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奈良県


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奈良県とは、古の都である。かつては大和と呼ばれた。

概要

奈良県 白地図

近畿地方内陸県大阪府京都府へ就労者や学生を送り出すベッドタウンが多い。

人口(人) 1,406,914(平成20年5月1日現在

基本的にゆるやかな田舎土であるが、自動車国道バイパス、JR近鉄と交通網が充実しており、大都市京都大阪、そして神戸名古屋にも鉄道一本で行けるため、わりと便利で都会的な生活が送ることができるので人気がある。

北に京都府、南に和歌山県、西に大阪府、東に三重県がある。

土の大半は山で、特に県の南部内屈の秘エリアでもあるため、県北部の地地帯、県面積の1割ほどのエリアに、県人口の9割近く、約130万人近くが住んでいるという、可住地の人口密度は相当高い県である。

マスコットキャラクター


マスコット乱立の事情


2010年遷都1300年にあたる事にちなみ、マスコットに奈良県の顔である「鹿」と「大」をモチーフにした「せんとくん」が選定されたが、キャラカオスすぎる、大様への侮辱ではないかなど批判が相次ぎ、奈良県のいろいろな団体、個人からキャラクターの発表が相次いだ。


梁思成氏銅像受け入れ問題 


遷都1300年祭にあわせ、奈良県が中国の『奈良県に戦災被害かったのは、中国人建築家の梁思成氏がアメリカ政府に文化財保護の観点から爆中止を進言し、米軍爆撃を撤回させたからだ』という全く根拠の批判に受け入れて『中国感謝する像』を建てようとしている問題。

これには日本から抗議が殺到、県は根拠がいことを認め、像の受け入れを『見直す』として一旦は抗議をかわしたが、それは実際には『設置場所を見直す』ということであって、県が中国側のを受け入れる姿勢には変わりがなかった。

後に尖閣諸島漁船衝突事件の余波で『断念』するという明を出すも、こちらも『受け入れイベントを予定日通りに行う事を断念』するという事であった。

2010年12月、奈良県が像受け入れを白紙撤回。しかし県からの謝罪や偽報のような形で抗議をかわした事に対してのコメントい。

文化

古事記万葉集などが編纂されるなど、日本文学の原点が生まれたことで有名。古い屋や寺が多く現存しており、今でも人が使用している物が多い。

元は教神道とされていたが、現在では神道ではなく各種宗教を名乗っている『天理教』の総本山があり、奈良県、特ににはその信者が多い。また天理教は一年に一度世界中から大量の信者を召集するため、には彼らのための住居や施設が多くある。

歴史(廃藩置県前、古代から近世)

神話では神武天皇が橿原神宮で即位したのが日本の始まりとされている。 

三世紀から四世紀ごろ、この地方族が急速な強大化をとげる。彼らは周辺地域を制圧し、日本国の礎となるヤマトを築いた。その後、現在の橿原明日香村の一帯にたくさんの都が作られる。

特に694年に完成した藤原は、中国都市計画をとりいれた本格的な都として栄える。710年には遷都。この後、宗教政治に介入し始める。784年、宗教政治介入を避けるために都が長岡京へ移される。これ以後、奈良に都が置かれることはなくなり隣のの都が大きく繁栄するように。ただし長年根付いていた仏教などの強宗教はそのまま残り、農民を支配し続ける。

平安時代から室町時代において、特に立った事件は起きない。この時代に関しても、吉野反中央勢(南)が長年に渡って置かれ続けていた事、奈良時代の寺社閣が依然として強大な勢を誇っていた事には注されるべきである。

戦国時代には寺社の影の下、大和人同士での小競り合いが続き、長らく大和を統一する勢が生まれなかった。その為、松永久秀等多くの武将たちが侵入してくる。が、ほとんどは強な支配勢になれず、豊臣秀吉の時代になってようやく定される。江戸時代は幕府の直轄地(奈良奉行、五条代官)がおかれ、や高取などの中小が存在していた。

やがて、明治維新が起こる。


歴史(廃藩置県後、県としての歴史)


