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第一回十字軍


ヨミ: ダイイッカイジュウジグン
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第一回十字軍とは、最初の十字軍運動である。


概要


ユダヤ教キリスト教イスラム教聖地であるエルサレムは11世紀当時はイスラム教国家が支配していた。このエルサレム巡礼イスラム教徒から奪還することをして、当時のローマ教皇の呼びかけによりキリスト教国家の連合軍「十字軍」がイスラム教国家の支配地に侵攻した。最終的にこの第一回十字軍はエルサレムを陥落させ、占領に成功した。


全体の経緯


現在でも中東にあるエルサレム。ここは、ソロモン王殿が築かれたとされる場所でありユダヤ教徒の聖地である。また、イエス・キリストが活動し、処刑され、復活したとされる場所でもあるためキリスト教徒の聖地でもある。さらには、ムハンマドの元へ訪問する宗教的体験をしたとされる場所であるためイスラム教徒の聖地でもある。

これらの宗教信者でない人間にはよく分からないだろうが、とにかく「いろんな人にとってすげえで大事な場所」と理解しておけばOKだ。そんなエルサレムは7世紀にイスラム教に占領された。10世紀頃からは、今で言うエジプトあたりを本拠地にするファティーマというイスラム教国家が支配していた。

さて、11世紀の東ヨーロッパ東ローマ帝国(ビザンツ帝国とも言う)と言うキリスト教国家があった。キリスト教と言ってもカトリックとは別宗の正教系だ。このは11世紀始め頃までにはブイブイ言わせ、周囲のを征して現在で言うイタリアあたりからトルコあたりまでを含む広大な領土を得た。また当時は首都コンスタンティノープルがヨーロッパ随一の繁栄を誇っていた。だが軍事面ではパッとせず、戦争に負け続け、トルコあたりはイスラム教国家に奪われてしまう。

そのイスラム教国家セルジュークと言った。このも肩できってブイブイ言わせ、11世紀末にはファティーマからエルサレムを占領した。キリスト教国家はこのことに対して、「なんかよくわからんがイスラム教徒がごたごたやってるな・・・聖地エルサレムが危なくね?巡礼できなくなるんじゃね?」と危機感を抱いたようだ。しかしセルジュークはその後、後継者争いの内乱を起こして弱体化した。

セルジューク混乱をみて領土を奪い返すチャンスだと思ったのか、東ローマ帝国皇帝1095年、宗えて、カトリック本山であるローマ教皇にお願いしてみた。「イスラム教セルジューク戦争するからたすけてくんね?宗は違うけど俺らって同じキリスト教徒じゃん」

するとこれには教皇がやたらやる気を出した。フランス会議を開いてフランス貴族を呼び集め、「イスラム教徒が聖地荒らしてるお・・・聖地キリスト教徒の命が危ないお・・・だから聖地取り戻すお!それに聖地は「ミルクはちみつが流れる地」っていってな、スゲーいい場所なのよ。取り戻せばお前らウハウハだぜ!」と言う内容の名演説をかまし、さらに他のヨーロッパの各でも同じような勧誘が広められた。

それを聞いたキリスト教徒の貴族たちは信仰心とか、得られる領地の損得勘定とかから「やってやんよ」と次々に呼応し、十字軍と呼ばれる連合軍をエルサレム派遣することになった。ここに第一回十字軍が成立した。軍人ばかりでなく、ほとばしる信仰心からついてきた民間巡礼者も多数含まれていた。

その後十字軍セルジューク勝利をおさめつづけて領土を占領していき、最終的には1099年にファティーマの支配するエルサレムへと到達した(間の悪いことに、ファティーマ十字軍が来る直前の1098年にセルジュークからエルサレムを奪い返してしまっていた。ファティーマ涙目。)。幾多の戦いと流血の末、エルサレムは陥落し、エルサレムやその周囲の地域にキリスト教徒による国家が複数建設された。

なお、教皇に助けをめた東ローマ帝国十字軍セルジュークを追い返せて笑いが止まらん状態だった・・・かと言うと、そうでもなかった。十字軍の中にはエルサレムへの途中にあった東ローマ帝国の領土内で略奪をかました者達も居たのだ。また、セルジュークから十字軍が占領した領土がどちらのものになるかで、十字軍との対立・緊も生じた。

さらに東ローマ帝国の奉じる正教は、それまでのイスラム教徒支配下でもエルサレム内に教会職者を置いており、支配者に税を支払いながらもそれなりに勢を保っていたのだが、エルサレムに到達した十字軍は正教の者達を追放し、教会を自分達カトリックのものにしてしまった。

なお、歴史で何かとひどいにあうことの多いユダヤ人はこのキリスト教徒とイスラム教徒の争いで今回もとばっちりを食った。イスラム教徒支配者に税を払いつつもエルサレムに住んでいたユダヤ人は、異教徒に厳しい十字軍虐殺されてしまった。また、十字軍運動による異教徒への反感の盛り上がりのあおりを食らい、ヨーロッパでもユダヤ人虐殺が起こった。


十字軍側の視点から見た詳細


 

!  以下の文章は十字軍側から見たものです  !

