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白河義綱(しらかわ・よしつな)とは
ここでは1.について記載する。
小峰義親(1541生)の父親に関しては白河顕頼や白河晴綱とする説もある。また義名・義雄についても「義親の弟」とされており、同様にはっきりしない部分がある。
かつては南奥で一大勢力を誇った白河氏も、彼の時代にはすっかり衰えてしまい、特に常陸の佐竹氏からボコボコに侵攻を受け続けた。挽回を目指して岩城重隆の娘・久保姫を息子の嫁に迎えようとしたが、伊達晴宗に強奪されてしまい失敗に終わった。悲しい事に何をやっても上手くいかない。かわいそうに…。
▲生年は不明だが、1500年頃かと思われる。
父・顕頼は那須氏を攻撃したが失敗に終わり、白河氏の弱体化は隠せない状況だった。家督継承する前後から佐竹氏の侵攻が激しくなってきた事に対抗して、支城をたくさん築城して攻撃に備えた。が、どんどん常陸国内の所領は奪われていった。
1534年、岩城重隆が娘・久保姫を義綱の嫡男・白河晴綱の嫁にどうかと縁談を持ちかけてきた。久保姫は奥州一と噂される美少女である。岩城氏とは義綱の曽祖父・白河直朝と重隆の曽祖父・岩城親隆の時代から良好な関係を維持し続けていて、この年はちょうど同盟60周年であった。
話は滞りなく進み、岩城氏との婚姻成立まではあと一歩と思われた。
………が、それは伊達稙宗・伊達晴宗父子によって阻止され、久保姫は晴宗に連れ去られてしまう。
この一件で伊達氏と対立するも、伊達方に多くの敵が参加する不利な情勢となり、敗れてしまった。こうして岩城氏との婚姻は破談に終わり、ますます勢力を衰退させることになってしまった。
1541年には佐竹義篤の攻撃で東館城を奪われて、遂に陸奥国への侵入を許してしまう。まさに踏んだり蹴ったりの状態であった。失意の状態となった義綱はまもなく家督を晴綱に譲り、十数年間、衰退していく白河結城氏の行く末を眺めながら隠居生活を送った。1558年までは生存が確認できる。
▲奥州マイナー大名家の宿命か。浪岡具永みたいに嵐世記(1506-1555)、蒼天録(1499-1556)、創造(1499-1559)と生没年設定が毎回違うじゃないか! 列伝の内容も白河結城氏の説明だけに終わっていて本人に関する情報が一切ないという、やっぱりかわいそうな子である。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 31 | 智謀 | 52 | 政治 | 43 | 野望 | 22 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 47 | 知略 | 45 | 政治 | 44 | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | 55 | 武勇 | 45 | 知略 | 55 | 政治 | 52 |