ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


北海道日本ハムファイターズ


ヨミ: ホッカイドウニッポンハムファイターズ
掲示板をミル!
643カキコ!

北海道日本ハムファイターズとは、日本プロ野球パシフィック・リーグの球団である。現在監督栗山英樹2012年~)。

本拠地は札幌ドーム。 他にもスタルヒン球場など北海道内の球場2003年までの本拠地であった東京ドームでも催試合を行う。

概要

パシフィック・リーグ
北海道日本ハムファイターズ
基本情報
創設 1946年
本拠地 札幌ドーム
一般略称 日本ハム
アルファベット F
優勝回数
リーグ優勝 7回
日本一 3回
アジアチャンピオン 1回
セ・パ交流戦 1回
経歴
球団組織
運営 日本ハム
オーナー 末沢寿一
プロ野球球団テンプレート

1946年に再開されたプロ野球に新規加盟したセネタース(東京ネタースの直系ではないが、関係者が設立に関わっている)をルーツとする。後に大スターとなる大下弘も球団設立と共に入団した。しかし財政難のためわずか一年で東京急行電鉄に身売りとなる。

1947年より東急フライヤーズと球団名をめ、翌年は大映との共同経営となったため急映フライヤーズ称する。ところが大映が他球団買収で撤退したため、わずか一年で元の東急フライヤーズに戻った。

2リーグ分立(1950年)ではパ・リーグに加盟。1953年9月には専用球場である駒沢野球場を開場し、翌1954年よりグループ企業東映が球団を運営する東映フライヤーズとなった。

チームは設立以降低迷を続けたが、1960年三原監督率いる大洋ホエールズに敗れて読売ジャイアンツ監督を辞任した原茂を監督に招聘する。1961年から7年間Aクラスを維持し続け、1962年には球団初の日本一にもいた。しかし原が1967年を最後に退任し、1968年より大下弘監督に就任するとチームは一気に低迷を始める。

1970年には黒い霧事件安敏明投手を失い、翌1971年8月17日オーナー大川博が急逝する。そして新たにオーナーとなった岡田茂は1973年1月に日拓ホームに球団を売却、こうして東映フライヤーズは消滅した。

日拓ホームフライヤーズはわずか一年で日本ハムに身売りし、1974年より日本ハムファイターズとして新たな船出となった。「駒沢の暴れん坊」や「東映やくざ打線」と呼ばれた東映チームカラーを払拭する必要性を痛感した球団社長三原脩は、選手の一掃に乗り出す。初年度終了後に大杉勝男大下剛史を放出し、残った張本勲も二年終了後に巨人とのトレードで退団した。

1976年から監督に就任した大沢啓二の下で、チームは徐々に地を付けていく。1978年には野村克也解任の煽り柏原純一南海ホークスから移籍してきたことで打線に厚みが加わり、二年島田の急成長やボビー・ミッチェルの本塁打王獲得などもあって球団創立以来初のAクラス(前期3位・後期4位、総合3位)となった。

東京時代まではパ・リーグ内でも不人気球団であったが(「日本ハムロッテ」が席が多いことの例えとしてネタにされるほどだった)、2004年北海道へ移転し、北海道日本ハムファイターズとなる。それ以降はSHINJOダルビッシュ有中田翔多田野数人斎藤佑樹ら注度の高い選手の入団や森本稀哲糸井嘉男などネタ性の高い選手の台頭、 2006・2007年リーグ連覇などで地域密着に成功。知名度および観客動員数の両面で球界屈人気球団にまで成長した。近年は催試合の均観客動員数では読売ジャイアンツ阪神タイガース福岡ソフトバンクホークス中日ドラゴンズに次ぐ12球団中5位、パ・リーグ2位につけている。成績的にも札幌移転13年でAクラス10回、うち優勝5回と勝てるチームへ変貌を遂げた。

球団の特徴としては上記のように個性的な選手が多く、横浜ベイスターズには及ばないが、パリーグの「ネタ選手」輩出球団である。また球団マスコットエロズリーの存在もネタ球団としての評価を煽る要因ともなっている。一方、選手の大半が入団から数年で台頭してきた選手であり、飛び抜けた実績を持つ選手は多くないため、一部のネタ選手以外は今ひとつ地味イメージもつきまとっている。

