ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎


ヨミ: リュウツウケイザイダイガクドラゴンズリュウガサキ
掲示板をミル!
3カキコ!

流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎とは、茨城県ケ崎を本拠地とする、JFL所属のサッカーチーム及び流通経済大学サッカー部のサテライトチーム(※現在2軍である。


概要


日本フットボールリーグ
流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎
基本情報
創設年 2001年
チームカラー

グレー
ホーム
スタジアム
ケ崎陸上競技場たつのこフィールド[ケ崎]
ホームタウン 茨城県ケ崎
前身 クラブ・ドラゴンズ
サッカークラブテンプレート

関東大学サッカーリーグに所属するトップチームでの出場機会に恵まれない部員の為に結成された。結成当時から今日に至るまで社会人リーグに所属している。


ココで書くのもアレだが、大学チームなのに何で社会人リーグプレーしているの?大学リーグが有るんだからそっちでやれよ。住み分けを考えろよ」と、大学大学カテゴリで、社会人社会人カテゴリで』という住み分けに拘る人もいるだろうが大学サッカー部のサテライトチーム社会人リーグに参加するのは日本サッカー界では大昔から許容されていることなのだそもそも大学チームプロチーム社会人チームと同様に、チーム登録が第1種(※年齢制限しのチーム)に区分されるので、各地の社会人リーグや協会が厳格な制限でも掛けない限りは参加可となっている。なお、旧JFLがあった時代には、自地決に出場権利を手にして勝ち抜いて、旧JFL昇格権利を手にした(のち諸事情で辞退した)大学サッカー部のサテライトチームの存在もあった。


チーム創設時~茨城県リーグ在籍時の時代 ‐まだ2軍の立場だった頃‐


さて、ドラゴンズ21世紀初頭である2001年に「ヶ崎FC」というチーム名で結成、茨城県リーグに登録する。のちの総監督である中野雄二が流経大サッカー部の導者になって3年ほど経過した頃だった。


余談だが、当時の流経大サッカー部は、中野導者になる前から居座っている部員(上級生)たちによる荒れ模様が収まり始めた頃だった中野本人はその荒れ模様がまだあった頃、自分がスカウトした阿部吉朗を初めとする有な教え子(下級生)たちがストイックに練習に取り組み成長し、且つ卒業後にその阿部がJリーガーになったことに感銘を受け、同部で導者を続けることを決意したというエピソードが有る。(※サッカーキングの記事[外部]より)


その後、ヶ崎FCは結成3年にて「クラブ・ドラゴンズ」(以下クラドラ)にチーム名を変更、茨城県リーグ2部優勝を飾り、同1部昇格を決める。この頃は全クラブチームサッカー選手権大会本選で2位の成績を収める。

シーズンの昇格1年では1部初優勝を遂げ、また、茨城県知事杯大会で準優勝の成績を収めた(※関連動画[外部])が、関東リーグ昇格を賭けた関東社会人サッカー大会では3位と、関東リーグ2部昇格圏内である大会2位以内に届かず茨城県リーグ1部残留することになる。翌年(2004年)の1部2年では11チーム中4位に終わった。

この2004年シーズントップチームは部に所属する選手が増えたことにより、選手たちの出場機会の場を増やそうとJFL参入を計画。シーズン終盤には全日大学サッカー連盟の推薦を受けて全国地域サッカーリーグ決勝大会地決)を戦っていた。そして、トップチーム地決を準優勝で飾り、JFL参入を決める。この時、トップチームとは別にJFL用のチームを創設し、それをセカンドチームと定めたため、翌2005年シーズンからクラドラサードチームの立場となった。(※ゲキサカの記事を参照のこと[外部]


関東リーグで四苦八苦してきた時代 ‐3軍として過ごしてきた頃‐


2005年シーズンクラドラ茨城県リーグ1部2度優勝を飾る。そして、関東社会人サッカー大会を優勝で収め、満を持して関東リーグ2部昇格を果たした。

関東リーグ2部では、何と昇格1年優勝を成し遂げて、1部昇格を決めた。翌年も1部で8チーム中4位、翌々年も3位と伸し上がる。また、2005年から4年連続で天皇杯茨城県予選決勝に進出するなど(※結果は全て準優勝)、入れ替わりしい学生チームの割りに好成績を収め続ける。

しかし、2010年シーズンはその勢いにも陰りが見え始め、8チーム中7位となり2部に自動降格。このシーズンは、大人の事情クラブチーム化していたJFL用のチームであった「流通経済大学FC」(流経大FC)もJFLで最下位となって関東リーグ1部に自動降格しており、ついに2軍3軍が同じリーグに所属することになった

2011年シーズンは2部で8チーム中3位となり自動昇格圏内には入らなかったが、関東リーグが1部・2部共に2012年シーズンから10チーム運営されることと、横浜スポーツ&カルチャークラブJFL昇格を決めたために追加の扱いで1部復帰が決定。とうとう2軍3軍が同じカテゴリリーグ戦で対決する時を迎えた。しかし、Jリーグ入りをチームが増え、地域リーグなのに急レベルが上がりまくった1部において所詮3軍クラドラは苦戦を強いられ、再昇格からわずか2年で2部に逆戻りすることになる。


チームの命運を変えた2014年 ‐下克上を印象づけたシーズン‐


2014年シーズン、再び1部復帰をクラドラ1年生で構成されたチームで臨み、この年の関東リーグ2部で2位となり1部復帰を決めた。・・・が、この年がそれだけで終わらなかったことを一体が想像していただろうか?

