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平賀朝雅


ヨミ: ヒラガトモマサ

平賀朝雅(?~1205)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。


概要


清和源氏信濃源氏出身で、父親平賀義信母親企尼の三女の子として生まれた。大内惟義同様軍事貴族武者としてのノウハウから在活動が多く、さらに北条時政と牧の方の間に生まれた婿となったために波乱の生涯を送る。
官位は武蔵守を経て右衛門権佐。幕府では京都守護を務め、さらに三日平氏の乱で山内首藤経俊に代わって伊勢賀の守護を務める。

牧の方は自分の婿である平賀朝雅を幼い源実朝に代わって将軍位につけようとし、北条時政もそれに乗っかることとなった。そこでまず平賀朝雅と畠山重保の対立を利用して牧の方による讒言もあり、畠山重忠の乱を起こしたのである。

かしこれが裏に出てしまう。牧の方が平賀朝雅を将軍にして源実朝を殺そうとしている聞が立ち、北条義時北条政子らによって北条時政は出させられたうえで追放されたのである。牧の方はこれにただ付き従うのみであった。

この牧氏の変によって平賀朝雅も追討されることとなり、伊勢賀守護の回復を狙う山内首藤経俊息子山内首藤通基の放った矢に当たって死ぬのである。この件に関して大内惟義は何も関与せず、陰謀に巻き込まれた人生であった。


関連項目



最終更新日: 17/08/17 22:08
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