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呉起


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呉起(ご・き ? ~ BC381)とは、中国戦国時代政治家・軍略であり、

「諸侯と大いに戦うこと七十六、全勝すること六十四」

の成績により、兵法の代表的人物「孫武」と並ぶ者として、「孫呉の兵法」と呼ばれる

呉起、儒して、兵機をもっての文侯に見ゆ」

から始まる兵法書「子」の原作者として名前を断使用されるなど、数奇な運命やがらみの失敗に定評がある

三國志11 統率 政治 特技 戟兵 騎兵 兵器
呉起 97 70 95 96 67 A A A B A A

破門から始まる物語


衛の・左氏の富に生まれ、魯のに渡って孔子子である曾子こと曾参の子・曾申に師事して、儒学を学んだ。

後に呉起誹謗中傷する者達から、この頃の呉起の事を、

といったデマを流された事があるが、呉起は魯で勉学に励む中、母親との約束を守る為かそれとも大量殺人の実行者として帰れなかったのか、母親の死の際その葬式に帰らず喪にさなかった為、「孝」を最重要視する儒学の師匠・曾申より

その情や、薄し

として破門となった。

破門後も故郷には戻らなかった呉起は、孫武の子孫が兵法を教え、兵司馬穰苴の「司馬法」でも知られる斉のに入って軍略を学んだ後、魯のに戻って魯元のもとで権勢を振るう季孫氏に仕えた


自業自得の出奔


魯のに斉軍が攻め込んできた時、兵法に長ける呉起将軍にしようとする動きがあったが、呉起の妻が斉出身のだった事から、本気で戦わないのではと疑われた呉起は、出世のチャンスを逃さないぞとばかりに妻を殺して魯の信頼を得、将軍に抜された呉起は斉軍を破った。

しかし、妻を殺した事が「残だ」と至極当たり前な評判となり、魯と祖先を同じとする衛のの生まれながら、母親の葬儀にも帰らず故郷を捨てた者が将軍だと、魯と衛の関係が悪くなるとまで言われだした。

結果、魯もかばいきれなくなり、また呉起自身もある者より、

死者は、死んだばかりの時には血が流れているが、血が尽きると体は縮み、縮み終わるととなり、はやがて土に還る。
土に還ってしまうと死者はどうすることもできない。

と忠告され、季孫氏の権勢が長くないことを悟り、人材募集中だったへと向った。


魏文侯の問い


呉起が謁見する前に情報を得ようとした文侯は、重臣と呉起の事を問うと、

呉起は貪欲で好色ですが、用兵の巧みさは司馬苴もかないません。

と良いのか悪いのか解らないがとりあえず軍人としては使えます的評価を伝えた。

呉起に見えた文侯は、開口一番、

私は戦争が嫌いだ!

と、あえて兵である呉起不要論を唱えてみたところ、呉起は、

私は、外に現れた事を見て内に隠れる事を察し、過去を知って未来を予見出来ます。

と自信満々に返答し、続けて、

とは、内に文徳を納め、外に武器を治める者です。
敵が迫っても進まないのは義と言えず、倒れた死体を見て哀しむだけでは仁とは言えません。

と答えて、文侯の面接クリアし、将軍となった。


呉起のためなら死ねる


軍を率いた呉起は、を攻めて五つのを落とした。

軍中における呉起は、

といった士卒と労苦をわけあう姿を見せ、傷が膿んでできものを患っている兵士がいると聞けば、その膿を自ら吸い出した。

兵士は、

以前呉起)は、あの子のできものを吸ってくれました。
これに感謝したは、敵に後ろを見せずに戦って戦死しました。
私は、あの子のためにどこで戦死するものやらと、嘆かずにはおれないのです、

と慟したが、率いる軍に家族の様な強固な関係を築かんとする呉起の姿勢に、「呉起のためなら死ねる」状態な兵士が続出し、

呉起の兵を用いるや、五万に過ぎざりき

として大軍を率いて油断せぬようにと、5万の兵を揮して戦った呉起の軍は連戦連勝した。

呉起の才を認めた文侯は、と戦うにあたって要となる西河の地を呉起に与えて守らせる事にした。


呉起の軍制改革


文侯が没し、武侯が即位すると、西河にて下りを行った際に、武侯は、

この険阻な山河はなんと美しいのだろう。
これこその宝だ。

と、地形に守られているのだと認識しているような言を漏らすと、呉起は、

を守るのは、人の徳であって山河の険ではありません。
もしも君が徳を修めなければ、いまこの船にいる者は尽く敵となるでしょう。

ダイレクトアタックツッコミを行い、武侯も「その通りだ」と認めた。

自らの言に従っての軍制革を行った呉起は、

と言う「武卒」と呼ばれる精強な軍を作り上げた。

軍事のみならず政治面にも長けた呉起だったが、宰相の座を君ではい方の田文と争い、自らの方が

  1. 軍略
  2. 政治
  3. 威信

の要素すべてが田文より優れていると武侯に訴えると、三つとも呉起が上だと答えた田文は、続けて、

だが今の君は幼くして民からの信望も薄い。
このような状況においては、私と殿とどちらが大役を任されるだろうか?

