ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


大久保秀昭


ヨミ: オオクボヒデアキ

大久保秀昭(おおくぼ ひであき、1969年7月3日-)とは、大阪近鉄バファローズに所属した神奈川県出身の元プロ野球選手捕手外野手)である。

現在慶應義塾大学野球監督


概要


慶應義塾大学野球監督 #30
大久保秀昭
基本情報
日本
出身地 神奈川県愛甲清川
生年 1969年7月3日
身長
体重
176cm
78kg
選手情報
投球・打撃 右投左打
守備位置 外野手捕手
プロ入り 1996年ドラフト6位
引退 2001年
経歴
選手歴 監督コーチ
プロ野球選手テンプレート

桐蔭学園高校では甲子園に出場できず、慶應義塾大学に進学。4年時(1991年)には将を務め、の連覇に大きく貢献した。翌年には日本石油に入社。1年からレギュラーを獲得し、軸として活躍した。1992年1993年1995年1996年と4度の社会人ベストナインを受賞した(92年のみ指名打者での受賞、それ以外は捕手での受賞)。なお、桐蔭学園慶應大学日本石油と元横浜ベイスターズの小桧山仁とバッテリーを組んでいた。

1996年アトランタオリンピック出場を希望し、日本代表入り。川村丈夫(元横浜)、杉浦正則(元日本生命監督)らとバッテリーを組み、日本メダル獲得に貢献を果たした。大久保は名実ともにアマチュア球界No.1捕手であった。

1996年ドラフト会議近鉄バファローズの6位名を受けた。蔭・慶・日石と野球エリートコースを歩んでいた大久保であったが、既に27歳とルーキーとしては高齢になっていた。その為プロ入りは心配されたが、「自分を評価してくれる球団があれば」あの人が語る ~わが青春に悔いなし~ | JX-ENEOS FAN | JX-ENEOS野球部[外部]」より。という思いで大久保近鉄に入団した。

ところが1年は右肩痛により1軍出場できず、期待を大きく裏切る形になった。大久保体は既にボロボロになっていたのである。捕手から外野手への転向を余儀なくされた。

翌年1998年5月19日に1軍入り。同日の対福岡ダイエーホークス戦で5番指名打者先発。初出場となった。3回裏・第2打席に西村龍次から遊撃手の頭を越すレフト前へのタイムリーヒットを放ち、これが初安打・初打点となった。これ以降大久保は左の代打の切り札として起用されるようになり、1999年には59打数18安打を放ち打率.305の好成績を残した。なお、この年放った2本の本塁打はどちらも西武ライオンズ戦で放ったものである。

だが大久保プロ野球選手としてのきはこれまでであった。翌2000年は5試合7打数で安打に終わり、2001年は一軍出場し。この年近鉄は劇的な優勝を果たすも、それを大久保戦力外通告を受けて現役引退した。プロ年数わずか5年。入団年と引退年は一軍出場なしなので、実働年数は3年である。アマチュア時代の守備位置であった捕手プロでは一度も守らず、代打指名打者での出場がであった。13試合の先発出場は全て指名打者での出場であった。

近鉄入団当時からチームメイトからの信頼は厚く、1999年から引退まで選手会長を務めた。2002年からは近鉄球団の広報となり、梨田昌孝監督の専属広報として活動した。2004年からは湘南シーレックス横浜ベイスターズ二軍)の打撃コーチを務めた。

2006年からは古巣・新日本石油ENEOS(現:JX-ENEOS)から要請を受け監督に就任。田澤純一ボストン・レッドソックス)を育てるなど、選手育成手腕は評価されており、2008年の第79都市対抗野球大会ではチームを全制覇に導いた。その後も2012年2013年チーム都市対抗優勝に導き、監督として3度の都市対抗優勝は史上最多タイ記録。

2015年からは校の慶應義塾大学野球部の監督を務めている。

夫人はタレントの大東めぐみ1998年結婚)。


指導した選手一覧



関連動画



■sm11127580[ニコ動]


関連商品


■az4780408865


関連項目



最終更新日: 19/08/24 21:08
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