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天智天皇


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天智天皇


(てんじてんのう 626年~672年1月7日)とは、中臣足と共に大化の改新を成し遂げた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)として知られる第38代天皇である。

百人一首

の田の かりほのをあらみ わが衣手は露にぬれつつ

の歌を詠んだ万葉歌人でもあり、万葉集には中大兄皇子時代のものも含めて四首が伝えられている。

在位:6682月20日672年1月7日


概要


舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の間に第二皇子として生まれる。

なお中大兄皇子の「中大」とは、皇位継承権が二番で同兄弟の中で長男にあたる人物という意味である。

645年に中臣足と謀って皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺、その翌日に蘇我夷を自害させ、その翌日に皇極天皇が位を譲ろうとしたのを辞退して孝徳天皇を即位させ、自らは皇太子となって様々な革を行う「大化の改新」を行った。

孝徳天皇がお隠れになられるて実の皇極天皇が重祚して斉明天皇となってからも皇太子のままで居続けたが、その間も政治の中心であり続け、663年には済の支援導して唐と新羅の連合軍と戦った村江の戦いで大敗北を喫し、朝鮮半島から撤退することが決定的となった。その戦いの中で斉明天皇がお隠れたになられたことを知ると、喪にす意味で即位することなく政務を執る「称制」することを決めたが、朝鮮半島からの撤退による大陸からの侵略の懸念を払拭する為に668年に即位した。

即位すると、大陸からの侵略者に対する防備を考慮して都を近江遷都し、九州北部沿に防御地を構築して防人を派遣する等、土防衛に努めた。また日本最古の戸籍制度である午年籍をつくって税収の安定化をはかり、聖徳太子が定めた十二階から二十六階に官位を拡大した。しかしその強権政治には批判や反発も多く、特に奈良地から離れた近江への遷都は不評を買い、表立って天智天皇を批判できないことから隠れた爆弾となって燻り続けた。

皇位継承についても、即位時に同の大海人皇子を皇太としたものの、671年に第一皇子の大友皇子を史上初の太政大臣に任命した事などから大海人皇子が皇太を辞した為、大友皇子を立太子したが、自らが重病にせると大海人皇子を呼んで後事を託送としたものの、大海人皇子が断って出してしまうという後々の災いと悲劇の芽もつくったりした。

こうして様々な火種をつくった天智天皇は、672年にお隠れになられた。そして大海人皇子は申の乱を画策して大友皇子(=弘文天皇)を自決させると即位した(後の天皇)。

天智天皇と言う諡号は、諡号を持たない神武天皇から元正天皇までの44代(弘文天皇と文武天皇を除く)に対して、奈良時代の文人「淡三船」が諡号を一括撰進して以降呼ばれるようになったもので、日本書紀では命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)と呼ばれている。なお智とは、殷の紂王が愛し智玉が元ネタと言われている。


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関連項目


37 38代 39
斉明天皇(さいめいてんのう)
655~661
天智天皇(てんじてんのう)
661671
弘文天皇(こうぶんてんのう)
671~672

最終更新日: 15/08/21 00:46
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