは「外局番(シアトル外局番は206)」などと揶揄された。また、セーフコ・フィールドでの試合では打席に立つと、シアトルではしい地元ファンからのブーイングを浴びる事もあった(右動画参照)。さらにはシーズン途中に、インディアンス時代から可がってもらっていたマイク・ハーグローブが監督を辞任するなど、踏んだり蹴ったりのシーズンとなった。監督ジョンマクラーレンに変わると、打順クリーンアップから外される事も多くなり、9月9日からは故障者リストにこそ入らなかったものの表向きは足の離れで試合を欠場。そのままシーズンを終えることとなった。結局、シーズン最終打率は自身の身長外局番の間(.205)であった。

■sm7712051[ニコ動]

2008年マリナーズで開幕を迎えたが、遂に乱闘騒ぎを起こしてしまう。5月8日に行われたテキサス・レンジャーズ戦の4回裏、第2打席でレンジャーズ先発投手ケイソン・ギャバードの投球がややインコース寄りの高めを通過。その後は左動画を参照されたし。この打席の前には、この日マリナーズ先発投手であったフェリックス・ヘルナンデスレンジャーズ打線に2つの死球を与えていて、セクソンがこの投球を報復であると捉えたとも考えられる。この一件により一時はメジャーリーグ機構側から6試合の出場停止との処分が発表されたが、セクソン側がマリナーズにとって行うメリット異議申し立てを行い、出場停止は5試合に軽減された。このシーズンも打撃成績は低迷し、シーズン途中の7月10日マリナーズ解雇された。しかし同15日、対左投手や守備固め要因としてニューヨーク・ヤンキースが獲得。8月5日には自身通算15本となる満塁本塁打を打つなどしたが、同15日に再び解雇された。

その後の安否は不明であるクソンの動静を確認することは難しくなっていたが、元MLB投手アランエンブリーヘッドコーチを務めるサミット高等学校野球チームアシスタントコーチを務めている事実が確認された。2017年からはヘッドコーチを務めている。[外部]


年度別打撃成績



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最終更新日: 18/12/29 04:17
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