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大東亜戦争


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大東亜戦争とは、1941年12月8日の開戦から1945年9月2日の降伏調印までの大日本帝国と連合との戦いを呼称したものである。開戦後の1941年12月12日東条英機内閣支那事変日中戦争)を含めた名称として「大東亞」と閣議決定した事に由来する。

戦後になるとGHQの占領政策のもと「太平洋戦争Pacific War)」という呼称が使用され、現在ではこちらの名称が事実上の正式名称となっている。


大東亜戦争、太平洋戦争と言う用語


「太平洋戦争」という名称について

太平洋戦争という用には下記の様な批判が挙げられており、かといって「大東亜戦争」の使用にも抵抗がある場合には、支那事変日中戦争)と併せて「アジア・太平洋戦争」と呼びかえることがある。イギリス歴史学者であるクリストファー・ソーン(Christopher G. Thorne)は「極東戦争」というを用いることを提案したが、広く用いられてはいない。

用語「大東亜戦争」の初出

正確な初出は不明だが、1941年12月12日東条英機内閣が閣議決定した「大東亞」が初出と思われる。

現在でも確認できる「国立国会図書館デジタル化資料」においては1900年や1940年が見受けられるがこれは出版年不明の書籍である。

1900年表示の日本株式会社営業部調課が出版した『南方産業調資料集. 第一 論篇』には昭和16年12月8日、臨戦態勢の完成を~の記述がある。

1940年表示の征南画録刊行会が出版した『大東亜戦争出征記念征南画録』には昭和16年(1941年)12月8日の詔書が掲載されている。

ただし大東亜は、1923年(大正12年)4月1日印刷で日本民族協会が出版した『日本民族研究書-17-』において「大東亜及び全米国 継体天皇-偉大不思議の継体天皇(下)-」といった形で登場している。

用語「太平洋戦争」の初出

1922年(大正11年)、交社が出版した『太平洋権論』に「太平洋戦争予想状況」のが登場している。この書籍はイギリス人であるヘクター・C・バイウォーターの著述を軍軍部が軍事研究資料として翻訳した物がもとになっている。

これに続く形で1924年(大正13年)、新政楽部が出版した『米国太平洋』から戦中に出版された書籍にまで「太平洋戦争」のが用いられている。


大戦前史


1936年2月26日帝国陸軍内部で統制と対立していた皇青年将校が「昭和維新断行・尊皇討奸」掲げてクーデターを起こした。財政難解決のため軍縮に動いていた高橋是清大蔵大臣をはじめ、斎藤内大臣 渡辺太郎陸軍教育総監 、松尾伝蔵陸軍大佐警察官5名を殺鈴木貫太郎従長 、警察官1名、斎藤子夫人を負傷させた。以後、政治家の多くは暗殺を恐れ、軍の発言を抑えられず軍縮の機会を全に逸した。(詳細は関連項目二・二六事件を参照)

1936年11月広田内閣が日独防共協定を結ぶ。これにより、はっきりとドイツというものを日本の安全保障上の交渉相手として選ぶ事になった。時を同じくして12月西安事件があり、学良が蒋介石を一時軟禁、その後蒋介石合作を唱える。これにより中国側は、国民党共産党が、日本帝国義と戦うということで戦線統一し、一時的な内戦状況を元に戻した。外交上はこの二つの大きな変化、日関係の悪化から新しい相手との新しい体制への変化、中国大陸の不安定化の問題を抱える事になった。

また日英関係は、共に中国利権を抱える身として、日本としては基本的に善、有田八郎外務大臣による交渉が進められた。これは経済的な保障をすれば平和の構築が出来るという算段があった。
基本的に関係が悪化しているアメリカと、共通利益を持つイギリスとは違うという「英可分論」というのが前提にもあった。これを推し進め、英を引き離してそれぞれと交渉していく事に意味があるというのがこの時期の外交スタンスであった。防共協定にも、アメリカは入らないまでもイギリスは入ることになっていた。

対して日関係は、決定的決裂まではいかないまでも、中国大陸に決定的利益がいだけに、アメリカ理念に傾いた。つまり、日本中国に対して行っている事を強に批難していた。これは、英語を話す中国人が当時アメリカに対して、しく啓運動をし、アメリカ中国に対し同情的になっていた。日本人がこれに反論しないのも拍をかけた。貿易関係においては、日本は当時一方的に多くのものをアメリカから輸入する輸入であった。基本的なエネルギーは、全てアメリカから輸入するという状況である。
また、アメリカは、日本の中の親米への働きかけ、軍部のを弱めようとする運動も一貫して行われた。しかし、最終的に軍部に押し切られる様子をおよそ10年間見てきた中で、日本の政策決定に疑問を持つ様になり、後の「ハルノート」の動きになる。つまり、アメリカ側は開戦に至ることを承知で、天皇に止めるいだろうと見ていたのである。

