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大久保忠隣


ヨミ: オオクボタダチカ

大久保忠隣1553~1628)とは、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将である。


概要


譜代の猛将大久保忠世息子。治部大輔相模守。

6年(1563年)の三河一向一の際に初陣し、徳川家康の近習となる。その後の今川への侵攻、の戦い、三方ヶ原の戦い、長篠の戦いといった軍事行動での名に恥じない武将としての役割を果たし、正18年(1590年)の関東の際武蔵羽生を得て譜代大名となり、文2年(1593年)には徳川秀忠の傅役となったのであった。

3年(1594年)に大久保忠世が亡くなると、の遺領を継ぎ小田原城6万5千石となる。関ヶ原の戦いの後には、徳川家康と叱責された徳川秀忠の間を折衝し、あくまでも伝承にすぎないが徳川家康が自分の後継者をにするかを諸将に訪ねた際、大久保忠隣は秀忠することなく推したという。

かくして慶長10年(1605年)に徳川秀忠将軍職を継ぐと、大久保忠隣も年寄となり活躍した。ところが慶長18年(1613年)に京都キリスト教徒捕縛を命じられて、慶長19年(1614年)にこれを遂行した数日後、板倉勝重から易の報せを受ける。小田原易されて、近江中村郷五千石の身を与えられることとなる。

この理由として大久保忠隣の養女であった石川康通山口重信の婚礼に許可を得なかったこと、豊臣と通じて謀反を起こす計画を馬場八左衛門が訴えたこと、などがあがっている。また本多正信との政争が背景にあるともいわれているが、相は不明である。

とはいえ、中村、次いで佐和山に移り、そのまま同地で没した。嫡男の大久保忠常はすでに亡く、大久保の復権は孫の大久保の代を待つこととなる。


補足


信長の野望」(PCシリーズにおける徳川忠長力一覧。

史実では武働きも多かったのだが、ほとんど政治屋である。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 63 戦闘 60 智謀 44 政治 74 野望 46
天翔記 戦才 124 智才 94 政才 152 63 野望 50
将星 戦闘 52 智謀 57 政治 71
烈風 采配 58 戦闘 35 智謀 46 政治 67
世記 采配 47 智謀 17 政治 65 野望 55
蒼天 統率 43 知略 18 政治 69
下創世 統率 39 知略 18 政治 69 教養 65
革新 統率 44 武勇 25 知略 20 政治 77
統率 44 武勇 25 知略 20 政治 77
創造 統率 44 武勇 39 知略 29 政治 75

関連項目



最終更新日: 19/09/03 02:03
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