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白河顕頼


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白河顕頼(しらかわ・あきより ? ~ 1543?)とは、陸奥戦国大名である。白河結城9代当白河政朝の嫡男。那須資永白河五郎。子に白河義綱(および小峰義親、小峰義名、柏木義雄)。別名・政頼、顕

小峰義親(1541生)の父親に関しては白河義綱白河綱とする説もある。また義名・義雄についても「義親の」とされており、同様にはっきりしない部分がある。


概要


白河結城氏(白河氏)に関する詳細は白河直朝の記事も参照。

を追放して白河氏の督を継いだが、この隙を突かれて他侵略を許すなど、南に栄を誇った白河氏の勢は彼の時代から大きく揺らいでいく。


生涯


生年は不明。1470年頃と推測される。

嫡男時代

顕頼が若武者だったころの白河結城氏は最盛期を迎えていた。祖白河直朝の存在もあり、他からは畏怖や尊敬を受け、室町幕府からも信頼されていた。伊達名、相馬岩城那須田村という諸氏らと同盟を結び、ときに彼らの仲介人を務めるなど、南北関東の間で安定した勢を維持していた。

の死後も勢は衰えることなく、白河政朝は次男(顕頼の)を上那須に養子に出した(のちの那須資永)。

だが、ここにきて顕頼は不安に駆られるようになった。既に自分も壮年と呼べる年齢に達しているにも関わらず、は一向に督を譲らないのである。永正年間(1504~)になるとは後妻(名氏の)が産んだ五郎を溺するようになり、督を五郎に譲るのではないかと懸念した顕頼は督の奪取を論み始める。

とは言ったものの、一人で暴走して督を簒奪しても臣が自分に従うかは不安であったため、とりあえずが何かしらの問題を起こしたら挙兵しようと考えた。それまでの間、顕頼は土台となる味方作りに奔走した。

当主就任

そして1510年、時は来た

は有の当である小峰脩を突然攻めて自害に追い込んだ。これを好機到来と見て、殺された脩の・小峰直常や近隣の領岩城らと共にを攻めた。これにより五郎白河領から追放し、督を継ぐ事に成功する。
だがこのドタバタに佐竹義舜が介入してきたことで、かつて佐竹から奪った領土を失ってしまった。他の所領も岩城らによって大きく削られるなど、総じて高い代償を払う羽になった。

なお、これで後継者不在となった小峰氏を継いだのが、顕頼の息子ともいわれる小峰義親である。

永正の乱

大きく勢を衰退させた顕頼であったが、そこに挽回のチャンスが訪れた。永正の乱である。

越後での長尾為景の謀叛に始まり、山内上杉関東管領)上杉顕定1510年に越後で戦死。顕定亡き後、山内上杉督を巡り彼の2人の養子である上杉憲房上杉顕実が争う。更にこのどちらを支持するかを巡り古河でも足利政氏足利高基が対立して内紛に発展。争いは関東一円へと波及した。

顕頼は岩城佐竹義舜らと共に足利政氏上杉顕実方についた。だが、那須資永が養子にいった上那須那須資親は足利高基上杉憲房方につき、対立することとなった。(この辺りの背景には、高基方のキーマンである宇都宮成綱と上那須婚姻関係にあった事も関係している)
那須と停戦状態にあった下那須那須資房は、当初は政氏方であったが途中で寝返っている。

また、白河結城氏と下総結城氏は関東の争乱でこれまで幾度となく別営に分かれて戦っていたが、結城政朝は高基方で、今回も対立することになった。

この争いは1512年に高基が古河方に就任した事でほぼ勝負が決まり、1514年のの戦い・1516年の縄釣の戦いで佐竹義舜岩城宇都宮成綱に大敗する事で全決着となる。北関東での戦いにおいて顕頼は基本的に岩城軍と一緒に行動していたようだが、結局特に勢挽回する事もできずに終わってしまった。

那須氏との攻防

1514年、上那須の当那須資親が亡くなった。督は養子に入っていた那須資永が継承する…はずであった。しかし資親には晩年になって実子・那須資久が誕生しており、実の息子督を継ぐ事を望んだ資親は、遺言で資久を後継に名するのである。なんてよくあるパターンなんだ…。

このような経緯で上那須でも内紛が起こり、5~6倍の兵の資久軍に攻め寄せられた資永は自害した。ただ、資永も山田から資久を拉致してそれを殺している。こうして上那須は断絶し、下那須によって約100年ぶりに那須氏統一がなった(下那須那須資房の息子那須政資が上那須となり、両統一)。

白河氏の援軍は間に合わず、の死に憤した顕頼であったが当時はまだ永正の乱の戦いの最中であり、下那須は同じ政氏方という事で手が出せなかったようだ。…下那須はこの後、1516年までには宇都宮氏の調略で高基方に寝返ってしまうのだが。

顕頼が報復の兵を出したのはその6年後、永正の乱が終結した後の1520年であった。岩城の援軍を得て那須資房・那須政資子を攻めるも、逆に撃退されてしまう。
翌年には常導により小田政治宇都宮忠綱も味方につけたことで那須氏を追い詰めるが、自軍の損もまた大きく、これ以上の戦いで兵を失っては他からの侵略を許しかねない状況となる。結局、常を政資に娶らせて姻戚同盟を結ぶことによって、一連の争いは終息した。
その翌年には責任をとらされる形で嫡男・白河義綱督を譲り、隠居することとなった。

その後

見ての通り、この頃の戦いでは白河氏よりも岩城氏の方が何かと導権を握っている事が立つ。かつて南から北関東までいていた白河氏の名は顕頼の代を通してすっかり衰え、岩城氏がその立場を奪い取りつつあったのだが、彼らも永正の乱や対那須戦の失敗でを落とし、やがて白河などの地は伊達名・佐竹の三つの勢争いの舞台となっていく。

まずは白河政朝による佐竹領侵攻への恨みを持っていた佐竹氏の反攻が本格的に始まり、義の子・佐竹義篤によって白河氏はいよいよ落していくことになる。


補足


信長の野望」(PCシリーズにおける白河顕頼の力一覧。

没落待ったなし、な値である…。創造PKでは白河が大名としても登場し、4作ぶり2度の登場となった。生没年設定は蒼天録では(1475~1536)創造では(1475~1543)。

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最終更新日: 16/10/12 23:49
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