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小林太志


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小林太志こばやし ふとし、1983年5月11日-)とは、群馬県出身の元プロ野球選手投手)である。現在琉球ブルーオーシャンズの球団社長を務める。


概要


OB
小林太志
基本情報
日本
出身地 群馬県富岡市
生年 1983年5月11日
身長
体重
184cm
87kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2007年大学生・社会人ドラフト1巡
引退 2014年
経歴
プロ野球選手テンプレート

富岡高校立教大学を経て、JR東日本から2007年大学生社会人ドラフト1巡大場翔太ハズレ1位)で横浜ベイスターズに入団。

入団会見では「ハマの何と呼ばれたいか」と聞かれ「ハマのエクスプレス」と答える。

横浜・DeNA時代

2008年4月27日広島東洋カープ戦で初先発勝利(同年のセ・リーグ新人投手一番乗り)を挙げると、その後は先発ローテに入り、7月16日広島戦でプロ完封を挙げるなど、31試合に登板先発22試合)し6勝5敗、防御率4.41とまずまずの活躍を見せた。当時は希望として、ファンからの期待も高かった。


2009年は開幕を一軍で迎え、好投も見せたが打線の援護に恵まれず、また自らの失策から失点を重ねる場面も立ち、12試合に先発して前年と大差防御率4.48ながら1勝8敗と大きく負け越した。


2010年リリーフとしての登板が多くなり、先発は3試合のみとなった。オリックス戦で好投をするも、結局勝ちを手にすることはできず、20試合で0勝2敗、防御率6.21に終わる。


2011年セ・パ交流戦中にリリーフとして一軍昇格すると好投を見せ、6月29日中日ドラゴンズ戦で2年ぶりの先発勝利。その後は連敗して二軍に落ちたが、二軍フォームを変えシュートを習得、その甲斐もあり9月後半から先発ローテーションに入り3連勝と好投を見せる。ちなみに、中日横浜スタジアム優勝を決めた際の先発であり、後に同じチームとなるトニ・ブランコに同点3ランを浴びている。最終的には17試合(先発8試合)で4勝3敗、防御率3.47。


2012年ロングリリーフ登板場には一時先発ローテーション入りしたが、すぐ中継ぎに戻った。35試合(先発5試合)に登板して2勝3敗1ホールド防御率3.74。ちなみに、この年記録した11死球リーグトップである。


2013年敗戦処理として投げたが振るわず、11試合で0勝1敗、防御率8.78という成績に終わった。


2014年8月に一軍昇格。初登板で2回を失点に抑えたものの、次の登板で丸に満塁本塁打を浴びてしまう。結局、登板プロ入り後最少のこの2試合に終わり、オフ戦力外通告を受ける。第1回トライアウトに参加し、広島が獲得補に上げるものの獲得には至らず、現役を引退した。


引退後


大手不動産系の企業に就職、経営企画職として働く。

その後、職場の元上から誘いを受け、2019年7月沖縄初のプロ野球チーム琉球ブルーオーシャンズの球団社長に就任した。


人物・その他


最速150km/hストレートスライダーチェンジアップに投げる本格ロングリリーフで結果を残し先発に回るも、不調期で結果を残せない、もしくは好投しても勝ちがつかないなど、色々と持っていない選手だった。また、シュートを使い始めてから例年より死球が増加し、2012年は投球回77.0ながらリーグトップの11死球を喫した。

同僚に小林寛がいたためスコアボードや新聞での表記は「小林」。ただ、これがフルネームだと思われたのか、メールで”小林太”と来ることがあったようで、2013年からの登録名はフルネームとなった。称は「ハマのエクスプレス」よりも「コバフト」の方が通りが良い。小杉陽太JR東日本後輩。 

なおドラフト時は3巡名された桑原謙太朗の方が有名で、名された際の2ch実況スレはおおむね「誰?」という反応であった。


成績



通算投手成績


通算:7年 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 128 50 2 1 13 22 1 1 .371 388.1 135 227 207 193 4.47

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最終更新日: 19/12/08 03:29
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