戦力面

1990年代2000年代前半はビッグバン打線と呼ばれる強な打撃を売りにしており、地味ながら3回も2位に食い込んで優勝争いをする一方、投手に不安を抱えBクラスに転落することも多く強いのか弱いのかよくわからない球団であった。

北海道移転後は広い札幌ドームを本拠地とするためか従来の持ち味であった長打に頼る野球を捨て、投手と守備、機動で1点を守り抜く戦い方に路線変更しリーグ連覇する強にまで成長。2000年代前半と本塁打数は減したが、ダルビッシュ有武田勝武田久らを中心とする投手金子誠田中賢介小谷野栄一森本稀哲SHINJO稲葉篤紀鉄壁の守備を擁し、数年でチームカラーの刷新に成功した。
この反面、SHINJO田中幸雄小笠原道大フェルナンド・セギノールらスラッガーの相次ぐ退団で深刻な投高打低に悩まされ、投手や守備に負担が掛かっていた。

しかし、近鉄いてまえ打線リーグ制覇した梨田昌孝監督に就任した2008年は、優勝を逃すも懸案だった貧打が解消に向かい、2009年は勝負強いアベレージヒッターの並ぶ打線に成長。2006年から推し進めた機動を生かす堅実野球と上手く噛み合い、パ・リーグ随一の攻撃を誇るまでに至った。
現在本塁打こそ少ないものの貧打のイメージは既になく、一発こそいが得点の高いチームとなっている。

フロントは1億円をかけて開発したという独自の選手評価システム活用し、選手のコストパフォーマンスを重視した編成をしている。監督にさえ編成に関する権限は一切なく、全にチーム編成はフロント導であり、稲葉篤紀以外は全員がトレード補」と言い切る徹底ぶりである。そのため、中堅どころの選手が微妙な立場になると高確率放出される。守護だったマイケル中村を筆頭に、金村暁押本健彦工藤隆人稲田直人江尻慎太郎高橋信二など、少し前まで一軍で活躍していた選手があっさりトレードに出されることが多い。2012年オフには中のである糸井嘉男をトレードで放出して各方面に衝撃を与えた。また前述のマイケルフェルナンド・セギノールターメル・スレッジのように高年俸の外国人選手もコスパが悪いと判断すればなく手放す傾向にある。フロントが商売上手と取るか、ドライと取るか。ただ、トレードで獲ってきた選手が活躍する例は多くないのでトレード上手とは言い難い。

トレードの相手は何故か読売ジャイアンツが非常に多く、FA選手も含めて2011年の一時期には巨人元日ハムの選手が9人もいた(MICHEAL藤井秀悟須永高橋信二實松一成小笠原道大古城茂幸紺田敏正工藤隆人)。前述の通り選手を動かすことに積極的であるため、他にも他球団でになっている元日ハムの選手は多い。

過去スキャンダルを起こした(二岡智宏林昌範ダルビッシュ有多田野数人など)ことがあったり、社会性や人間性に難(中田翔小谷野栄一八木智哉糸井嘉男など)があるという評判の選手もわりと積極的に獲得に行く傾向にある。単純に実績重視で獲得しているとも言えるが、問題を起こし球団のイメージダウンに繋がりかねないとの評価も有り、ファンの間でも賛否両論といった所もある。とはいえ日本ハム入団後に大きなスキャンダルを起こした選手はあまりおらず、やんちゃだった選手も気が付けばそれなりにしっかりしたになっており、矯正は高いと言われることも(単に矯正できなかった選手はさっさと放出されているとも言える)。

ドラフトに関しては「その年の一番良い選手を取りに行く」という方針を取っている。この方針は徹底しており過去には「巨人以外の名は全て拒否する」と宣言していた菅野智之名権を獲得できたが宣言通り入団拒否)、「メジャー以外には行かない」と宣言していた大谷翔平(他球団は一切名せずに単独名に成功、栗山英樹監督の説得もあり入団)等を強制名し、物議を醸しだした事がある。この方針のためか、名が他球団と被る事も多い。

ちなみに2018年まで、12球団で育成選手を一度も保有したことがなかった。支配下登録選手数も上限の70人に少し余裕を持たせた6567人程度にしているが、これは保有する選手数を絞ることで個別の出場機会を増やすためだったそうである。2019年からは育成選手を保有する。

関係者

首脳陣

一軍 二軍

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示[外部]があるまで編集しないでください。


次へ»
最終更新日: 19/02/02 18:36
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:大百科ニュース社