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直江兼続


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直江兼続(なおえ・かねつぐ 1560 ~ 1618※)とは、上杉景勝に仕えた戦国武将。
元々は樋口氏だが、直江信綱の未亡人を娶り、姓を直江めた。

(※旧。新にすると1619没)


概要


」の字をかたどった前立ての兜を身に着けていたことで有名。
前立ての由来は信仰していた「染明王」または「愛宕権現」に拠るとされるが、定かではない。
多分、LOVEじゃないと思う。柔和そうに見えても戦国の人だし。

史実では上杉景勝に生涯仕えた名執政である。少なくとも史料上では上杉謙信に仕えたことは一度もない。
青年時代に勝の近習の一人として登場し、その才覚を見出されて筆頭家老となり政治外交軍事全ての面で活躍した。その仕事ぶりは「万事において隙なく行う」と評される。長身で立な体格をしており、秀麗、弁舌巧みで明朗であった。また武芸に優れ、学者顔負けの籍に対する知識を持ち、にも秀で、また非常な蔵書であった。優等生タイプである。勝と兼続の関係は従でありまた親友でもあったといい、君の信頼を一身に受け二頭体制に近い政治を行いながら、決して君の地位を脅かす事はく終生忠実な臣であり続けたことから、最も理想的な従関係という評価もある。

石田三成と親交が深く、関ヶ原の合戦の発端となる会津征伐を引き起こし、西軍の一を担った。
徳川家康が送った上杉への問責書に対する返書として兼続が作成した、いわゆる「直江状」は名文として称され兼続の名を後世にまで名を残すこととなった。
ただし、直江状の原文は残っておらず正確な内容はわからない。

を掲げた割には腹黒い一面もあったらしく、
上杉入れ替わりに越後に入ったさんのところに嫌がらせをしまくっており、
さんが関ヶ原で東軍に味方する遠因を作っていたりする。


生涯


樋口兼豊。木曾義仲に仕えた四天王の一人・樋口の子孫を称する。小国め大氏を継いだ大実頼。

上杉謙信の養子となった長尾顕景上杉景勝に近習として仕えていた。1578年の謙信死後、その後継者を巡って勝と上杉景虎との間で御館の乱と呼ばれる内乱が発生するが、この争いは勝の勝利に終わる。この頃はまだ駆け出しの一武将であった。

この後、勝により上杉の中央集権化が進められ、兼続ら上田衆と呼ばれる面々が重役として取り立てられるようになっていく。この中で御館の乱の恩賞を巡る争いから直江信綱が殺されるという事件が起こり、信綱の未亡人直江景綱)・お船の方の婿養子となった兼続が直江を継ぐことになった。

武田滅亡、本能寺の変午の乱や新発田重家の乱といった動乱の中で、兼続は上杉の重鎮として本格的に活動を開始。筆頭家老として、事実勝との二頭体制として上杉を切り盛りしていくことになった。

上杉豊臣に臣従した後、1588年には山城守に任命された(それ以前から自称はしていた)。以後も佐渡定、小田原征伐、文・慶長の役でもフル稼働する。豊臣秀吉からは小早川隆景直政と並び下三陪臣の一人として高い評価を受けた。

1598年、上杉は越後から会津へ移封されるが、この時120万石のうち米沢30万石が兼続に与えられた。

関ヶ原の戦い

豊臣秀吉死去後は徳川家康との対立路線へと進む。家康から上杉の謀反の疑いを詰問されると、有名な直江状」を送りつけて会津征伐の直接のきっかけを作る事になった。

この原本は伝わっておらず、内容も後世あれこれと付け加えられたようで贋はっきりしない部分があるが、だいたいこんな感じ。

こうして徳川家康会津へと出兵するも、石田三成大坂で挙兵したため徳軍は西へと向かい、兼続率いる上杉軍は最上領を攻めた。この際、前田慶次山上及、上泰綱といった浪人衆が上杉配下に集められた事は有名。に「花の慶次」で。

しかし最上攻めは長谷の堅い守りにより失敗した。だがそこからの撤退戦は非常に鮮やかなものであったと評価されている。

江戸時代

関ヶ原の戦いが西軍の敗北に終わると勝と共に家康に謝罪した。しかし上杉米沢30万石にまで大きく所領を減らす事になる。以後は徳との関係修復に腐心し、本多正信の次男を婿養子・直江勝吉(後の本多政重)として迎えるなどした。一方で内政面でも変わらず敏腕を振るい、窮乏した米沢の財政善に努めた。元和5年(1618年)の末に死去。享年60

実子・直江明には先立たれており、1637年のお船の方の死去をもって直江は断絶した。なお実家樋口米沢士として存続している。

結果として上杉の大減封を招いた事、何よりも徳向った事から長年評価は低かったが、江戸中期に名君・上杉山が兼続を見本として革を行った事から、その後は再び評価されるようになったという。

