7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します
川口誠とは、フジテレビジョンに勤務していた元テレビマンことパピアント・グッチャン2である。
1987年11月から6年近くフジテレビ系で放送されていたコントバラエティー「志村けんのだいじょうぶだぁ」が1993年9月をもって特別番組に移行することとなりレギュラー番組としては終了した。一方、志村けんをメインとしたレギュラーのバラエティー番組は別に新番組を立ち上げて継続されることとなり、1993年10月20日から水曜夜7時半からの30分番組として「志村けんはいかがでしょう」がスタートする。本番組は志村と渡辺美奈代が全国各地を訪れた模様を紹介するロケ企画とスタジオに観客を入れた公開コントの2部構成になっていた。
公開コントはショートコントを数本演じるものであったが、その中の1つにおいて、毎回違うシチュエーションで物語が進む流れの中、誰かが業を煮やして「ろくでなし!」と叫ぶと、突然越路吹雪の1960年代のヒット曲「ろくでなし」のイントロとともに、ステージ上に「パピアント・グッチャン2」(以下パピアント)が登場。そして、「ろくでなし」のサビの部分を言葉の区切りごとに、途中で指を二本突き上げつつ「ウィッ!」と掛け声を入れながら歌い、終わると何事もなかったかのように真顔でそそくさと退場するというネタが登場した。
「なんなんだあれは?」となるものの、面白がってもう一度「ろくでなし!」と叫ぶと同じように「ろくでなし」のイントロが流れ、パピアントが登場して同じことを繰り返す。呼ばれれば現れを2~3回続け、「ウィッ!」は出演者全員と観客も一緒になってやるのだが、頃合いを見て志村が「いいかげんにしろ!」とか「やかましい!」とパピアントを突き倒してオチというものであった。
この「パピアント・グッチャン2」を演じていたのが本番組の演出スタッフ(ディレクターに相当)であった川口誠であった。既にテレビマンとしてのキャリアはあるも、演者としてはプロではない川口であったが、歌も振り付けも堂々とコミカルにやってのけ、衣装もコントに合わせた普通の服だったり奇抜極まりないものまで毎回様々だったことから強いインパクトを与えた。当初は登場すると「パピアント・グッチャン2」とネームテロップが表示されていたのだが、やがて表示されなくなるほど定着する。
当初はどこで登場するのかもわからなかったが、やがて毎回の最後のコントに固定。誰かが「ろくでなし!」と叫ぶか、「ろくでなし」のイントロが流れることで、時には突拍子もない場所からパピアントが現れると会場から大声援が飛び、ステージと観客席が一体で「ウィッ!」とやる程になった。また、「ろくでなし!」に続く流れを観客に見抜かれないよう、前振りのコントが5分以上続いたり、一見関係なさそうなコントで始まり、曲をかけるとなぜか「ろくでなし」が流れたり、ダジャレで実は「ろくでなし」というキーワードが完成するなど、「だいじょうぶだぁ」の「好きになった人」に近い手法も使うなど、時にサプライズ感も出して変化を付ける番組名物のコントとなった。
ちなみに、越路吹雪が歌う実際の「ろくでなし」のサビの部分で「ウィッ!」というのは最後の「なんてーひどーいーオーウィッ!言い方~」という1回だけであり、そこはアレンジされている。
1995年4月から水曜夜7時半枠はアニメ「F」の枠移動以来7年ぶりにアニメの放送枠(1作目は「クマのプー太郎」)に変更されることになり、「いかがでしょう」は月曜7時からの1時間番組にリニューアルされる。この際に川口が人事異動に伴い本番組の制作から離れたため「ろくでなし」コントは枠移動と共に消滅することとなった。
