7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します
広島東洋カープとは、セントラル・リーグに属する日本のプロ野球球団である。
セントラル・リーグ | |
---|---|
広島東洋カープ | |
基本情報 | |
創設 | 1950年 |
本拠地 | MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 |
一般略称 | 広島 |
アルファベット | C |
優勝回数 | |
優勝 | 9回 |
日本一 | 3回 |
セ・パ交流戦 | 0回 |
アジアチャンピオン | 0回 |
永久欠番 | |
・3:衣笠祥雄(1988年-) ・8:山本浩二(1987年-) ・15:黒田博樹(2017年-) |
|
永久預かり | |
・25:新井貴浩(2018年-) | |
経歴 | |
プロ野球球団テンプレート |
設立当初は原爆からの復興途上ということもあり、広島に球団を持てる規模の企業がなく、柱となる親会社がなかったため、資金繰りに苦しんでいた。そのためを資金集めの後援会を設立し1万3000人の会員を集め、本拠地広島総合球場前(現・Coca-Cola West野球場)での酒樽の中にカンパする「タル募金」などを行ない黒字化に成功するなど伝説を残している。
なお、設立時の借金がどうやっても返せる見込みがなかったので、東洋工業(現・マツダ)社長の松田恒次(後の初代オーナー)の発案で、1955年に当時の球団運営企業だった「広島野球倶楽部」を一旦計画倒産させ、新たな運営企業「株式会社広島カープ」を設立し、事業を継承させた。なお、この時カープの経営トップ陣は、パ・リーグ側の追求に対し、セ・リーグの会長やセの他球団の代表に根回しして「運営企業が名称変更しただけ」ということにして押し通すという無茶苦茶な荒業を使って解散扱いになって選手を取られるのを回避している。
現在は地元・広島の自動車メーカーであるマツダが球団の3分の1以上の株式を保有する筆頭株主であるが、マツダは広島東洋カープを「持分法を適用していない非連結子会社」と位置づけており 親会社としての球団への資金提供・赤字補填などの球団経営への積極関与は行っていない。その一方で、マツダ創業家である松田家一族の個人(松田元20.4% 松田弘12.2% 松田勢津子10.1%)がそれぞれ所有株式を持っており全て合わせるとマツダの所有比率を上回り、議決権ベースでは過半数に達する。
つまりどういうことかというと、現在は市民球団ではなく実質的に松田家当主・松田元(まつだ はじめ)氏の個人の持ち球団である。ちなみに、祖父・松田恒次から3代続けてカープオーナーである。とは言え、特定の親会社を持たずに経営を成立させているという点から、現在もなお、市民球団のイメージは強い。
本拠地はMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島県広島市、通称はマツダスタジアム)。二軍の本拠地は広島東洋カープ由宇練習場(山口県岩国市)。
マツダスタジアムは2009年開場の球場で、12球団の本拠地としては最も新しい球場である。内外野総天然芝と左右非対称のグラウンド(ホームベースからの距離がレフトのほうが1m長い)を採用しており、メジャーリーグの球場に近い特徴を持つ。
由宇球場は「秘境」と言われる程、公共交通機関でのアクセスが困難な球場で「練習場」の名が示すとおり、ファンの観戦は考慮された作りじゃなかったが、近年のブームで観客が激増したこともあってか、
駐車場の台数を増やしまくったり(なお、それでも満車になる事も多い)、グラウンドを観戦しやすいように改修したり、スコアボードを手書き式から電光式にしたり、売店を設けたりと整備が進められつつある。
かつては衣笠祥雄、山本浩二、達川光男ら打撃陣の活躍、北別府学、大野豊、川口和久、津田恒実ら投手陣の活躍で「赤ヘル軍団」と呼ばれ、1975年の初優勝をきっかけにセントラル・リーグ優勝、日本一を幾度か経験するなど、1970年代から90年代初頭までは非常に強いチームであった。
しかし、1984年の日本一、1991年のリーグ優勝を最後に20年以上優勝できず。1997年シーズンを最後にAクラスからも遠ざけられ、21世紀突入以降、NPBで唯一Aクラスを経験していない球団となっていた。
しかし、2013年の9月25日の試合で、リーグ通算3位が確定し、ついに16年ぶりのAクラス、そして球団史上初のクライマックスシリーズを決めた。
さらに、2016年の9月10日の試合で25年ぶりのリーグ優勝を達成、2017年9月18日には37年ぶりの二連覇を達成した。
球団の金銭的事情もあって、2007年前後まではFA宣言残留を認めておらず、そのためエース級投手や4番が頻繁に移籍していた(現在は宣言した選手によっては、FA残留を認めている)。
特に東隣の球団へは金本知憲(FA宣言→宣言残留を球団が認めず移籍)、アンディ・シーツ(年俸交渉決裂により退団→拾う)、新井貴浩(辛いです事件)と3人連続で4番打者が移籍したため、「東隣のチームの二軍、ファーム」などと揶揄される時期が長く続いた。そのため、カープファンの東隣のファンへの好感度は当然ながら高くない。
上述のFA問題と併せ、かつては12球団一総年俸が低かったことなどから、貧乏球団のイメージが浸透している。2008年度のカープ全選手の総年俸が、2007年オフにメジャー移籍した黒田博樹の契約金+年俸より低かったと言う、まるで冗談のような逸話まである。ちなみに、2006年、2007年はギリギリ黒字であったが、新井と黒田が退団した2008年には2億円以上の大幅黒字増になったという笑えないエピソードもある。
