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立川談志


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 立川 談志とは、落語家の名跡である。


概要


ニコニコ動画における「立川談志」とは に当代(七代)をす。

煙草自重しないが故のダミ声破天荒な人柄が有名だが、落語に対しては摯であり、特に古典落語アレンジ完成度は高く評価されている。落語以外ではよくバンダナをしており、威圧感を放っていた。

笑点の初代会者で、大喜利の考案者。当時座布団運びだった蝮三太夫と喧して帰らせたことも。
(その「蝮三太夫」の名付け親でもある。談志が単に「マムシ」と呼んでたのを、5代目円楽が「ただのマムシじゃない、蝮だよ」と言ったのを気に入って、つけた名前)

当時の落語協会のやり方に反発し、独自の流落語立川流」をして元になる。
上納制度や一般を含むコース制など新なシステム確立する。
のBコースにはビートたけし上岡龍太郎などの名前も。

石原慎太郎とは、石原本人く「奇妙な友人」関係を築いていた。会えば互いを罵倒しあったりしていたそうだが、談志自身は自分の息子の名付けるうえで慎太郎の名を貰っている。死後の定例記者会見(当時は知事)では本筋の話をする前に、自ら数分間談志との思い出話を切り出している。

談志亡き後の立川流は、総領子である土橋亭里うが新代表となる(上納など一部制度を止)。

2011年11月21日、喉頭がんにより死去。


晩年


晩年は病でどんどんれていき、何を言っているかわからないと言われるほどに衰えてしまった。それも2011年3月に行われた手術によってほぼ全にを失うことになり、以降は筆談で会話するなど苦しい生活を強いられた。
手術後は一切仕事をすることはなく、の場に姿を見せることもしなくなった。 

石原慎太郎は定例記者会見やお別れの会において、談志が亡くなる数日前に電話越しに一方的な会話をしたことをしばしば口にしている。石原いつものように憎まれ口(「お前そろそろくたばるらしいな、ざまぁみろ」)を叩き談志はゼイゼイ言って返したという。それを聞いた石原は「あんた人生に対する言い分が全部わかった気がする。人生で一番印深い『会話』だった」とお別れの会の弔辞で述べている。

名は自分で考えた「立川元勝手居士たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)」。死ぬ間際まで自分流であった。蝮三太夫く「そんな名前にしたもんだからお寺がどこも引き取ってくれなかった」らしい。


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最終更新日: 14/05/25 13:27
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