と返し、呉起は現状においては田文に自分が及ばない事を認めた。しかし田文が亡くなって以降も、呉起は宰相に任じられることはなかった。


呉起の予言


田文が亡くなった後に宰相に任命されたのは、先代の文侯の女を娶った者で、自らの権勢を維持するには呉起が邪魔だと考えていた。

そこで呉起の愚直さと名誉を重んじる姿勢を利用して追い落としを画策し、まずは呉起に逃げぬよう武侯に対して、呉起女を娶らせるように進言し、自らは呉起を招いて宴を開いたさいに、女の妻に自分を罵倒させた。

進言を聞き入れた武侯からの打診を受けた呉起は、予想通り、宴の際の罵倒ぶりに、に敷かれるのを良しとしない名誉をぶ姿勢から辞退した。

この機を逃すなとばかりに、に逃げる為に女を娶る話を断ったと讒言された呉起は、武侯に疑われるようになり、罪を着せられぬうちにを去る事にした。

を去る時、呉起は、

君(武侯)は奸臣の讒言を聞いて、私を理解しようとしない。
ほどなく西河はにとられるだろう。
はこれから土を削られていくことになる。

と予言した。

※その後、により西河を失陥して滅ぼされた為、呉起の予言は的中することになる。

に行くのは、自らの名誉の為にならず、衛にも魯にも斉にも行けない呉起は、南方の楚のへと向った。


哀れな最期


呉起が楚を訪れるより前に、の軍と戦って大敗を喫していた楚の悼王は、呉起を王宮に招いて意見をめた。

楚に有り余るものは土地であり、足りないものは民です。
王は、たりないものをつかって、ありあまるものを増やそうとしています。
それが私には理解できません。

と答えた呉起は、続けて

大臣の権勢が強すぎますし、領も多すぎて、君を脅かし、民を虐げます。
これこそがくにを貧しくして兵を弱くするです。
封地を授けられた者の子孫は三代で返還させ、吏のを減らし、よけいな役職をして練達の士の俸給にすべきです。

と、有り余る土地に対して多すぎる管理職を整理して、農地を増やせば民も増えて富強兵万歳!になると献策した。

楚は、国家なところがあり、祭る者が多く、宗教国家な側面があった為、強になる為には法治国家に転換する必要があると呉起は考えていた。

呉起の言を聞き入れた楚悼王は、呉起尹(宰相)にして革を断行させた。

な特権階級の反発の中、革を進めた呉起の手腕により富強兵を成し遂げ、南は越をらげ、北は陳・蔡の二を併せ、三を撃破し、西はを攻めるまでになった楚だったが、ここで呉起不運が訪れた。

革の断行の支援者で、反発する者達から呉起を守っていた楚悼王が、中原覇者になる夢の途中で没してしまい、後ろをなくした呉起に対して恨みをはらす好機と見た者達が挙兵した。

革の断行の為に、楚悼王以外の後ろをあえて持たなかった呉起は、こうなってしまっては守ってくれる者がいなかった為、王宮に逃げ込み楚悼王の遺骸に覆いかぶさった。

お前は何をやっているんだ?状態な呉起に対して、乗り込んできた兵士達は

「まてあわてるな。これは呉起だ。」

と思うこともなく矢を射掛けて呉起を射殺した。この時、外れた矢と呉起の体を貫通した矢が、楚悼王の遺骸に刺さっていた。そして・・・

ジャーン!ジャーン!ジャーン!

死せる呉起は発動した。

楚悼王の後を継いだ粛王は、反呉起の兵が放った矢がの遺骸に刺さった事に激怒し、

と言う厳粛な成敗を行い、呉起を殺した者は報いを受ける事となった。

しかし、せっかく呉起によって法治国家となった楚だったが、同じような遇をむかえたの商鞅は、死後もその法はを強化する為に用いられ続けたのに対して、楚を強にした呉起の法は、呉起の死と共に葬られ、旧態に戻った楚は、中原を統一するフラグを立てることが出来なくなった。

こうして、栄不運を繰り返した哀れな人生を終えた呉起だったが、楚において亡きとの約束を達成したのは救いだったかもしれない。

その他「呉起」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。[外部] 


関連動画


架空戦記動画戦国三国志」に袁術の配下で登場。


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※近隣に、白起司馬穰苴が所属する陶謙軍がいる為、突が期待されている。 


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最終更新日: 09/09/26 03:43
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