そうした中で、アメリカ日本が援ルートを遮断するために北部印に進駐したことに対し、、鋼の禁輸を発動する。それに対して日本7月2日「対英戦を辞せず」「南方進出を強化す」とする南方進出方針を再確認し、資めて南部印にも進駐した。これを警告視と取ったアメリカは、石油輸出の停止を決定。イギリスオランダアメリカの方針に追随する形で、日本との貿易を停止した(ABCD包囲網)。資から精密機械に至るまで、戦争に必要な物資の輸入をほとんどアメリカ依存していた日本は資の確保が必要になった。その頃、欧州ではナチス・ドイツ快進撃を続けていたので、東南アジア植民地を支配していた欧州の宗は本が大変で植民地のことなど構っていられなくなった。既に決定していた南方進出方針にさらなるお付きと実現性が与えられたわけである。

当初は、1941年の7月ナチスドイツに呼応する形で、日ソ中立条約を視して対ソ開戦を行う「北進論」が陸軍内でも流であったが、この方針決定を受け、関東軍特種演習(通称 関特演)は示威に留まり、東南アジアを占領して帝国版図を拡大する「南進」が推し進められることとなった。


  戦争の推移


日米開戦

1941年11月東条内閣は、日交渉による戦争回避と対決戦の両方を推し進めていたが、アメリカよりハルノートの提示がなされ、アメリカによる最後通牒であると受け取った日本は、日交渉を打ち切り、開戦に向かう。

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作戦名(地域) 戦闘状況
真珠湾攻撃 1941年12月8日 日本海軍機動部隊がアメリカ海軍太平洋艦隊基地ハワイ珠湾を奇襲攻撃、戦艦5隻 駆逐艦2隻 標的艦1隻を撃沈、航空基地にも大打撃を与えた
マレー半島上陸 同日 マレー半島コタバル日本陸軍第25軍が敵前上陸 英領マレーシンガポール攻略作戦開始
フィリピン攻撃 同日 フィリピン米軍クラーク航空機基地を日本海軍航空隊が爆、フィリピン攻略作戦開始

日本軍破竹の進撃

日本軍は破の進撃で東南アジア植民地をたちまちの内に席巻した。

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作戦名(地域) 戦闘状況
マレー 1941年12月 英軍新鋭戦艦プリンスオブウェールズ他1隻を日本海軍陸攻が撃沈。初めて航行中の戦艦航空機で撃沈した。
香港作戦 1941年12月 英領 香港を占領。
シンガポール作戦 1942年2月 マレー半島を2ヶ間で踏破した日本軍25軍が、英国東洋最大のシンガポール要塞へ攻撃開始。側の防備を固めていた英軍はマレー半島側より進攻してきた日本軍になすすべなく、戦は圧倒的に勝っていたのに(日本軍36000名に対し英連邦軍9万名)2週間で降伏。マレーシンガポール英連邦軍は13万名の捕虜を出し、英国史上最悪の敗戦と言われた。
作戦 1942年2月 スマトレンバンの油田地帯に日本陸軍挺部隊が挺降下し油田をほぼ傷で確保、その活躍により兵と呼ばれた。またバダビ戦で日本海軍が英4か国連合艦隊を全撃破。その後ジャワ日本軍上陸、バンドン要塞が陥落するとわずか日本軍上陸から一週間で連合軍降伏、8万名以上が捕虜となった。
セイロン 1942年2月 日本機動部隊がインド洋進撃し英東洋艦隊を圧倒。空母1重巡2仮装巡洋艦1撃沈、英東洋艦隊は撤退。
フィリピン作戦 1941年12月~1942年5月 ニラ12月30日に占領した日本軍は、バター半島戦の後、残存兵コレヒドール要塞に追い込んだ。その間にフィリピンマッカーサー豪州に逃走。コレヒドール要塞には米軍がかねてより準備していた多数の重があり、日本軍しい撃戦の末5月6日降伏、程なくフィリピン全土の軍も降伏。軍は45000名の死傷者と83000名の捕虜を出した。
ビルマ作戦 1941年12月~1942年6月 東南アジアからの英軍の駆逐と、英の中国支援ルート(援ルート)を分断する的で、タイより英国ビルマに進撃した日本軍は、1942年3月には首都ラングーンを占領、マレーシンガポールと同様に数が勝る英中の連合軍を圧倒し、1942年6月にはビルマ全土を日本軍握、英中は5万名もの死傷者・捕虜を出して撤退した。ビルマの占領により日本軍南方作戦遂された。

日本軍快進撃の要因

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  1. 空母機動部隊や、当時世界最高準の戦闘機であった零戦など、日本軍の先進性が欧の想定を大きく上回っていた
  2. 日中戦争で実戦経験を十分に積んでた上に、猛訓練により練度は当時世界最高準であった
  3. 英国ナチスドイツとの戦争植民地に十分な戦を配置する余裕がなく、またオランダは既に本ナチスドイツに占領されており、植民地に増援を送ることができなかった。

攻守逆転

開戦から破の進撃を続けてきた日本軍であったが、米軍の反撃体制が整うにつれてその攻守が大きく入れ替わることになる

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最終更新日: 19/08/04 23:46
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