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畠山義総


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畠山義総(1491~1545)とは、室町時代に活躍した武将である。


ここまでのあらすじ


畠山氏は畠山国清が更迭されたものの、その畠山義深の活躍によって義深の息子畠山が管領に就任したことで、復権を遂げた。しかし、基の嫡男・畠山足利義満から忌避され、その畠山満慶が督を継ぐ。しかし義満没後、満慶は・満督を譲り、自らは能登の守護職だけを継いだ。これが能登畠山氏である。

能登畠山氏はその後、畠山義忠、畠山義有と続いていく。そしてついに畠山義統の代に宗である河内畠山氏の、畠山義就畠山政長の跡継ぎ争いが起きる。義統はこの騒動に対し、義就の総州の方に味方し、応仁の乱では西軍についたのである。しかし、1470年に畠山朝倉に殺されたことをきっかけに、義統は東軍に替えする。その後、義統は乱には積極的にかかわらず、終戦後は河内畠山氏の督争いで混乱する越中への進出、加賀から侵入した一向一の討伐など領経営に従事していった。

この後能登畠山氏は明応の政変以降の畿内情勢では、尾州畠山尚順とともに足利義材足利義稙)の支持者となる。畠山義統の嫡子・畠山義元は、明応の政変から追われ、越中から進出を企てた義材を軍事援助を試みたのだ。

しかし、ここで能登畠山氏にも問題が起こる。1500年、畠山義元の畠山慶致が擁立され、細川政元の支持もあり、義元が排斥されたのである。しかし河内畠山氏と異なり、1506年の一向一で両者は協し、慶致の子・畠山義総を養子として後継者になることを条件に、義元が再び督を継ぐ。

加えて細川政元暗殺後の畿内情勢の混乱に乗じて、周防から大内義興足利義稙を引き連れて上する。細川高国大内義興畠山尚順、そして畠山義元は義稙を支え、幕政に関与していったのである。しかし、能登は依然一向一からの攻撃を受け続け、義元は領へと戻り、畠山慶致と協してこれにあたっていった。


能登畠山氏中興の祖・畠山義総


そして1515年、畠山義元が亡くなると、畠山慶致の後援のもと畠山義総が跡を継いだ。義総は義元ともに在しており、また能登守護としての職務をすでに代行していたため、スムーズに継承できたのである。

畠山義総は足利義晴朝廷に盛んに献や礼物を贈り、能登における権威の向上を行っていった。さらには1519~1520年の越中の内乱において、畠山尚順の支持によって越後の長尾為景とともに鎮圧にあたり、越後長尾氏越中遊佐氏、神保氏といった守護代層と提携。両越同盟を成立させたのである。また加賀の一向一とも提携し、北陸地方に一時安定をもたらした。

一方足利義晴政権の中心人物であった六角定頼婚姻関係を結び、提携。この縁により石山本願寺とも和して、能登の一向一の鎮静化にも成功したのである。この背景には畠山九郎、畠山駿河、勝寺らが加賀に遁走し、一向一と結びついたことの対策の必要性もあったとされる

また文芸をたしなみ、冷泉為広、冷泉為和親子、三条西などとも交流を持った。こうして様々な守護、守護代、公家との交流を持った畠山義総は幕府や本願寺などとも通好を持ち、七尾下は栄えていったのである。


補足


信長の野望」(PCシリーズにおける畠山義総の力一覧。

全盛期を作った人物だけあって、較的高パラメーターである。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 75 戦闘 49 智謀 37 政治 82 野望 24
天翔記 戦才 122 智才 154 政才 166 83 野望 66
将星 戦闘 智謀 政治
烈風 采配 戦闘 智謀 政治
世記 采配 61 智謀 82 政治 92 野望 85
蒼天 統率 50 知略 72 政治 81
下創世 統率 知略 政治 教養
革新 統率 武勇 知略 政治
統率 85 武勇 80 知略 73 政治 82
創造 統率 84 武勇 79 知略 76 政治 81

関連項目



最終更新日: 18/03/08 12:35
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