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刀は武士の魂とは、フレーズの一種であり、日本刀やブシドー関係の話題などでたまに出てくる。
慣用句としては大小は武士の魂があり、意味合いはほぼ同じ。またかつては両腰は武士の魂という表現もあった。
実際には「武士の魂は(が)刀」、「刀が武士の魂」あるいは「日本刀は武士の魂」など表現・表記に揺れがあるが本記事では、「刀は武士の魂」に統一する。
刀、すなわち日本刀は武士にとって魂を司るほどに大切なものであるといった意味合いで用いられることが多い。古来から存在する思想であるかのように思われがちであるが、「刀は武士の魂」という認識が生まれかつ普及したのは、武士という制度が消滅した近代以降である。(ただし、言葉自体は江戸時代後期辺りの文献に現れるらしい。)
現代では「刀」、「日本刀」というと太刀・打刀といった刀剣類を想像する事が多いが、平安時代~室町時代までは「刀」という言葉は基本的に短刀を表すことが多かったし、「日本刀」という呼称も長らく大陸での使用が中心であり、日本国内では一般的ではなかった。少なくとも当時は刀剣類を示す言葉にはだいたい「太刀」、「剣」、「利剣」、「刃」…等の文字を当てていた。
(「刀」が刀剣類を表す事が多くなったのは戦国時代からとされ、また「日本刀」という語が国内で広く使われ出すのは幕末である。)
▲刀は武士の魂の前身とも言える「刀は武士の象徴」という意識が生まれたのは早くとも、豊臣秀吉が行った刀狩り以降である。
それより前の時代…みんな大好き戦国時代では弓矢が武士の象徴という認識が強く、優れた武士のことを弓取りと呼ぶほどだった。これは歴史上に武士が現れてから豊臣秀吉による刀狩り令以前までの全期間にわたり、このような思想が変わることはなかった。
刀剣類は寺社に捧げたり祭器として祀る等神聖視されてきたいっぽうで、戦場での主役は弓矢をはじめとする飛び道具であって、刀剣類は脇役、剣術は役立たずであり、精神的な要素が強いものだったといわれることもある。
しかし、武士同士の戦争や抗争が多発した鎌倉時代・室町時代・戦国時代というのは、強盗はもちろん、些細な口論から他人に暴力をふるい殺害するような人が身分問わず多かった時期でもあった。
(平安時代末期には既に、太刀は男子必携の道具であるという認識があり、就寝時には太刀を枕元に置くのが習慣化していたとされる。)
そのため戦争のない平常時であっても喧嘩の道具護身用として重宝され、武士だけでなく僧侶や農民といった多くの人々が刀剣を携帯した。少なくない武将が兵法家と呼ばれる人々を雇い剣術を修練したのは、このような時代背景があったからでもある。
確かに戦場では脇役であったが、長巻や大太刀といった戦場に特化したタイプのものが使われていたし、ほとんどの兵士は長柄武器や飛び道具と同時携帯していた。また刀剣類で武功を上げれば「一番太刀」「太刀打高名」と呼ばれ、槍が正規の武士に広まるまでは第一の武功だったとも言われる。(槍の場合は「槍の高名」「一番槍」という。こちらの方が有名であり、やがてこれらにとって変わられる)。
同様の言い回しに「大小は武士の魂」があるが、この大小というのは、打刀と呼ばれる大きめの刀と、脇差と呼ばれる小さめの刀の組合わせのことである。 このセットは室町時代には原型が存在し、やがてこのスタイルを大小2本差しと呼ぶようになっていく。
豊臣秀吉や徳川家康によって武士はこの大小2本差しが義務化し、武士の象徴化した。(なお18世紀初頭の演劇「国姓爺合戦」の一節には大小は武士の魂と同じニュアンスである「両腰は武士の魂」という表現が登場する。)
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