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丸岡城


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丸岡城とは、福井県坂井市にあるである。重要文化財日本100名城日本さくら名所100定。別名「」。


丸岡城の特徴


丸岡城
重要文化財
日本100名城 36
日本さくら名所100
[画像を見る]
丸岡城 守外観
形式 平山
石垣の形式 面積
守階層 二層三階
守の高さ 12m
柴田勝豊
推定築 1576年
(正2年)

日本の中で現存12天守に数えられ、北陸地方守が現存する福井県の名である。推定建築年が1576年(正4年)で、現存12天守の中では日本最古守であるとされる。
現在は「公園」として整備され、守へは有料で拝観することができる。

丸岡城は標高27mの独立丘陵に建てられた。平山形式で建てられ、守は高さ12m、二層三階からなる独立式望楼守で建築された。
石垣戦国時代によく見られる野面積石垣建築方式の1つ。戦国時代安土桃山時代にかけて重用された方式で、自然石を加工でバランスよく積み上げる方法。加工されていないため、ところどころに細かい隙間ができるのが特徴である。その反面、はけが非常によく、で崩れにくいメリットがある。(のづらづみ)で組まれ、その高さは約6.2mまで達する。
屋根は笏福井県で産出される緑色を帯びた凝岩。(しゃくだにいし)と呼ばれる県産の石を使用した石瓦で葺いている。この屋根に石瓦を葺くスタイルは、現存十二天守の中ではである。ちなみに、石瓦の使用枚数は約6000枚あり、一枚あたり約20kg~50kgの重量がある。このため、守にかかっている石瓦の総重量は120トン以上あると推定されている。
また、瓦にも笏石が使用されており、東側のが「」の口、西側のが「吽」の口で彫られ、東西で「吽」の形になっている。

120トン以上もの重量が守にのしかかっているのにも関わらず、大柱となる通し柱建築において大柱となる柱で、通常は階を突き抜けて組むが、丸岡城はそれ自体がしい構造となっている。が一切ないのも石瓦と並んで丸岡城の特徴の1つとなっている。代わりに、1階の身舎入側(通路)で囲まれた室内のこと。(もや)と呼ばれる部分に6本の立柱が組まれ、これが守全体を支える役を果たしている。

1948年(昭和23年)6月28日に発生した福井地震では守が倒壊してしまい、石垣も崩壊するという未曽有の被害が出てしまうが、元あったの建材の70%を使用して復元、石垣現在熊本城のように資料や写真を参考にして組み直し、1955年(昭和30年)に全修復に成功した。このことから、「不屈の名」としても知られている。

現在では丸岡城を宝にしようという運動が活発化しており、「丸岡城守を宝にする市民の会」という一般社団法人も設立されている。

また、守周辺には400本ものソメイヨシノが植えられており、は薄桃色じゅうたんから顔を出した守の色を見ることができる。この色が評価され、「日本さくら名所100選」に選定されている。ちなみに福井県ではこのほかに足羽・足羽山公園が選ばれている。
そして4月には丸岡城まつりが開催され、多くの花見客で賑わう。

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丸岡城を再現したジオラマ
形のおが特徴的である。
実際に使われていた丸岡城の石瓦

丸岡城天守内の構造


守は二層三階構造となっており、階によってそれぞれ違った間となっている。


天守一階


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守一階は身舎(もや)と入側(いりがわ)を配した間となっている。身舎は20坪ほどの長方形の部屋で武者走の内側にある。構造的には四部屋の形ではあるが、敷居、鴨居、引き戸が一切入っていない開放的な間となっている。また、この身舎中央には守の大柱となっている6本の掘立柱が並んでおり、これが守の自重を支えている。

身舎の周りに配した間が入側で、武者走(むしゃばしり)とも呼ばれる。幅は約1.8mあり、通路状の部屋となっている。この間には戦に関わる設備が勢いしており、敵をで狙い撃つとなる狭間(さま)、石を落として敵を妨する石落としの出を搭載している。

守入り口前には必ず縄をつたって登らないといけないほど急な階段があり、ここから二階へ行くことができる。

現在では丸岡城に関する歴史資料や実際に使用された石瓦のサンプル、重要文化財書が展示されている。

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狭間 石落とし
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二階への階段。どれだけ急な階段であるか一瞭然である。

天守二階


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縄をつたって急な階段を登りきると、一階よりやや狭い二階が現れる。

二階は一階の約1/3にあたる12坪の広さしかない。また、周りに入側を擁さず、代わりに東西に破風部屋(はふべや)と呼ばれる破簡単に言うならば、寺社や屋根にある三角形の小屋根のこと。破風部屋はその中にあり、現代で言うならば屋根部屋に近い間である。内を利用した狭い部屋と、南北に切妻屋根の出部屋が配されている。出部屋は戦が起きた際、ここにこもって一階から上がってきたところを襲撃する場所であったと推定されている。

また、一階にある6本の掘立柱で守の自重を支えているため、本来あるはずの通し柱が一切が存在しない構造となっている。ちなみに四隅の柱と中央にある二本の柱は通し柱ではない。

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二階にある出部屋

天守三階


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最上階にあたる三階は、二階と同じ広さの間となっている。三階にも二本の柱が間中央にあるが、二階とは繋がっていない。外は柱を外に見せる塗り、周りに欄干のある縁側をつけた古な造りとなっている。長押守三階写真に映っているに配した柱で、日本建築ではよく見る構造の柱。構造を補強する役割がある。(なげし)には飾り具がついているが、天井られておらず屋根組みがむき出しになっている。

戦の際は物見の役割を果たしたとされ、四方のから越前丸岡色がよく見える。

北方向には丸岡校「章館」を前身とする坂井市小学校が見える。
西方向は三方面となり、晴れていれば日本海が望める。またこの方面には泰澄が創建した称念寺や坂井市を代表する文人、中野重治の生跡がある。
南方向には福井市永平寺方面が望め、眼下には本多4代がられている本院、有馬られている寺が位置する。また、応天皇有馬晴信を祭とする神社もこの方向から見える。
東方向は勝山・白山方面となり、北陸自動車道丸岡高等学校が見える。


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西[画像][外部] [画像][外部]
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丸岡城歴代城主及び丸岡藩歴代藩主一覧



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最終更新日: 20/09/29 17:24
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