ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


岩隈久志


ヨミ: イワクマヒサシ
掲示板をミル!
181カキコ!

岩隈久志(いわくま ひさし1981年4月12日-)とは、東京都出身のプロ野球選手投手)である。現在読売ジャイアンツに所属。 


概要


読売ジャイアンツ #21
岩隈久志
基本情報
日本
出身地 東京都東大和市
生年 1981年4月12日
身長
体重
190cm
86kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1999年ドラフト5位
経歴
際大会
代表チーム 日本
五輪 2004年
WBC 2009年
プロ野球選手テンプレート

1999年ドラフト5巡で当時の大阪近鉄バファローズに入団。

選手としての特徴は「打たせて取る」という形に特化し、奪三振よりも内野ゴロで抑えるピッチャーで、調子の良い時の岩隈は「ゴロクマ」と形容されるほど内野ゴロを打たせて相手打線を抑え込む。

実は、近鉄時代と楽天時代で投球時のイメージが変わるピッチャーである。そのな理由は2006年から禁止された二段モーションと、楽天に入ってから悪化した肩と肘の怪が原因であり、近鉄時代二段モーションを修正した楽天時代とで大きくイメージが違う。近鉄時代のフォームを見れば、今の岩隈からは想像もできないほど変態的な特徴的な投げ方をしているのが分かるだろう(関連動画参照)。
制球も非常によく、2008年には28試合登板200投球回被本塁打が3本という驚異的な数字を残している。

2008年の怪明けなどでは100球程度の降を意識していた。
そのことを一部解説者は「根性やエースとしての自覚が足りない」と咎めたりしたが、それは医師による導のものであり、監督もそれを了承して起用をしていた。それに関して、当時の野村克也監督は「繊細で気を遣う投手」とコメントを残しているが、それは例によってボヤキの上でのことであり、実際は厚く信頼を寄せていた。その信頼の拠が2009年CSファイナルステージ4戦リリーフ起用に凝縮されていると言える。

女房役は藤井彰人近鉄時代から岩隈リードし続け、凄まじい成績を挙げた2008年には最優秀バッテリー賞を受賞するなど岩隈にとってなくてはならない存在というも多いが、2010年オフに皮なすれ違いにより離れ離れになってしまった。ちなみに、庭ではかなりので、さん・子供と絵本を出したりしているいパパでもある。

2007年には当時の野村克則コーチとのベンチ内での喧テレビ中継中継されてしまい不仲が噂されたが実際はそんなことはない。ちなみに、二人は高校時代の先輩後輩の間柄であり、このときの喧の原因は4回にノックアウトされロッカーに引き上げた岩隈が1時間近く戻ってこなかった事にカツノリコーチ高したのが原因。

称はクマ2ちゃんねる実況野球板では先発登板のとき、クマーAAが登場する。
ちなみに、元同僚の井坂亮平は「量産型岩隈」と言われ、ウマーAAが使われる。


年表


2000年~2004年 入団~近鉄時代

1年間の2軍経験を経て入団2年2001年から活躍を始め、その年の近鉄リーグ優勝に貢献。
その後2003年(15勝10敗)、2004年(15勝2敗)と連続して15勝を挙げ、2004年には五輪代表に選出されるなどチーム内外問わずエースピッチャーとして活躍する。

しかし、2004年シーズン中に勃発したオリックス・ブルーウェーブと所属球団の合併に端を発する球会再編問題に巻き込まれ、シーズンオフの分配ドラフト岩隈は合併後の球団となるオリックス・バファローズ所属が決定する。

しかし、岩隈は「移籍先については選手の意思を尊重する」という球団と選手会の交渉で出た申し合わせを理由にそれを拒否し、プロテクトしてまでして岩隈を押さえたオリックス側と対立。ごたごたの結果、一時的にオリックスへ入団後、東北楽天ゴールデンイーグルス銭トレードされるという形で岩隈の要まれる形となった。このような複雑な事情もあり、岩隈は形式上2004年オフに2度移籍を経験していることとなる。

2005年~2007年 楽天創成期

こういった複雑な経緯で楽天に来た岩隈だったが、シーズン開幕戦の先発を勤め勝利。球団史上最初の試合をで飾る。その後、肩の怪などで不振に喘ぎながら9勝15敗の成績でシーズンを終えた。

しかし、2006年岩隈にとって更に試練となる。特徴的なフォームで投球してきた岩隈にとって致命的な二段モーションの禁止の導入である。 更に肩の怪の悪化がありフォーム変更どころの騒ぎではなくなり8月まで復帰がずれ込み6試合登板、1勝2敗という手痛い成績に終わってしまった。

岩隈の受難は2007年も続いた。今度は背中・肘・と続々と故障を連発。本調子を維持することが難しかったが1年間投げとおし5勝5敗の成績を残してシーズンを終えた。

2008年 2009年 岩隈の進化・躍進

岩隈といえば2008年2009年が特にいたシーズンであった。
2008年岩隈はついに二段モーションの修正に成功。楽天移籍後初の四球完封勝利に始まり、終わってみれば21勝4敗(1985年以来の23年ぶりの21投手の登場)で最多勝防御率1.87最優秀防御率)、勝率.870で投手三冠を獲得した。更に沢村賞パリーグMVPパリーグベストナイン藤井彰人と共に最優秀バッテリーと列挙したらキリがないほどタイトルを総ナメした。ちなみに、この年の楽天65勝76敗3分という成績であり、この年の楽天の勝ち数のほぼ1/3は岩隈が上げたということになる。