なお、月曜以降後の「いかがでしょう」は時間拡大分を使って出演者によるゲームコーナーが加わったり、水曜時代は出演していなかった田代まさしがレギュラーに復帰して、芸能活動を休止していた松本典子以外の「だいじょうぶだぁ」の全盛期メンバーが揃ったものの、裏番組に前年にスタートし既に高視聴率番組となっていたTBSの「関口宏の東京フレンドパークII」がぶつかるなどし苦戦。また、月曜7時枠はフジ系列ではローカルセールス枠ゆえ未放送となった地域もあり、月曜移行後はわずか半年で番組が終了してしまった(同時間帯で「志村けんのオレがナニしたのヨ?」にリニューアル)。
▲川口は「ドリフ大爆笑」の演出補(アシスタントディレクターに相当)をはじめフジテレビでザ・ドリフターズ関連番組のスタッフとして以前から志村と関わりが多く、「大爆笑」同様に名目上イザワオフィスの企画制作番組であった「志村けんのだいじょうぶだぁ」でもフジテレビ側の演出担当であった。「だいじょうぶだぁ」等のフジテレビでの志村コントは、会話の中に出てくる近所や同僚の名前、エピソードは番組スタッフの名前やエピソードを使っていることが多く、その中でも多く出ていた「川口」とは川口誠のことであったと推測される。
近所の人や志村の会社の同僚の話として番組スタッフの楽屋ネタを多用していた「だいじょうぶだぁ」の「5時の夫婦」コントで暴露されたエピソードを総合すると、川口は「お人好しで仕事ではおとなしいのに打ち上げや宴会ではむちゃくちゃ」だったそうで、宴会芸ではじけるキャラクターに早くから志村が目を付けたのか、「だいじょうぶだぁ」時代から時にセリフもあるモブキャラとしてちょくちょくコントにも出演していた。中にはオチで川口が登場したり、バレエスクールなのになぜか宮崎県延岡市の民謡「ばんば踊り」を教える先生役という中心的な役柄を任されたコントも存在した。ただ、いろんなコントで「川口」という名前は出ていたとはいえ、突然ほぼ紹介もなく登場していたので当時の視聴者的には誰なんだ状態だったと推測される。
ちなみに、後に大々的にやる「ろくでなし」も「だいじょうぶだぁ」の頃に既に持ちネタになっていたようで、「5時の夫婦」のある回で、ベロベロに酔っぱらったような声で「ろくでなしーウィッ!」とのちの「いかがでしょう」の時とほぼ同じフレーズで大声で歌う、通りすがりの酔っ払いとして声だけ出演し、睡眠の邪魔だと石野陽子演じる妻と窓越しに姿を見せない形で口ゲンカを演じたこともあった。
エンディングのスタッフロールには毎回名前が出ていたが、コントに出演した回の「だいじょうぶだぁ」のオープニングに流れる出演者のクレジットに「川口 誠」と表示されている回も存在する。
川口は番組制作から離れた後は、フジテレビの美術制作局美術制作センター部長や広報部副部長を歴任したとのこと。
なお、志村のレギュラーコント番組は1996年秋以降深夜枠に移行していたが、その中の2010年に放送された深夜枠「志村軒」において、物語の舞台であるラーメン屋の客として短時間ながら川口がゲスト出演したことがあり、「いかがでしょう」時代の映像も挿入された上で志村から「ろくでなしの人だよ」と紹介された。
▲「いかがでしょう」で川口が「パピアント・グッチャン2」を名乗る前から「だいじょうぶだぁ」では主に「5時の夫婦」のコント内で「パピアントクワント~」という謎のフレーズが多用されており、川口のパピアントはここから取られた可能性が高そうであるが、ある回でこのフレーズに疑問を呈した石野に志村は「意味ないからいいんだよ、楽しければ」と返しており、結局意味は不明である。
▲1年半にわたりゴールデンタイムの番組に出演していたことからインターネット上にも川口に関する記述が番組の記憶としての書き込みや記録に残っていたが、一方で出所不明ながら具体的な時期や病名まであげて死去したとの記述が散見されていた。
しかし、2020年3月に志村が新型コロナウイルス感染に伴う肺炎で死去した直後、フォークデュオ「HONEBONE」のKAWAGUCHIが自身のnoteに志村死去に関する投稿を行い、自身の父は川口誠であることを明かしたうえで、かつてスタッフの子供として接する機会があった志村との想い出を綴り、川口自身は仕事を退職している現在も「バリ生きてます」と健在であることを明記している。
▲