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太宰治


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太宰治(1909-1948)は、日本作家である。


概要


太宰治

「恥の多い生涯を送って来ました。」

本名は津島修治青森県出身の小説家
坂口安吾などと共に、戯作と称される。
東京帝国大学文学部文学科除籍。
在籍時、人妻と心中を図ってに身投げするが未遂に終わる。(相手は死亡)
その後作家して井伏鱒二(『』の作者)に師事する。
雑誌、同人誌などへの作品発表をを経て第1回芥川賞補に挙がるが落選。
相当なショックだった模様で選考委員の川端康成批判する文章を書いている。
以下引用

 

 

「私は憤怒に燃えた。幾も寝苦しい思ひをした。
小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんなに立な生活なのか。
刺す、さうおもった。大悪党だと思った」

また、この時選考委員に対して「芥川賞を下さい」という内容の手紙を送っている。
芥川賞(というよりも芥川龍之介)に対しては相当な思い入れがあったようである。
以下引用

佐藤さん一人がたのみでございます。私は恩を知って居ります。
私はすぐれたる作品を書きました。
これからもっともっとすぐれたる小説を書くことができます」(佐藤夫宛書簡)
「何卒 私に与へてください。一点の駆引ございませぬ」
「私を見殺しにしないでください」(川端康成宛書簡)

続いて第3回芥川賞にも補に挙がったがまたも落選。
この時の禍根で選考委員の佐藤夫に暴露話で絡む。
対する佐藤井伏鱒二と相談して物中と言う口実で太宰精神病院送りにする。

この間就職に失敗するなど他の不運が続き、自殺未遂を2度起こしている。
また、処女短編集として『晩年』という題名の本を出版。

戦時中(日中戦争含む)は『富嶽』や『お伽』『走れメロス』等較的穏やかな内容の作品を書いている。
ちなみに真珠湾攻撃の一報を聞いた後の太宰の感想が残っている。
以下引用

十二月八日。…どこかのラジオが、はっきりと聞こえてきた。
…しめ切った戸のすきまから、っ暗な私の部屋に、のさし込むように強くあざやかに聞こえた。
日本も今から、違う日本になったのだ」

戦後、退的な作へと変化し、『斜陽』『人間失格』といった没後に太宰文学徴と見なされる作品を書く。

昭和23年(1948年)女性と心中を図り死亡享年39歳。

その作や生き方から2ちゃんねるニコニコ動画ユーザー的な皮相的[外部]から見ると中二病のような存在であったと言えるのかも知れない。 もちろん文学的才や業績は否定されるべきではない事を付け加えておく。 


代表作


ニコニコ大百科内に単語記事があるものは太字とした。

上記は現在パブリックドメインとなっており、青空文庫[外部]にてほぼ全て読む事が可である。


コロンビアの太宰治


ハーツオブアイアンIIにおいて、コロンビアの閣僚の画像をネットで探していたParadoxの開発チームコロンビアの総合参謀総長補カミロ・ダーサ・アルバレス氏の画像を検索中に名前の表記が近いことで引っかかった太宰治の画像を精せずに使っている。 しかも、太宰先生IIIでも元気に活動しておられるようである。


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最終更新日: 18/09/20 01:36
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