明治維新後、かつて首都が置かれていたという理由で「奈良府」が設置されるも、あまりにも存在感が薄かったため奈良県」という形に落ち着いた。と思ったら明治9年にに編入されてしまい、さらにその県も大阪府に編入されて明治20年に再設置されるまで10年以上奈良県が消滅していた時期があった。(下図) 

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明治4年 明治9年 明治14年 明治20年以降

19世紀後半から鉄道が整備され始め、寺社閣の多い奈良県は観光地として栄えていくこととなる。特に1940年の紀元2600年祭のときには天皇と縁の深い橿原神宮に多くの参拝客が訪れた。

昭和の初期から、奈良県は大阪府ベッドタウン化の兆しを見せ始める。その後ほとんど被害もなく太平洋戦争が終結すると、高度経済成長に乗って一気にベッドタウン化が進む。

とはいえ、1960年の奈良県の人口は70万代であり、日本でもワースト5鳥取福井に次いで人口が少なかった)に入る人口の少なさだった。この過疎県が発展したのはやはり近鉄が大きく、近鉄大阪線近鉄京都線などの沿線から人口が増加していった。

一方で、JR全に近鉄の後を拝しており、過去国鉄特急あすか」が走ったのみで、2018年現在沖縄県を除いてJR特急新幹線が一本も走っていない一の県となっている。

現在の奈良県は、日々、大阪京都に大量の人を送り込み、代わりに多くの観光客を引き寄せる静かな土地であるが、現職の荒井知事の外国人優遇政策(県立施設の一部無料等)や各自治体外国人に参政権を付与する動きが県民や市民に周知されないまま活発化しており、要注意である。

奈良県の市町村

説明からも分かる通り、北西部近鉄JRによって開かれたベッドタウンと文化財の宝庫、一方、北東部と南部は山深い過疎山村ということがおわかりいただけると思う。

奈良市

言わずとしれた古都。詳しくは奈良市を参照。

の名所(ヶ瀬)で有名なヶ瀬村や名阪国道道の駅針テラス(TRS)がある都村も奈良市に吸収された。最近ではこの地に開業した、スターバックスコーヒー奈良鴻ノ池運動公園店がその美しさで話題になった。

生駒市 -いこま

近鉄奈良線沿線にある大阪市ベッドタウン、そして学園都市、高級住宅地として発展しており、人口は県内3番、10万以上となっている。奈良府民率は県内一高い。高山地区では茶筅が伝統的な産業となっている。生駒山は古の時代から行楽地、保養地、そして信仰の地として知られ、ただ一つ残る近鉄遊園地生駒山上遊園地生駒で知られる宝山寺などがある。

橿原市 -かしはら

近鉄橿原線や近鉄大阪線クロスする位置にある都市で、人口は奈良市に次ぐ。天皇かかわりが深く、橿原神明治時代に造営され、初詣の参拝客は県内では春日大社に次ぐ。今井日本最大級の古い並みが密集する重伝建地区で、およそ500棟が伝統的建造物となっている。

そして京奈和自動車道はあとこの橿原さえつながれば開通なのだが、山程の遺跡が地中に埋まっているため、難航している。また、地からは大和三山の畝傍山、成山、香久山が一望でき、公園の一つとなっている。

大和郡山市 -やまとこおりやま

JR大和路線沿線にあり、金魚の町として全的に有名な都市金魚が泳ぐ電話ボックスや金魚すくい全大会なども有名。イチジクも特産する。紫陽花で有名な矢田金剛山寺)があるのもココ。元は譜代大名柳沢氏の下町であり、跡も観光地となっている。

天理市

天理教大学の町。高校野球ラグビー柔道の名門として有名。天理ラーメン彩華ラーメンはここの体育会系学生向けのスタミナ料理としても定番。近畿随一のイチゴ産地でもある。内屈の古社である、石上(いそのかみ)もこの理にある。