!  人によっては不快感を感じます  !

 

教皇ウルヌス2世が東ローマ皇帝アレクシオス1世の『救援をめる書簡』を受け取ったことからはじまる。

な参加者は後に述べていく。

字の部分は当時の十字軍参加者(後述)の記録に基づく部分である。線で分かたれたより下の部分は、この記事の最初の執筆者による注釈や感想である。


予兆と胎動


の受より1100年がまもなくたとうとしていた頃、かつての不安定な気と周期的に繰り返される疫病の流行に悩まされ続けてきたヨーロッパ世界は今やの恩恵によって温暖な気と多くの人口を得るに至った。しかしながら神聖ローマの「所謂」皇帝ハインリヒやフランスフィリップによって信仰に揺らぎが生まれ、ヨーロッパは悪に満ちていた。幾多の同胞たちが、幾多の親類が、互いの欲望を果たすためにを抜き、血が流された。善良なるキリスト教徒たちは救いをめ、自らのあるべき地への回帰を望んでいた。

だが、同じ時に更に苦しむ同胞達が東の地にて彼らに救援をめ、を上げていた。かつては栄を誇り、キリスト教徒に一定の安全を提供したセルジューク帝国マリク・シャーの死とともに同胞同士の戦いが生じ、細切れに分裂し、もはや安全は失われ、巡礼論、そこで暮らすキリスト教徒たちは悲しみにくれていたのだ。さらに、かつては小アジアバルカン半島全域を支配した東ローマ帝国は弱体化し、小アジアセルジューク帝国によって奪われていた。

そんな折に東ローマ帝国にてアレクシオス・コムネノスが皇帝として即位する。彼は再びローマ帝国としての威厳を回復し、小アジアを含む全な形の「ローマ帝国」となるべくローマ教皇ウルヌス2世に書簡を送り、部隊の要請を行う。これを聞いたウルヌスはこれまで自らので見てきたヨーロッパの状況、そして書簡により知った東の同胞達の苦しみを知った上で、全ヨーロッパ職者にクレルモンに準備された日に集結し、会議を行うことを告げる。そしてそこで彼は沢山の教会として為すべき取り決めを作り上げ、さらに重大な発表を行う。

所謂「クレルモンの奇跡」、十字軍参加の呼びかけ、「観説」である。


十字軍の原因は研究者によって異なっている。そのためどれが正しいということは出来ないが、あえて言うならどれも正しい。

ハインリヒ4世(1056~1106)神聖ローマ皇帝であるが、グレゴリウス7世、ウルヌス2世と様々な問題において対立(叙任権闘争など)。そのため、教皇側の立場をとる職者であるフーシェ(後述)は「所謂」という言葉を用いている。

フィリップ1世(1060~1108)フランス王国の王であるが、クレルモン会議で彼は破門とされており、十字軍には参加できなかった。ユーグ(後述)の

アレクシオス1世コムネノス(1048~1118:位1081~1118)東ローマ帝国皇帝ニケフォルス3世を退け、自ら即位。帝国の再を望み、活発に活動している。だが、戦争については、「外交手段、そして賠償などのすべての戦争回避の方法が失敗した時の策であり、最も愚かな行為」としている。プラチェンツィア会議に特使を派遣。『援軍』をめる。

の受」という表現は後述のフーシェの史料より引用。当時、年号というものはによってばらばらであり、例えば神聖ローマでは国王の治世年などの表記をしている。フーシェはこの十字軍をキリストの事績であると考えているのか、それを「の受より年」としている。ちなみにの受とはキリストの生誕のこと。キリスト教三位一体説において、とは「」、「イエス・キリスト」、「精霊」の3つのペルソナが一つの存在であるという訳の分らないことを言っている。そのため、イエスとはそれまで体を持たなかったが体を持って現れた存在と言うことになる。つまり、受


