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三毛別羆事件


ヨミ: サンケベツヒグマジケン
掲示板をミル!
1087カキコ!
未成年の閲覧注意 この記事にはあんなことやこんなことが書かれていますので、
クマーとってもかわいらしいAAで中和しております。
うっかり見るとトラウマになる可性があります。
あと、議論せずにAAを追加、削除しないようにお願いします。

   ∩___∩
   | ノ      ヽ
  /      | クマ──!!
  |    ( __)  ミ
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三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月北海道前村三毛別六線沢(現前町三渓)で発生した(ゆうがい)事件である。六線沢熊害事件、苫前羆事件ともいう。

冬眠失敗したヒグマが集落を襲い、死者7名、重傷者3名を出した。日本史上最悪の獣害事件として知られる。


概要


※記事内容が非常に長いものになるので、事件のあらましを記述します。日付をクリックすると、ページ内のその日、あった出来事の詳細へと飛びます。

日付
11月 クマが三毛別六線沢集落に出没。退治しようとするも、弾をめただけで仕留め損ねる。
12月9日 クマ太田三郎宅に出現。太田にいた1人が殺される。
また、もう1人が殺された上クマに連れ去られる。
12月10日 クマから遺体を奪還するために遺体の捜索隊を組織。遺体を奪還することに成功する。
クマが通の最中の太田に出現。を放ったため、クマは驚き、逃亡する。
太田の隣の明太郎宅に逃亡したクマが出現。5人が殺され、3人が重症を負う。
12月11日 警察、村役場、野管理局に協を仰ぐことを決定。
12月12日 北海道庁にの報告が入る。羽警察分署長、貢の揮により討伐隊が組織される。
被害者の遺体を囮に用い、をおびき寄せる作戦を取る。しかし、失敗に終わる。
12月13日 クマが集落の農家10軒ほどに侵入。その、討伐隊がクマと遭遇するも仕留め損ねる。
12月14日 クマの被弾を確認し山狩り
宗谷サバサキぃ」こと山本兵吉の弾を受け、クマは絶命する。

事件は北海道天塩前村の開拓地、三毛別の地の六線沢で起きた。現在留萌振興局前町三渓となっている。日本海沿から30kmほど内陸に入ったところに在する。


被害者一覧


※( )内は事件当時の年齢。

死者 重傷者

11月


11月初旬、三毛別の開拓者池田富蔵宅にて大きな物音が聞こえてきた。外に出ると、どうやらクマが出没したらしい。が驚き暴れたため、クマ逃げた。その為被害は少しのトウモロコシに止まった。

           ムシャ
             ムシャ
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この当時、開拓地では野生動物の襲撃は日常茶飯事のことであった。ところが、この時ぬかるみに残った足跡は非常に大きいものであること、すでにになりかけている時期にクマが現れたことに池田はとても驚いたという。

20日を過ぎたころにもクマは出没し、恐怖した池田は三毛別の2人のマタギ喜八、金子富蔵と協してで待ち伏せをすることに決めた。マタギたちはそのクマを「持たず」、つまり冬眠失敗したヒグマだと推測した。ヒグマの中でも大きい個体は、冬眠のための自分の身の丈に合ったを見つけられず、冬眠に失敗することがあるという。

30日の午後8時ごろ、またもやクマは現れた。は制止したが、金子はこれを聞かずクマに発した。しかし、弾丸はクマめるばかりで結局クマを取り逃がしてしまう。闇へとクマのものであろう血が点々と続いていた。翌日、クマを追跡するものの地吹雪が強くなってきたため断念することになった。

これが、悪夢の前兆であることは、もが気づかなかったのだ。


12月9日


最初の被害は三毛別川上流、六線沢の太田三郎宅で起きた。太田の寄宿人、長要吉(通称・オド)が食を食べようと太田に戻ると、屋内が妙に静まり返っている。囲炉裏の側には太田に預けられている6歳の見幹雄が前屈みに座り込んでいる。オドは幹雄が狸寝入りをしているものだと思い、大をかけたが、それは間違いだった。オドがよく幹雄の顔を覗き込むと喉の一部が抉られて、顔の下部に固まった血が盛り上がっている。側頭部には親大のが開き、幹雄は既に事切れていたのだ。

これに呆然となったオドは、に返ると太田三郎内縁の妻阿部マユの名前を大で叫んだ。しかし、答える者はいない。ばら撒かれた小豆馬鈴薯、血に塗られたまさかりなどがあるのみである。血は外の御料まで点々と続いた。

オドは下流の氷(すがばし:移動のため、期に氷で作られた。開拓時代の北海道ではよく見られた)の架現場に走る。騒ぎを聞きつけた男達が太田を調べると、どうやらこの被害クマによるものらしい。マユはどうやらクマに連れ去られたようだ。手形の付いた血がマユが必死に抵抗したことを如実に、そして生々しく物語っていた。

午前10時頃、三毛別の青年松永太郎太田の前を通り過ぎたが、何も異常はなかった。しかし、11時頃にまた太田の前を通ると血と、何かが引きずられた跡があった。松永はこれをマタギうさぎか何かを仕留めて引きずってきたものだろうと思い見過ごしたが、ともかくこの言よりクマに襲われたのは午前10時から11時の間と推測される。

男達は幹雄の遺体太田の寝間に安置し、太田の隣(といっても500mほど離れている)の明に身を寄せ、善後策を話し合った。もう既に日が傾き、クマを追跡するのは難しかったのだ。

