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細川澄之


ヨミ: ホソカワスミユキ

細川澄之(ほそかわ・すみゆき 1489 ~ 1507)とは、戦国武将である。細川13代当関白九条政基の次男。九条尚経。


概要


3歳の時に前管領・細川政元の養子となり、細川氏嫡流の幼名である『聡明丸』を名乗った。

1502年に嫡子に名されるも、翌年には嫡にされた上に政元は波守護阿波細川氏)から細川の次男・細川澄元を養子に迎えた。更に翌年に元を果たす。

1506年になると、丹波守護職に任じられるが、その数ヶ前には澄元が摂津守護職に任じられており、にわか細川中に暗が立ち込めていた。(丹波守護職に任じられたのは1502年ともいう。)

現に澄之人間はどうにか澄之を当にしようと澄元を亡き者にしようとしたり、三好之長が中で発言を増すのを気に食わないのでどうにかしようと考えていたり、政元が修験に熱中したりするなど、やり方に不満を強くしていた。

こうしてこの不穏の空気一色義有攻めにてにわか爆発することとなった。

1507年6月23日魔法使いになりたくてその準備をしていた政元を澄之であった香西元長薬師寺長忠竹田孫七らにより湯殿で暗殺した。ここに両細川の乱が勃発した。翌日には澄元を暗殺しようとするも、近江へと逃してしまう。

それでも政元を亡き者にし、澄元を近江へと追いやったことにより、室町幕府11代将軍・足利義澄により澄之は細川氏の当となり、管領に就任した。しかしながら、澄之に従ったのはほんのわずか一部の近臣に過ぎず、3人の養子であった和泉守護の細川高国が澄元側につき、近江に逃れていた澄元と三好之長が近江から反撃を開始すると挟撃を受けて大混乱となり、また畿内の一族の有者である細川政賢や淡路守護細川らからも敵視されて攻められた。

ここにより進退を窮した澄之は8月1日自害に追い込まれることとなった。わずか約38日の短命政権であった。澄之の死後、今度は澄元と高督をめぐって争うこととなる。


補足


信長の野望」(PCシリーズにおける細川澄之の力一覧。

とにかくが惨憺なものである。一の登場作品である蒼天録PKでは、政元の後継者は残念ながら高定されている。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 智才 政才 野望
将星 戦闘 智謀 政治
烈風 采配 戦闘 智謀 政治
世紀 采配 智謀 政治 野望
蒼天 統率 27 知略 23 政治 18
下創世 統率 知略 政治 教養
革新 統率 武勇 知略 政治
統率 武勇 知略 政治
創造 統率 武勇 知略 政治

関連項目



最終更新日: 16/05/17 06:11
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