クレルモンの奇跡


の受より1095年の時が流れた時、ガリアの地のオーヴェルニュ、クレルモンにて教皇ウルヌス歴史に残る、偉大なる演説を行う。

 

「いとする兄弟たちよ、により全教会の最高位に立つことを許された私、ウルヌスたるあなた方になすべきことがあることを伝えます。あなた方がな祈りによって覚めている今、あなた方とに関する問題について、あなた方はあなた方が持つ実な信仰と強さを示さねばなりません。

急ぎ、あなたたちは東の地に住み、あなた方の救援をめるを何度も何度も叫んでいるあなた方の兄弟たちを助けねばならないのです。

あなた方が既に知っているように、ペルシアの種族であるトルコ人たちは、あなた方が『ゲオルギウスの腕』と呼ぶ地中海の小アジアの地にまでその邪悪な手を伸ばし、キリスト教徒の土地を占領し、既に7度の戦いに敗北したらの同胞を殺し、の王たる教会を壊し、荒らしまわっている。

もしもあなた方が立ち上がろうとせず、長い時間この問題を放っておけば、を信じる正しき者たちは更に支配され、涙を流し続けるであろう。

この危機に関して私は、いいえ、私ではなくイエス・キリストはすべての階級、騎士歩兵も、富める者も貧しきものも、老いも若きも、キリスト戦士たるあなた方全てに、あの邪悪なる異教徒を一刻もくキリストの土地から駆逐し、再びの栄に満ちた地へと戻すことを説きすすめます。

ここに出席するあなた方にはこの私の口から、そしてここにいない者には私が書簡を送りますが、これはキリストによる命なのです。

勇敢に東の地へと向かう途中の陸路や路、そして異教徒との戦いの中でこの世に縛られた命を落とすものがたとえいたとしても、そのものには罪の赦しと永遠の救済が与えられるでしょう。私はその権威をによって与えられ、そしてこのに参加するものにはそれを与えましょう。

堕落し、そして悪魔奴隷と化した者達が偉大なるの信仰を与えられキリストの名においてく者たちを征することがどうすれば出来ようか。

あなた方の同胞である人びとをあなた方が救わなかった時にがあなた方に背負わせる幾多の悪から逃れることがどうすれば出来ようか。

かつて、同胞であっても私闘に現をぬかし、の土地に荒していたものたちは今既にを抜き、異教徒との戦いへと身を投げ打ってなければならない。そしてかつては盗賊であったものは、今こそキリスト戦士となり、かつては兄弟血縁者と戦っていたものたちは今こそ野蛮人たちと戦いなさい。今までは僅かの貨の為に雇われていた人びとは今こそ永遠の酬いを勝ち取りなさい。かつて身も心も窶れ、つかれきっていたものたちは二重の名誉を得るために働きなさい。

この地で悲嘆にくれていたものは、かのと蜜の流れる地にて喜びと富を得るであろう。そして、この地での敵であったものは、かの地での友となるでしょう。

行く人をとめてはなりません。しかし、彼らがの費用を準備し、が終わりが来た時、あなた方はの導きとともに勇敢に進軍していきなさい。それでも尚、自らの貪欲と高慢にとらわれるものがあれば、そのものは破門とし、永遠の苦しみを与えよう。アーメン。」

これを聞いた善良な心を持ったキリスト教徒たちは口々に叫んだ。

はそれを欲したもうた!の御意思である!!」


 ウルヌス2世1040/1043~1099:位1088~1099)ローマ教皇。前代のグレゴリウス7世の革における右腕的存在であり、自身が即位した後もグレゴリウス革を継承。1095年には名実共にローマ教会の長となっていた。長身で姿勢が正しく、を蓄えた美男子で弁論に非常に長けていたそうで、まさに『カリスマ』を所有していた人物。研究者の中には十字軍のイニシアチブを彼に見出す者も多い。

 教皇の十字軍勧誘演説『観説』についての史料はいくつかあるものの、どれも少しずつ内容が違う。というのも、その原文の史料と言うのは見つかっておらず、たぶん、い。ウルヌスアドリブであったのではないだろうか。そのためここでは第一回十字軍の史料として名高いシャルトルのフーシェの記録を元に作成した。原文はラテン語なのだが、ラテン語が読めないので英訳版であるFulcher of Chartres Chronicle of the first Crusade , by Martha Evelyn McGinty, Oxford University Press: London 1941を使用した。また、この記事全体としてもこの史料を基にしている。


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最終更新日: 17/01/03 21:20
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