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皇帝


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さて、ギリシア語圏であった東ローマ帝国ローマ皇帝は「(ストラティゴス・)アウトクラトール(アフトクラトル)*」((Στρατηγός) Αὐτοκράτωρ, (Stratigos) Avtocrator, 「(将軍たる)全権者」(インラートルに相当))や「(カイサル・)セバストス」((Κασαρ) Σεβαστός, (Kaisar) Sebastos, 「(カエサルたる)尊厳者」(アウグストゥスに相当))などの称号を冠して呼ばれていたものの、俗には広く「バシレウス(バシレフス)*」(Βασιλεύς, Basilevs, 「王」)と呼ばれていた。が、基本的にバシレウスは東ローマ皇帝と対等なペルシア皇帝などを称号だった。ちなみに西ローマ皇帝のことはリフス*Ῥῆξ, rikhs, ラテン語レークス rex 「王」より)と呼んだ。
時代が下ると、6世紀末には公式の書簡で東ローマ皇帝の自称としてもバシレウスが使われるようになり、ついに629年にヘラクレイオス(Ἡράκλειος, Irakrios, イラクリオス*)「忠実なる信徒にしてキリストに依りて即位せしバシレウス」(πιστόςν Χριστβασιλεύς, Pistos en Khristo Basileus)を名乗ってからは「バシレウス」がローマ皇帝の公式称号として定着していく。キリスト教教となって以降はコンスタンティノープル総教に宗教上の最高権を譲ったが、ローマ皇帝は依然として宗教に対しても相当に巨大な実権を持っていた。とはいえ実質的に地方化してしまったローマ皇帝がかつて「王」に相当する呼称を名乗るようになった、というのはなんだか皮な話ではある。(* は当時のギリシア語コイネー)の発音)

なお、セバストスはローマ皇帝の兄弟やその息子に、カイサルは位の高い東方の支配者に送られる称号となった。後にモスク大公の支配者が東ローマ皇帝の正統な後継者を自認してロシア帝国し、カエサル由来のツァーリを自称したのはこうした経緯によるものである(更にいえば、ビザンツ帝国からカエサルと呼ばれたタタールのハーンによって支配されていた領土を奪い返してその権威を継承したという意味もある、とする研究者もいる)。ロシア帝国ロシア革命によってロシア皇帝が位される1917年までローマ帝国の後継者としての皇帝を戴く形となった。

西方世界におけるローマ皇帝

一方、西ヨーロッパには、しばらくローマ皇帝という役職は存在しないままとなるもの、800年のクリスマスフランクの王カール1世(大帝)にローマ教皇レオ三世が「Imperator et Augustus」、すなわちローマ皇帝の称号とともに戴冠させ、ローマ皇帝位は再び復活した。これはローマ教皇と言う権威がローマ皇帝という権を与えるという形となり、西ヨーロッパは二つの楕円形、すなわち教皇と皇帝という二つの頂点を持つ世界となった(一方、東ローマ帝国は“ローマ皇帝のみを頂点とする”円形の権威、権世界を構成していた)。この後の西ヨーロッパにおけるローマ皇帝は基本的にはローマ教皇が王に戴冠させる称号としての存在となり、ローマ教皇が宗教上のトップであり、ローマ皇帝は世俗のトップという形となっている。

まあこちらのローマ帝国フランクの相続制度が分割相続であったため長く続くことなく息子たちの代で東中西3つの王に分裂するが、962年に東フランクオットー1世が再び位を授けられ、神聖ローマ帝国と言う形でローマ帝国は復活する。
が、ゲルマンの独立的気を堅持するが故に中央集権化の進まない神聖ローマ帝国は次第に名前だけの集合体、つまり自己の強い大小300以上の領邦と多様な民族が互いにめき合うサラダウルと化し、ローマ皇帝にしても一握りの有な選侯たちの選挙によって選ばれる非世襲の一地方に過ぎなくなった。く、神聖ローマ帝国とは亡霊である。姿かたちは見えないのに、確かに存在する」とのことで、これではまるでトトロである
思想ヴォルテールに至ってはでもなければローマでもなく帝国ですらない」とバッサリ全否定であり、さすがにちょっと気のになってくる。

そして時代は流れ1804年12月フランス革命のなかで台頭したナポレオンフランス皇帝(Empereur, アンプルール)となる。ナポレオンローマに行くのではなく、ローマ教皇をパリまで呼びつけ、ローマ教皇の手ではなく自らの手で頭に冠をかぶせたという。ちなみに、このフランス皇帝と言う称号自体、ローマ教皇から与えられると言う形をとっているため、広く見れば「ローマ皇帝」ということである。その後ナポレオン「二人皇帝がいるのはおかしいだろう」と実にはた迷惑なことを言って神聖ローマ帝国を解体してしまう。そもそもローマ帝国時代からローマ皇帝を一人に限るという法は存在しないんですが……
さらに対イギリス貿易を独占すべく各に「大陸封鎖」を発布すると、先進工業イギリスとの貿易で大きな利益を上げていた同盟諸は不満を募らせ、さらに封鎖に非協的な諸を征伐するためにフランスは余計な戦争をしなくてはならなくなった。そうしたわけで「東ローマ皇帝の後継者」ロシア皇帝を征伐するためにロシア帝国に攻め込んだものの、結局は冬将軍のためにフランス大陸軍は9割を越える大量の歴戦の将兵を失い、ナポレオンフランス皇帝の座から転落していくこととなった。

すなわち、ローマ皇帝とは広く見れば1917年のロシア革命によってロシア帝国が打ち倒されるまでの期間存続していた、と言うことなのだが、・・・・・・神聖ローマ帝国の表現のように、全く持ってその実態がつかめない、まさに亡霊のような存在として西洋の歴史の上に存在しているものであった。
例えばナチス・ドイツ神聖ローマ帝国ドイツ帝国プロイセン王をドイツ皇帝に推戴した帝国。3代50年弱で消滅)を継承したドイツ帝国として「第三帝国」を標榜(ただし原Driittes Reichの「ライヒ」自体は帝国を意味するとは限らない)し、第二次世界大戦欧州中に多大な災厄を振り撒いた(更にナポレオンと同じ轍を幾つも踏んだ)。
一方、現在欧州連合EU)の思想的背景である汎欧州義の根底にも、古代ローマ帝国の存在が大きく横たわっている。亡霊が安らかに招される機会はまだまだ先のようだ。


その他の皇帝または Emperor と訳される君主(執筆中)


ただし漢字圏で皇帝だからといって英語圏でも Emperor だとは限らないし、逆に英語圏で Emperor だからといって漢字圏で皇帝としているとは限らない。元々は英語でも日本語でもないものを勝手に訳しているだけだから仕方がないね。


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最終更新日: 19/04/19 22:13
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