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夷陵の戦い


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夷陵の戦いとは、三国志後半(2217月2228月)の合戦であり、陸遜放火の異名を付けられる事となった元の戦である。
ちなみに、三立後の三時代として見ると最初期の合戦になる。


概要


遡る事数年前、関羽が樊の戦いにが介入した(演義では裏切り)ことにより戦死。首は曹操のもとへ送られ、諸侯として葬られた。
劉備はこの義の死を大きく悲しみ、への復讐を誓った・・・・と言うのが大体のあらましである。
周りの臣下達はこれを諌めたが、劉備は聞き入れずへ進攻。ある程度までは有利に戦を進めるものの、
営が伸びきり連絡がままならなくなっていた所を陸遜の火計にかかり敗走。
劉備はそれから程なくして病没、ここに劉備兄弟全員没する事となる。

陸遜の台頭、による荊州奪回が絶望的になった事などこの戦における歴史的意味は多々あれど、
やはりニコニコやそれに限らず現代の三国志ネタおいては陸遜放火魔」の図式を作り出したと言う事が一番大きいだろう。
とにかく陸遜に火のイメージがついて回るのは、この戦の結果によるものである。

全体的に、攻めて攻めて攻めた劉備が隙を突かれて敗北した、と言う形なので見所はあまりい。
どちらかと言うと視点に立った方が面い戦である。
なによりは、この戦に負けていればまず間違いなく三で一番最初に滅亡していた。
その点を踏まえて見ると、また違った見え方があるかもしれない。
ちなみに、孫権217年以降曹操及び曹丕)に対して臣従し、220年には王に封ぜられていたのだが、この大勝を契機に独立した。

なお、演義では関羽と言える将が数多く戦死しているが、全くの創作である。糜芳傅士仁潘璋朱然馬忠の5名である。このうち没年がはっきりしているのは潘璋234年)と朱然249年)で、史実よりかなりく退場させられてしまっていることがわかる。
また、演義では黄忠もここで戦死しているが、実際には夷陵より前の220年に死亡している。

余談だが、真・三國無双2 シナリオを難しい、もしくは最強プレイ軍中枢に単騎突撃をかましての餌食になったプレイヤーは多いはず。を渡る前は火計で明るいのにを渡ると急に暗くなる上に兵が大量に配置されており発見が遅れると体をごっそり持っていかれる、拠点が多い(4箇所)ため倒しても倒しても雑魚が沸いてくるので疲れる、陸遜をはじめとした強めの武将も配置されているとかなりの難所。孫権自体はさほど強な武将ではないので丸裸にすればフルボッコにできるのだが。

三國無双5においては、でもかなりの難関ステージとなっている。というのも、シリーズおなじみの石兵八がなんと今作では”石兵八を突破しない限り軍のモブ将が限復活する”というトンデモ仕様となっており、その八自体が薄暗く迷いやすい。火計が成功してもの士気がほとんど下がらないこともあって、優勢なはずのが追い込まれやすい。石兵八を突破し、肝心の劉備を倒しに行く頃には、戦場には自分との総大将しかいない、ということがほぼデフォである。


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最終更新日: 18/08/05 18:00
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