ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


御供衆


ヨミ: オトモシュウ

御供衆とは、室町幕府称号の一つで将軍の出行に供奉するとされた身分の人々をす言葉である。


概要


かつては足利尊氏の挙兵に付き従った人々の子孫に代々与えられた名誉とされてきたが、そんなことはなく室町時代中期から成立したものである。成立したのが足利義教期か、足利義政期かという議論はあるものの、大名ではなく特別な御供衆と武様の出行を行うものが次第に確立し、明応の政変くらいまではその形式が維持されてきた。

おおよそその格にあった相伴衆一色氏、阿波細川氏能登畠山氏、外様衆(または持衆)の若狭武田氏、山名因幡守護富樫氏の子に加えて、当そのものがこの格にあったものとして

らがあった。また、足利義尹足利義稙)復権の際に協関係にあった一色兵部細川駿河守吉見氏といった人々がそれ以降外様衆から昇格している(足利義晴と協関係にあった朽木氏もこの流れに含まれるかもしれない)。

明応の政変以降の戦国時代に入ると、それまでの格として御供衆にあった人々に加わり三好長慶松永久秀といった名前も見られるようになる、将軍出行が御供衆を伴った武様のもののみに一本化される、といった変化はあったものの将軍に供奉するという性格から実の伴った格式として足利義昭期まで維持されていった。


御供衆の一覧



足利義持~足利義量期


まだ~衆が制度として確立していないため、格が成立する前である。

『花営三代記』(足利義持)

大名御供人数

『花営三代記』(足利義量の御方衆)

足利義教期

足利義教期の御供衆は二木謙一の説など異論もあるが、利便性のこともあるので書くこととする。

初期(「永享以来御番帳」)

(「永享以来御番帳」)

足利義政期

長禄頃(「長禄二年以来申次記」)

文明11、12年(「宗五代草紙」)

一番
二番
御番外れ

文明13年(「蜷川親元日記」)

一番
二番

足利義尚期

長享元年(「常徳院江州動座着到」)

加えて、足利義政として一色兵部少細川淡路治部少伊勢貞宗、伊勢右京、大政重の5人もいる。

足利義材期

明応元年(「東山殿時代大名様附」)

明のように後世の創作とする見方もある。

明応の政変から先は「永六年諸役人附」近年の研究で永6年頃の足利義輝期の前半と永10~11年頃の上以前の足利義昭期の後半に分かれてることが明らかになったらしい。以外リストらしいものが残ってないので、史料から部分的にメンバー明らかになっているにすぎない。

足利義稙期

永正5年(「瓦林政頼記」)

永正7年(「永正七年在京衆交名」)

永正9年(「後法成寺尚通公記」)

永正12年(「足利義稙三条御所移動次第」)

永正15年(「伊勢家書」、「醍醐寺御登山日記」)

足利義晴期

大永2、3年(「祇園会御見物御成記」、「伊勢守貞忠亭御成記」)


次へ»
最終更新日: 20/08/15 00:37
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