しかし、2009年に新規開業したMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の指定管理者に専任されたことにより、球団の収益は大幅に改善するようになった。新球場移転、カープ女子ブーム、黒田復帰などにより、2014年は来場者数が200万人目前まで伸び、2015年にはついに200万人を突破した(2004年までは100万人を割っていた)。これにより、当期純利益も2014年は5億円、2015年には7億円にまで伸びた。やや財政的に余裕が出てきたのか、2015年度の選手総年俸は12球団中6位まで上昇した。
また、2010年に当時横浜の選手だった内川聖一の獲得に手を上げたり(結局ソフトバンクに入団)、2015年にエースの前田健太がカープで初めて年俸3億に到達(セ・リーグの投手としては最年少記録)した直後に、年俸4億で黒田を復帰させる、年俸1億円以上の外国人選手を相次いで獲得するなど、徐々に変化が現れつつある。
2016年には黒田博樹が山本浩二以来、約30年ぶりにNPB最高年俸の6億円で契約更改するなど、貧乏球団の汚名を返上しつつある。
上記で書いた通り貧乏球団のイメージがあるカープではあるが、実は30年以上黒字を計上している。
というのも、もし赤字になった場合それを補てんするには松田家だけでは困難なため、赤字には絶対できないのである。
そのせいで、かつてはFAで選手が取れなかったり引き止められなかったりして弱くなるという悪循環にはまっていた。
少しでも球団の収益を増やすためか、グッズやコラボ商品が異様に多く、特にベビー用品などは『taitai』(広島の幼児語で魚の意味)というブランドを立ち上げるほど充実している。
昔からグッズは多かったらしいが、火をつけたのがブラウン監督時代だった。2006年のベース投げ事件が起きた後の試合前の練習で「MY MANAGER THEROWS BASES(ウチの監督はベースを投げるぞ)」や「THEROW BASES(私はベースを投げるぞ)」と書かれた練習用のTシャツ(発案者はオーナーである松田元氏)を着ていたことからファンからの問い合わせが来たこととTBS系列で全国放送されているサンデーモーニングでその話題を取り上げたところ張本氏からは語気を強めて「松田オーナーにあっぱれ」と評され、大沢啓二親分からは「売り始めたら売れますよ」と言われるほどであり、広島のグッズ販売の方向性が決まるきっかけとなった。
また、最近の試合で起きた事件を記念して発売する記念Tシャツは試合日の翌々日には通販で売り出し、今やカープのお家芸となっている。松田一宏オーナー代行によるとスピード重視と語っており、自社工場を構えるほどである。最近では、2000本安打まで残り25本に迫った新井貴浩が、ヒットを一本撃つごとにカウントダウンTシャツを売り出している。
2016年に優勝した時には、ビールかけで選手が着ていたTシャツのレプリカも販売されたが、県内のスーパーなどの各店舗で入荷即完売の状況が頻発し、しばらくの間、入手困難な状況が続いた。
マスコットのカープ坊やのコラボ商品は仕事選べと言いたくなるほど多く、広島の浄土真宗本願寺派とのカープ坊主や七福神坊やあたりはまだわからないでもないが、サッカーや自転車、プロレスなどの野球以外のスポーツ、挙句の果てにはツール・ド・フランスの常連客の「悪魔おじさん」とのコラボなど意味不明なものまで存在する。
兄弟?に「カープ女の子」と「ベビー坊や」がいる。カープ女の子は赤毛の天パが特徴で、ベビー坊やはバットの代わりに哺乳瓶をもつ。先述の「taitai」のペットマークはベビー坊やである。
これ以外に、選手を坊や化した選手坊やシリーズがある。
選手運用は「育てて使う」が基本で、事実アマチュア時代ほぼ無名だった選手が(高卒の場合)5~6年の下積み後に一軍デビューしファンの胸を熱くするケースが多い。ファンもその喜びをよく理解しており、無い物ねだりは基本的にドラフトのみ。最近では2011年の今村や2012年の堂林抜擢が顕著な例。
その一方で高卒投手の墓場が長年続いており、90年代の急激な弱体化はこのことによる投手力低下が無縁ではない(野手は毎年のように主力が抜けても割とすぐ埋まった)。この年の高校生ナンバー1投手・川島堅を競合の末に引き当てるも、結局潰した1987年のドラフトが象徴的である(高卒投手6人を指名して全滅に終わる)。
最近では即戦力の大卒または社会人投手の獲得も多く、野村祐輔(11年1位)、大瀬良大地(13年1位)、九里亜蓮(13年2位)、薮田和樹(14年2位)、岡田明丈(15年1位)など、ルーキーイヤー、または2、3年目までに顕著な成績を残す者も続々出始めている。
マスコットはキモカワイイ事で有名なスラィリー。ピロ
通常の体毛は青色だが、チームが大量得点を上げるなどハッピーなことがあると、ピンク色の「ハッピースラィリー」が登場することがある。
また冒頭の、球団ペットマークに使用されている子供のマスコットの名前はカープ坊や。かつて中日、近鉄、大洋など他の球団でも多く存在した、野球少年をモチーフにしたマスコットの貴重な生き残りである。
今日ではカープ坊やには派生キャラが多数存在する。興味ある人はカープグッズショップ[外部]を要チェック。
余談ではあるが、かつては前田や篠田等、AKB48と姓が被る選手が多かったため、県外の一般人がカープの話をしているかと思ったらAKB48の話題だった、とぬか喜びさせられたことも。