桜井市

近鉄大阪線沿線の都市で、沿線の交通要衝。桜井という名より内最古といわれる神社大神(おおみわ神社三輪そうめんの方がおそらく有名。他にもボタンの名所、長谷紅葉の名所にして十三重のでも有名な山神社もあり、観光は豊富。南部の多武峰(とうのみね)はの変(昔の言い方だと大化の改新)や南北朝時代の戦乱など、様々な動の舞台となっており、歴史マニアの地である。

御所市 -ごせ

よく「ごしょ読み間違えられる。金剛山の麓にある都市で、山麓にはツツジの名所で名高い葛城高原が広がり、一言さん(葛城一言神社)など神社が多い。全ラグビー校、御所実業高校があり、ラグビーで町おこしをしているとともに、毎年高校と全大会出場の切符を賭けてデッドヒートを繰り広げている。

五條市

五條と西吉野村・大村が合併したために、域となっている。五條JR和歌山線が通る、県南部の拠点都市であり、和歌山県橋本とのつながりが深い。日本一の産地で、五條ハウス、西吉野は富有で有名。柿の葉寿司の本場の一つで、有名な「たなか」と「ヤマト」はここから始まった。また、ミョウガも特産品として知られる。智弁学園で有名な辯天宗の本部もここにある。

大和高田市

JR和歌山線JR桜井線の結節点にある都市。かつては木綿の集散地に端を発する繊維産業が盛んで、靴下パンストなどの生産が盛んだったが、安価な輸入品に圧され、ジリ貧状態。加護亜依の出身地。

香芝市 -かしば

近鉄南大阪線が通り、大阪市ベッドタウンとして発展した町で単独制を果たしている。サッカー選手楢崎正剛女優吹石一恵などの出身地。

葛城市

葛城山(大和葛城山)の麓にある新庄町と麻(たいま)町が合併して誕生した都市近鉄南大阪線JR和歌山線が通る。当麻寺は県内有数の名刹。

宇陀市 -うだ

町と榛原(はいばら)町、室生(むろう)村が合併して誕生した町。室生は女人高野としても、日本最小の宝五重でも、シャクナゲなどのの寺としても知られる室生寺で名高い。薬売りで知られた町で、松山地区には今も薬売りで繁栄した古い町並みが残る。また、この辺りは吉野が名産となっている。

斑鳩町 -いかるが

難読地名だが、知名度が高いので、かなりの人が読める。また、世界最古の木造建築として知られる世界文化遺産法隆寺でも知っているが、それがこの町にあることの方が、関西以外では案外知られていなかったりする。同じ世界遺産、法起寺、中宮寺のことも忘れてあげないでください。

平群町 -へぐり

難読地名の一つ。宝の縁起絵巻で有名な信貴山朝護孫子寺が鎮座する地。特産はブドウ

かつて、この町に住む某人物が世の中とニコニコを騒がせたが、それに触れてはいけない。

河合町

近鉄田原本線沿線の町で、名の通りの合流点。それゆえ五穀豊神様として名高い廣瀬大社が鎮座する。古墳も多い。また、牛島和彦はこの地で生まれた(大阪府大東育ち)。

三郷町 -さんごう

近鉄生駒線沿線にあるベッドタウン紅葉の名所、そして神様で知られる龍田大社が鎮座し、河合町の廣瀬大社と対になっている。また、古くから履や駄の産地として知られている。

上牧町 -かんまき

鉄道は通らないが、JR王寺から近い関係で、西大和ニュータウンが造成され、県内で2番めに人口密度が高い。

安堵町 -あんど

日本で3番めに小さい町。町名の由来は古代の荘園名から。かつてはイグサ栽培が盛んで、ろうそくの芯(燈芯)生産が盛んだったこともあり、今も脈々と技術が伝えられている。また、かかしで町おこしを始めており、高さ12メートルに及ぶ聖徳太子カカシがある。昭和の陶工、富本吉の出身地。

川西町

近鉄橿原線沿線の町。ボタンの生産が盛んで全の8割を占めている。観世流能楽の発祥地。

三宅町 -みやけ


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最終更新日: 19/09/05 05:45
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