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宮菱重工業とは、「ワールドウィッチーズ」に登場する総合兵器製造会社である。
扶桑皇国において、ストライカーユニットをはじめ航空機、車両、さらには艦艇に至るまで多様な兵器を開発・生産する、同国の中心的な総合兵器メーカー。代表的な生産品として、傑作ユニット零式艦上戦闘脚、陸上ユニット陸軍九七式陸上戦闘脚、航空機である海軍九九式艦上戦闘機、各種魔導エンジンといった各種の軍用機材があげられる。社章は「四つ割菱」。
竹田信太郎(武田家の末裔を自称)により「竹田商会」として設立され、のちに「宮菱重工業」に改めた。この改名は、同社の設計主任でありストライカーユニットの基本理論「宮藤理論」を考案した宮藤一郎博士と家紋の「四つ割菱」から取られている。宮藤博士に敬意を表したものとされるが、単なる会社の宣伝であるとの評判も強い。
▲零式艦上戦闘機をはじめ、九六式艦上戦闘機、零式水上観測機などを開発・生産した。
▲扶桑海軍で初めて「宮藤理論」を本格的に導入した全金属単葉戦闘脚。試作名称は九試単座戦闘脚。宮藤一郎博士自身が開発に携わり、陸軍九七式戦闘脚(長島飛行脚)をはじめ、のちの扶桑陸海軍のストライカーユニットに大きな影響を与えた。1937年(昭羽12年)に勃発した扶桑海事変では海軍の主力ユニットとして活躍した。
開発にあたっては、以前宮藤博士が主任設計者を務めた七試艦上戦闘脚(不採用)で導入した、内部に桁のないモノコック構造をはじめとする新機軸が改めて採用された。七試を原型に従来ウィッチが背負っていた魔導エンジンをモノコック構造で空いた脚部の空間に配置した改良案は不格好で問題点も多かったが、「宮藤理論」の提案によって解決され、九六式艦上戦闘脚として完成した。
従来ユニットと比較した場合の九六式の最大の特徴は、前述のとおり魔導エンジンが内部格納され背負い式でなくなった点にあり、装着時間の大幅短縮は即応性の向上につながった。
魔導エンジンは九五式艦上戦闘脚(長島)より非力ながら、空力的に洗練され、海軍九五式や陸軍九五式戦闘脚(川滝航空機工業)より速度が50km/h以上向上し運動性も同等と、当時としては世界トップクラスの性能を誇った。
九試単座戦闘脚としての試作段階では、陸軍九五式より低出力の魔導エンジンにもかかわらず451km/h(陸軍九五式の最高速度は400km/h)をマーク。初期の量産型では新型魔導エンジンの開発遅延のため旧式魔導エンジンを搭載したが、なお速力は海軍九五式に優っていた。
最大の欠点は航続距離の不足で、この点は後継機である零式艦上戦闘脚で満たされることとなる。
1937年の扶桑海事変勃発に際しては、空母<鳳翔>、<天城>といった艦上に配備された機体のほか、ウラル方面に進出した陸上戦闘部隊でも主力として使用された。
北郷章香をはじめ、扶桑海事変で活躍した多くの海軍ウィッチが九六式を使用していた。北郷章香が率い、坂本美緒、若本徹子らが所属した第12航空隊(旧・舞鶴航空隊)は、扶桑海事変で当時最新鋭の九六式を実戦運用して問題点の洗い出しに尽力し、つづく零式艦上戦闘脚の開発に大きく貢献した。
海軍の九六式艦上戦闘脚導入を受けた陸軍が「宮藤理論」搭載ユニットとして競争試作させたストライカーユニットのひとつ。長島キ27、川滝航空機工業キ28と採用を競った。
九六式を陸軍向けに改良したユニットだったが、選考ではキ27に敗れ採用に至らなかった。
扶桑海軍の代表的なストライカーユニット。試作名称、十二試艦上戦闘脚。「宮藤理論」の確立によってウィッチの脚を異空間に収納できるようになり、大型の魔導エンジンと多量の燃料の搭載が可能となった。第二次ネウロイ大戦では、前半期における扶桑海軍の主力ストライカーユニットとして活躍した。
→「零式艦上戦闘脚」を参照。
「宮藤理論」の発表を受け、脚部に魔導エンジンなどの装備を内蔵する形式を採用した陸上用ストライカーユニットとして開発された陸上中戦闘脚。
扶桑海事変までに試作型が完成しており、同戦役勃発を受けて制式採用。先行量産型が実戦投入された。
全長 | 7.71m | 全幅 | 11.00m |
---|---|---|---|
自重 | 1,075kg | エンジン | 寿二型改一(460馬力)×1 |
最高速度 | 406km/h | 航続距離 | 1,200km |
武装 | 7.7mm機銃×2、30kg爆弾×2または50kg爆弾×1 | ||
『第五〇一統合戦闘航空団全記録 第一集』所収 |
通常航空機。扶桑海軍が初めて導入した全金属単葉戦闘機。着陸脚は固定脚式。
1937年初飛行、1939年制式採用。採用当時には高速力とすぐれた運動性を誇ったが、艦上戦闘機としての航続距離の不足が難点で、やがてはネウロイの進化に対応するだけの速力と火力の不足が問題となった。
1944年ごろまで、航空母艦<赤城>など二線級の航空母艦の搭載機として使用された。
全幅 | 12.0m | 全長 | 9.05m |
---|---|---|---|
全高 | 3.53m | 自重 | 1,754kg |