ちなみにあまり知られていないが、晩年は直江(しげみつ)と名している。


ゲーム・創作の中での直江兼続


信長の野望シリーズには武将の概念が入った戦国群雄伝から皆勤賞。詳細は後述するが政治を筆頭に評価が高い。
太閤立志伝でもパラメータは総じて高い傾向にある。

戦国無双の兼続は被っている兜の形状から烏賊と呼ばれることも。そして引き継ぎなのか「戦国無双3」で兜が変わっていても「裂き烏賊」と呼ばれた。
また何かにつけ「義」と連呼する事から、彼と三成、前田慶次島左近真田幸村の五人で「義レンジャイ」と呼ばれる。他にも暑苦しさから「義の妖精」や「戦国松岡修造」などと言われている。3では「義」「」に続き「気概」も連呼し始めた。無双OROCHIでは、馬超浅井長政とともに時代をえて義戦士を結成し始めた。

戦国BASARAにおいては無敵の一番隊隊長を務める(モブ)武将。口癖は「無敵!!!」
しかし無敵なのにHERO達にいつもやられてしまい、それが出オチとして扱われるネタキャラである。
だが戦国BASARA3舞台は関ヶ原!これは来る!・・・と期待されていたがモブ続行。
 は一年かけて名をあげた!」と大河を匂わせる台詞と共に突っかかってくる。

2009年大河ドラマ天地人」の役。兼続の居があった長岡市町の和菓子の前立」は売り上げが倍増したらしい。

2016年大河ドラマ真田丸」では、お人好しすぎる君・勝を支え続ける上杉のセコム。

マンガ花の慶次」にも登場し「利いたな口をきくなー!」という名台詞を残した。

戦国大戦

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下に義のを!」

Ver1.1から上杉で参戦。君の勝と同じく若き日の姿で登場している。
なおオトメンで有名な菅野文が手掛けた戦国数奇Verも登場している。
計略はどちらも「と義と」。上杉の味方の兵を回復し更に統率を上げる。
尚本人はコスト2で武6統率9制圧・魅足軽上杉足軽としては優秀なスペックを持っている。

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下を志す大芝居…仕上げの時だ!」

更にVer1.2で戦国数奇として山風短の兼続が登場している。スペックは2.5で武8統率8で制圧・魅足軽上杉どころか他勢較しても上位に入るスペックである。

計略の「下のし手」は上杉に不足気味の妨計略で、範囲内で最も武の高い敵の武を下げてこちらへ向かってくるようにする。士気が1増えて武低下もつく代わりに1体のみの挑発と見るか、士気が2下がる代わりに武低下が少なく1体しか引っれない啄木鳥戦法と見るかは人によって異なるだろう。

とは言えどちらの兼続も「上杉かったかゆい所に手が届く」計略を引っ提げてやってきており、特にこっちの方は上杉足軽の新たな選択肢としてそこそこの使用率を誇っている。


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直江山城の戦、とくと見よ!」

Ver2.0で勝共々堂々のSRで登場。武統率バランスのとれた騎隊である。CV:福山潤
計略の「のために」は、範囲内にいる敵と上杉の味方の数で効果が変動する形。
敵部隊の方が多い場合は敵の武が下がる。上杉の味方の方が多い場合は上杉の味方の統率が上がる。

範囲こそ狭いが効果時間が長く、士気も軽いため、デッキを調整することで敵の武を下げる効果を常時発揮することもできる。 また味方統率上昇は統率が高い程効果が上がる上杉の「義」計略と相性がいい、勝も義計略なので相性が良い。
その効果時間と低士気武低下で他への傭兵に使われ過ぎたため武低下値は落とされた。 

余談だがCVのせいでだんだんルルーシュが戦ってるように聞こえる。


■sm20720007[ニコ動]

「義のために、死ぬる時まで!」

戦国数奇からは花の慶次のスピンアウトである義風堂々!!の兼続が登場。
計略は「と呼ばれた」。敵の武を上げそれに応じて自分の武を上げる。3部隊以上で更に移動速度と兵が上がる。

しかしすぐ上の自分が有能なのと、山風短の自分が優秀という名前被り、更に士気6使う割には士気5で同じような計略を太田資正が持っている、等の理由により全で彼の姿を見る事は少ない。 

信長の野望

信長の野望」(PCシリーズにおける直江兼続の一覧。 

政治は常時80台(天翔記MAX200だが、やはり政才170と高い)をキープ軍事戦国群雄伝の戦闘65以外は統率・采配系、戦闘・武勇系、智謀・知略系いずれも70以上をキープしており評価が高い。しかしで武勇が久々70を切り、群雄伝と並んだ。後期シナリオ上杉の柱である。特徴的なの兜は宝としても登場しているが、顔グラに反映されたのは創造が初。


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最終更新日: 16/09/05 02:23
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