この時点で被害者は2人。

も想像し得なかった悪夢が、ここから始まったのである。


12月10日



捜索隊・クマとの遭遇


が明けるのを待ち、役場や警察、幹雄の両親への連絡のために使者を送ることになった。北海道は広い。一番近くにある古丹別の駐在所まで19km、前村役場までは30kmも離れているのだ。当然、連絡するための使者が必要になる。くじ引きで中川孫一が使者に決まったが、中川は気が進まない。中川は人のいい斉藤五郎に使者の役を代わってくれるよう頼み込んだ。結局石五郎が使者に決まった。石五郎の妻子は明に避難することになった。

五郎が出発すると、男達はクマ退治とマユの遺体の捜索・奪還のために30名ほどの捜索隊を組織した。既に太田報は集落中に伝わり、集落は大きな騒ぎとなっていた。

捜索隊はトドマツの生い茂る御料へと入っていった。太田より150m程進んだ時だった。やや小高い場所にあるトドマツの根元にい塊が見えた。それが、件のクマであった。巨大で、胸のあたりには懸けのようにい斑がある。

クマは捜索隊へと襲いかかる。あまりに近い場所でクマの襲撃にあったため、捜索隊の男達は仰し、焦燥した。喜八、金子富蔵ら5人のマタギ猟銃を放ったが、を発射できたのはその内、喜八のみだった。の手入れが行き届いていなかったのだ。

怒ったクマに対し、捜索隊は逃げ惑い散り散りになった。しかし、クマはどうしたことか向きを変えて逃げ出していってしまった。

逃げ出した者たちが戻り日も傾き始めた頃、捜索隊がめて付近を調べてみると先刻クマが襲撃してきた辺りのトドマツの根元付近にトドマツの小枝が積み重なっている。血を染め、。死臭が辺りに立ち込めていた。小枝の間からはマユの片足、そして黒髪が僅かに覗いていた。マユは既にクマにより食いつくされていたのである。

マユの遺体はようやく太田へと戻ったのである。変わり果てた姿で。


太田家・通夜への襲撃


太田ではその日の内に速、幹雄とマユの通が執り行なわれることになった。しかし、集落の者は恐怖のあまり太田へ近づかない。参列者は村からやってきた幹雄の両親など、9名だけであった。

では太田太田三郎は変わり果てた2人の姿を見て男泣きをしていた。幹雄の両親も放心状態であった。

が終わり、8時頃。マタギ喜八が訪れ、悪態をつきながらも参列者たちを励ました。喜八は口は悪いが気が良く、集落のからもされていたという。

その30分後、8時半頃のこと。幹雄のチセが参列者にの酌に回っていた時だった。辺りをつんざく音が太田を揺らした。

を突き破り、い塊が太田へと押し入ってきたのだ。件のクマであった。クマは2人の入った棺桶をひっくり返した。部屋に幹雄とマユの遺体が散らばった。クマ人間の味を覚えたのである。その為、遺体を奪還しに来たのだ。

居合わせた斉藤信之助が絶叫した。クマの出現に驚愕した人々は皆悲鳴を上げ、ある者は天井の梁へと、ある者は便所へと散り散りに隠れた。を持ち込んでいた堀口清作がを放つと、さしもクマも驚き、の外へと逃げ出して行った。太田から300mほど離れた中川家で食事をとっていた50人ほどの男達が騒ぎを聞きつけ太田へと駆けつけた。

因みに、この時幹雄の実である嘉七は妻であるチセ踏み台にして屋根の梁に一散に逃げたという
その後、嘉七は生涯に渡りチセに対して頭が上がらなかったと他ならぬチセさん本人が木村盛武氏の取材の時(当時82!)に言している…。

何がともあれ太田の9人は九死に一生を得た。

しかし、隣の明にはい脅威が刻一刻と迫っていたのだ。


明景家・残された者たちが遭遇した惨劇


太田で騒ぎがあったすぐ後のことである。隣の明では救援隊が集まることになっていた為、残された女子供たちが救援隊に振舞う夜食を作っていた。当太郎の妻、明ヤヨ。オドこと長要吉。警察へと向かった使者斉藤五郎の妻、斉藤タケ。また明斉藤子供たち合わせて10名が明にいた。当の明太郎は所用で不在であった。

にいた人々は既に太田での騒動を聞いていた。「クマは火を恐れる」という迷信に従い、どんどんをくべ火を燃やしていた。

一方太田に集まった人々は、なんとなく付近にクマがまだ潜んでいるような気がしていた。そんな時、午後8時50分頃のことだった。

からしい物音と絶叫が聞こえてきたのだ。

では巨大なヒグマが居間へと崩込んで来ていた。たちまち焚き火クマによって消され、居間はっ暗闇と化した。赤ん坊の四男明吉を背負った明ヤヨが前へとつんのめった。この隙をクマは見逃さなかった。クマ吉に噛みついた。さらにヤヨに乗りになり、ヤヨの頭、顔に思い切り噛み付いた。クマはさらに側にいた次男の明勇次郎にも噛み付こうとするが、ヤヨが邪魔になり、思うようにいかない。

その時、オドが外へ向かって逃げ出そうとしていた。これを見るや否やクマは標的をヤヨ親子からオドに変えた。ヤヨは必死に勇次郎をって逃げた。クマは凄まじい勢いでオドに襲い掛かった。逃げることわずと見たオドは咄嗟に物陰に隠れも、クマには通用しなかった。クマは物陰へと入り込み、オドののあたりに噛み付いた。から右股にかけてのを抉り取ったのである。オドの絶叫いた。


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最終更新日: 16/12/31 05:12
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