ところが、シーズンオフに致命的なエラーやらかした
岩隈オフフジテレビ系列とんねるずのみなさんのおかげでした」の食わず嫌いに出演。対戦相手は中島美嘉藤井彰人がいなかったせいか、見事に配球(弱点)を見透かされ、敗北シーズン4敗だったのに…
ちなみにNGだった食べ物は「アサリ蒸し」。本人く、「ジャリジャリするから」。その負けを受けて、実況野球板では「イワクマンゴww」のスレが立ってしまった。罰ゲーム野村克也監督ものまねだった。岩隈ェ…

2009年

2009年チーム成績もさることながら対外的にも大活躍。
WBC日本代表として、松坂大輔ダルビッシュ有日本代表の三本柱を務めた。
敗者復活戦キューバ戦では打たせて取るの頂を見せ6回失点、18アウトのうち15アウト内野ゴロであった。
そして岩隈は決勝戦の韓国戦でも先発を務め、7回2/3を2失点で抑え込み後へ繋いだ。
ちなみに、岩隈の後を継いだのはダルビッシュであったが土壇場で追いつかれ同点に。しかし、延長10回にこの男神の一打[動]で突き放し、日本WBC連覇を成し遂げた。

楽天のペナント大躍進。開幕戦ではWBCで共に世界一に貢献したダルビッシュ有と投げ合い、これに勝利してチームを勢いに乗せ、この年岩隈は13勝6敗という成績を残しチームシーズン2位、球団史上初のAクラスで終了。

CS第1ステージでは3位ソフトバンクを9回4失点で撃退しファイナルステージへと進出。しかし岩隈ファイナルステージ2戦を投げるも接戦の末敗北
そして負ければCS敗退、更に野村克也監督の退任が決まってしまう第4戦。岩隈は2点差を追いかける8回裏にまさかの中1日リリーフで登場。
相手は初戦で抑えである福盛和男があの福盛の21球逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれたターメル・スレッジ
岩隈は全投球で相対し、結果、スレッジトドメの3ランを打たれ、尽きた。

2010年 2011年 メジャー挑戦へ…

2010年岩隈FAを待たずポスティングによるメジャー挑戦を表明。

シーズンを10勝9敗で終え、入札・移籍交渉へと臨んだ。結果、メジャーオークランド・アスレチックスが交渉権を獲得し交渉するものの条件面で折り合わずに破談した。この件に関してはアスレチックス岩隈獲得を表明したライバル球団を妨するためにそもそも獲得する気がなかったのに高額入札をして交渉権を奪い、わざと破談させたなどという噂が流れ、ポスティングシステム日本側の圧倒的不利なシステムの欠陥を明する出来事となった。ポスティングシステムの入札契約して初めて支払われるため、契約をしなかったアスレチックスは何のペナルティも負うことなく(妨する気があったならば)妨を成功させたことになる。

ポスティングが成立しなかったことにより楽天と再契約した2011年シーズンFAによって女房役の藤井彰人阪神タイガースに移籍。一部ファンの間では岩隈がいなくなることによる出場機会の消滅を危惧してのFAだったと噂されただけにポスティング破談による岩隈残留は何とも複雑な結果になってしまった。
調子の方は統一球の影が幸いし、開幕から勝ちを重ね続けるが、突如肩に違和感を訴えて5月から7月まで間を開けてしまい、さらに復帰後も調子が思わしくないのか怪前のように勝つことができなくなり、6勝7敗と少々沈んでシーズンを終えた。

2011年オフFA権取得で再度メジャー挑戦を表明し、2012年1月5日シアトル・マリナーズと1年契約を結んだ。

2012年~ メジャーリーグでの躍動

2012年マリナーズに加入した岩隈先発投手として登板することをすが、日本で行われた巨人とのオープン戦にてジョン・ボウカーホームランを浴びるなど打ちこまれてしまい、開幕は中継ぎで迎えることとなる。
しかし開幕してからもしばらくは出番が回ってこず、4月17日には開幕ロースターに入った投手一出番がいという記録を作ってしまうが、4月20日メジャー登板を果たし、5月30日には3失点ながら3イニングを投げメジャーセーブを記録、6月16日には6回から登板し2回を失点に抑えメジャー勝利を挙げる。
中継ぎとしては防御率4点代と微妙な成績だったが、マリナーズ先発投手の一人であるヘクター・ノエシが不振に陥っていたことで岩隈チャンスが回ってくる。
7月2日に初先発を果たすと、7月30日には8回を投げ1失点13奪三振という素晴らしい投球で先発勝利を挙げ、その後もシーズン終了まで先発として登板し続け、9月14日にはテキサス・レンジャーズに所属するダルビッシュ有メジャー初対決を迎え、強打のレンジャーズ打線を5と1/3回2失点に抑えるがダルビッシュも7回1失点と好投し岩隈は敗戦投手となった。
最終的にメジャーでの一年125と1/3回を投げ9勝5敗、防御率3.16という成績を残す。
なお先発での成績を見ると8勝4敗、防御率2.65というエース級の数字を残している。



次へ»
最終更新日: 19/03/25 06:43
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