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紀貫之


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紀貫之(きの つらゆき、866?~745?)とは、平安時代前期の歌人である。


概要


「古今和歌集」の撰者で、日本最古の日記文学「土佐日記」の作者
六歌仙の撰者で、貫之自身も三十六歌仙の一人に数えられる。また、百人一首35番の作者でもある。
日本文学史上最高の歌人の一人で、仮名文学の先駆者でもあり、日本史の歌壇界において、数多くの功績を残した。

紀一族は飛鳥時代から平安時代にかけて大臣を輩出する有貴族だったが、藤原摂関盛と反例するかのように衰退し、貫之自身の身分もそれほど高くはなかった。しかし、和歌の優れた才藤原にとまり醍醐天皇の命で日本最初の勅撰和歌集「古今和歌集」編纂の中心人物となる。同メンバーは、従兄の紀友則や、友人の河内躬恒・壬生忠岑と4人。なお、全員って百人一首に歌が載せられている。また、六歌仙を上げて落とすことでも有名な「仮名序」を、古今和歌集の冒頭に序文として載せ、日本史で初めて和歌の評論も行った。

934年、土佐守の任務を終えた貫之は、へ戻るまでの出来事をフィクションを交えた紀行文「土佐日記」を執筆する。仮名文学の原点の一つでもあるこの作品は、「男もすなる日記といふものを 女もしてみむとて、するなり」という有名な序文にもある通り、貫之自身が男性(それも70歳前後の爺ちゃん)にもかかわらず、女性のふりをして記したことから、ネットでは日本史上初のネカマとしても知られる(そう言えば、うた恋い。中の人も、性別:代永翼だった)。貫之が日記を書いた当時、社会情勢が不安定であり、関東では平将門の乱が起こり始めていた。瀬戸内でも数年後に藤原純友の乱が勃発しており、貫之は日記の中で海賊の横行を恐れている。

百人一首では「人はいさ 心も知らず ふるさとは ぞ昔の 香ににほひける」の和歌が入選している。詞書によると、なじみにしていた宿の人を久々に訪れた際、ずいぶん長く音信不通だったことを皮った人に、の枝を差し出して送った歌である。この宿の人が男性なのか女性なのかわかっておらず、仮に女性だとしたら本来の意味とは少し違った解釈もできるだろう。


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最終更新日: 12/09/01 22:00
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