発動機 | 栄一二型(離昇940hp) | 最大速度 | 533.4km/h(高度4,550m) |
航続距離 | 巡航3,350km(増槽有り) | 武装 | 翼内20mm機銃2挺、 機首7.7mm機銃2挺 |
『第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第一集』所収 |
通常航空機。ストライカーユニット零式艦上戦闘脚の技術をフィードバックして開発された、九九式艦上戦闘機の後継機となる扶桑海軍の艦上戦闘機。「零式」の名は採用年次ではなく機体名で、「旋風」の仮称も用意されていたが、零式艦上戦闘脚があまりにも名高く、そのまま当機体も「零式」と呼ばれることとなったものである。サブタイプとして二一型、三二型、四三型などが製造された。
宮藤博士からの書簡をもとに開発され、初飛行は1943年。九九式艦上戦闘機の欠点に対応するため、ウィッチも運用する九九式20ミリ機銃の火力と高い運動性で小型ネウロイの駆逐を可能とし、長大な航続能力も備えた。リベリオンの航空レーダーポッドと斜め銃を搭載したタイプも存在する。しかし大型ネウロイ相手では20ミリ機銃でも火力不足であり、さらなる高速重武装戦闘機の開発も進められている。
もともと九九式艦上戦闘機の欠点に対応する新鋭機の開発は急務と認識されていたものの、ストライカーユニットの開発が優先されたため実戦配備は遅延した。実戦投入後は、航続距離を活かして船団護衛任務における哨戒・防空に重用されたほか、夜間哨戒にも使用された。<翔鶴>(1944年秋当時)、<千歳>、<千代田>(ともに1945年春当時)などの航空母艦に搭載され、フレイヤー作戦(1945年初頭)などで主力艦上戦闘機として活躍している。
全幅 | 12.0m | 全長 | 9.05m |
---|---|---|---|
全高 | 3.53m | 自重 | 1,644kg |
発動機 | 栄二一型甲(離昇1,130hp) | 最大速度 | 560.1km/h(高度6,000m) |
航続距離 | 巡行3,350km(増槽有り) | 武装 | 12.7mm機銃2挺(機首) |
『ガリア復興財団活動記録』所収 |
零式艦上戦闘機四三型(A6M4)は、ウィッチ用通常戦闘機として開発されたサブタイプである。零戦三二型を原型としており、主翼構造の強化と翼内機銃の撤廃、魔導過給機付きエンジン(栄二一型甲)の搭載、扶桑海軍航空ウィッチの標準兵装である九九式二号二型改13mm機関銃への換装、魔導伝導率を高めた金属による主要部のコーティングなどを実施し、魔法力を活用できる戦闘機となっている。こうした変更のため、最高速度や機動力の向上ももたらされている。実際の採用数は少なく、ネウロイに見立てたアグレッサー部隊を編成するベテランウィッチ向けであった。
全長 | 9.50m | 全幅 | 11.00m |
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全高 | 4.00m | 最高速度 | 370km/h |
航続距離 | 1,070km | 実用上昇限度 | 9,440m |
武装 | 7.7mm固定機銃×2、7.7mm旋回機銃×1 | ||
『第五〇一統合戦闘航空団活動写真全記録』所収 |
扶桑海軍の弾着観測用水上機。複葉水上機ながら最新鋭技術を投入した全金属機で、弾着観測にかぎらず、連絡、練習、防空など各所で使用された。
もとは扶桑海事変での遠距離砲戦を受け、加速性能、上昇力、航続距離に重点をおいた弾着観測用水上機として海軍から宮菱と尾張航空機に開発指示が下ったもの。宮菱の試作機は1938年(昭羽13年)に完成し、尾張の試作機より高性能だったことから1940年(昭羽15年)に制式採用された。エンジンは宮菱の瑞星を搭載し、のちには長島の栄エンジンに換装した機体も登場している。
宮菱が開発した魔導エンジンは、「金星」「瑞星」「火星」など、自社設計のエンジンの名称に「星」が付くことが特徴。
「瑞星」魔導エンジンは十二試艦上戦闘脚の試作機に一三型が搭載されたが、不具合のため長島「栄」の搭載に変更となった。
「金星」魔導エンジンは零式艦上戦闘脚五四型に六二型(公称呪力1350Mp)が搭載され、装甲の強化によって五二型以降低下した零式の運動性を若干ながら好転させることに成功している。
「火星」魔導エンジンは、山西の水上用ユニット強風で採用された。しかし強風を陸上型とした紫電一一型では長島「誉」に変更された。山西製の通常飛行艇である二式飛行艇には、通常エンジンの「火星」二二型が4基使用されている。
マ43魔導エンジンは、マ43-11が山西航空機の紫電五三型で採用され、「誉」から紫電シリーズの使用魔導エンジンの地位を取り戻した。このほか、筑紫飛行機の震電試作一号機には宮藤博士から送付された設計図により完成したマ43-42特、二号機にマ43-11、四号機にマ43-42がそれぞれ搭載されている。
▲宮菱重工業そのものの設定解説は『SW2』特典「全記録」第一集に「扶桑皇国のストライカーユニットメーカー」の一部として収録。