まずは天皇杯茨城県予選。決勝トーナメントまで進み、準決勝でトップチームと対戦。3-2で競り勝ち、アップセットをやってのける。なお、予選決勝では筑波大学蹴球部に0-1で敗れてしまい、茨城県代表の座を得ることは出来なかった。

次に全社会人サッカー選手権大会(全社)に出場し予選突破、本選出場を果たす。Jリーグ入りをして、何が何でも地決出場権を得ようと飢えるチームを押しのけて、見事準優勝の成績を収め、地決出場権を獲得する

そして地決では、まず、3つに分かれる予選グループにて、サウルコス福井FC鈴鹿ランポーレ、江シティFCの3チームと、いずれもJリーグ入りをチームたちと同組になった。

地決での戦い

第1戦である江戦は接戦の末に1-2で惨敗。地決では大抵第1戦で負けるチームは予選敗退するケース立っていたので、久々JFL所属の大学チーム登場を期待した周囲は「もう駄か」と諦めムードであったが、第2戦の福井戦では1-0の完封勝利で望みをつなぐ。そして、第3戦の鈴鹿戦で3-0と快勝し、予選グループ福井に次ぐ2位で終えるが、他のグループ2位である浦安SC新日鐵住金大分SCとは勝ち点で並んだものの得失点差で上回ったため、ワイルドカードとして決勝ラウンド進出を決めた。

決勝ラウンドに勝ち上がったのは、FC大阪奈良クラブ福井、そしてクラドラの4チーム。第1戦の福井戦はもつれにもつれてPK戦まで突入。相手キッカー2人を止めてPK勝ちを収める。その後、第2戦のFC大阪戦、第2戦の奈良戦はそれぞれ接戦の末1-2で敗れてしまったが、第1戦の相手だった福井FC大阪奈良敗したために、勝ち点で福井を上回り、初の地決で3位という成績を収めたのだった

JFL昇格を決める

2014年JFL昇格だが、実は自動昇格は2つしか用意されてなかったので地決優勝奈良と準優勝FC大阪の自動昇格は確定した。だが、同年シーズンJFLレノファ山口FCJ3昇格が決定したため、昇格が1つ増えた。最後のは、3位のクラドラ、4位の福井、そして今回地決に出場した若干数の何となくクラブたちの中から決定することになったわけだが、結果的に地決での成績が重視されてため、3位のクラドラが3つJFL昇格を手にしたのだった。

結成から初めてJFL昇格を果たしたそんなクラドラだが、今シーズンでの活躍により・・・

・・・となった。

ちなみに、茨城県チームが全社経由で地決出場を果たしたのは2例であった。茨城県って凄いな。(小並感)

・・・一方、3軍であったクラブ・ドラゴンズが飛び級しちゃったことで、関東リーグ1部残留となった2軍流経大FCカテゴリが逆転してしまったつまり、3軍2軍よりも上の立場になっちゃった・・・。そんなわけで、2015年から流経大FC入れ替わり2軍の立場に戻り、JFLに臨むことになった。


いざ、JFLへ・・・! -名称変更しました-


2015年からは現在の名称でJFLを戦うことになった。このシーズンではプロクラブJリーグクラブ)の2軍ファジアーノ岡山ネクスト(ネクスファジ))vs大学クラブ2軍(流通経済大学ドラゴンズ龍ケ崎)というカード復活することになった。これは、2011年の『ジェフリザーブズ(かつて存在したジェフユナイテッド市原・千葉2軍vs流通経済大学FC(当時の流通経済大学サッカー部の2軍)』以来の事になる。

プロ社会人といった大人たち相手に、学生の彼らがどれだけ頑れるか期待されたが、結果としては年間成績14位(16チーム中)という結果であった。しかし、ネクスファジやJリーグ年構想チームである栃木ウーヴァFC(最下位)よりも順位が上であり、尚且つ、ネクスファジ相手には2戦2勝していた。

来季以降は学生チーム故に選手の入れ替えがまぐるしく変わると思われるが、どんな逸材がJFLで躍動するのか注である。


次へ»
最終更新日: 18/11/23 06:39
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