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秦朗


ヨミ: シンロウ
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「秦朗」シンロウ ? ~ ?)とは、三時代のの武将であり、母親曹操の側室となった事から宮中で養われ、曹操の寵をうけて育った人物である。

字(あざな)は「元明」。幼名はまたは鰾。


正史では


并州新の出身で呂布軍の武将の

張飛と戦って戦死した後に実杜氏曹操の側室となった為、秦朗は曹操の宮中で育てられ、曹操からは

わたしほど連れ子を可がる者がいるだろうか

といわれるほど可がられた。

曹操の寵を受けていたが、同じく曹操の連れ子として育った何晏で着飾ったのに対して、分相応のを着て慎む様にしていた。また諸侯の間を渡り歩いて遊びほうけていた事もあったが、曹操曹丕も咎めることはなかった。

曹叡皇帝に即位すると驍騎将軍となり、曹叡が御で出かける際は秦朗は常に随行する程の仲だったが、曹叡がちょっとした罪で逮捕したものを次々と死刑にしていた事については諌める事ができなかったと言われ、遊び惚けていた時期があったわりに、人材を推挙することもなかった。

しかしそのことは曹叡の信頼を呼び、秦朗を呼ぶ際は必ず幼名のと呼んで親しみ、秦朗のために大邸宅が造られ、役立たずである事を知る者達からも賄賂を贈られて侯に匹敵する資産を得た。そのことから「略」では孔と共に佞臣扱いされている。

鮮卑の軻と歩度根がに対して謀反を起こし、幷州刺史の畢軌派遣した尚・董弼の二将軍を敗死させると、曹叡の命をうけた秦朗が討伐軍を率いて歩度根を討ち、軻北方へとおいやった。

諸葛亮の最後の北伐の際には、歩兵騎兵あわせて20000人を率いて司馬懿揮下に入りよく守った。

諸葛亮がいなくなって安心し浪費を始めた曹叡が病の床につくと、曹大将軍に任命され、秦朗は曹爽・曹肇・侯献らと共に幼い曹芳を補佐することになった。

しかし、放と孫資が病床の曹叡の元で

曹肇と秦朗はご看護の才人と冗談を言いあい、王曹天子のごとく南面して臣らが入ることを許してくれません

と態度の悪さを諫言し、衰弱して詔書を書けない曹叡の手を掴んで理矢理詔書を書かせて、秦朗は罷免される事になった。

曹爽のみは罷免を逃れて司馬懿と共にの中枢に残り、罷免された秦朗は、曹・曹肇・侯献らと共に号泣しながら自宅へと戻った。 


演義では


司馬懿配下の将軍として登場する。

同僚の鄭文がに降り、おいかけてきた秦朗を降伏が本意であるとして一騎打ちにて討ち取るも、それが偽の投降だと諸葛亮に見抜かれてしまい、一騎打ちで鄭文がうちとったのは秦朗の明だった事等を状してしまう。

鄭文が諸葛亮に書かされた手紙により、軍を夜襲した秦朗だったが、待ち受けていた軍の伏兵の攻撃をうけて戦死した。 

その他「秦朗」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照[外部]


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関連データ


コーエー三國志シリーズにおける秦朗の力一覧。

統率 政治 身体 運勢
三國志
三國志II
三國志III 66 37 21 47 61 28
三國志IV
三國志V
三國志VI
三國志VII
三國志VIII
三國志IX 68 70 37 18
三國志X 57 70 38 16 39
三國志11 58 70 35 15 42

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最終更新日: 10/08/03 01:07
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