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育成選手とは、日本のプロ野球において、支配下登録選手70人の枠に含まれない契約選手のこと。
日本のプロ野球において、有望選手の囲い込みなどを防ぐため、各球団が保有できる選手は70人までと定められていたが、不景気で社会人チームが次々と廃部に追い込まれる状況を受け、有望選手の育成と裾野の拡大のために2005年から導入された。ちなみに元々の発案は広島東洋カープ。
年俸の下限は240万円(支配下選手の下限は440万)で、背番号は3桁(基本的に100番台だが、巨人は0から始まる3桁、中日は200番台をつける。打撃投手などの裏方と紛らわしいというのが理由)。入団時に契約金は無く、代わりに支度金(通常300万円)が支払われる。
出場できるのは二軍の試合のみ(1試合につき5人まで)で、一軍の試合に出場するには改めて支配下登録される必要がある。また、2007年以降オープン戦、フレッシュオールスター、ファーム日本選手権にも出場可能になった。ただしシーズン中の支配下登録期限は7月末(26歳以上の契約初年度の外国人選手は3月末)。8月以降は支配下登録ができないが、シーズン終了後の契約更改時には来シーズンからの支配下登録が可能。また、支配下登録選手が65人以上いる球団でないと育成選手を保有できない(ただしこれは補強期限の7月末時点で65人以上の意味。それ以前は64人以下でも問題無い)なお、支配下登録選手が64人以下であっても、実行委員会の調査の上で承認されれば育成選手を保有可能。65人以上保有する意思があったにも関わらず、選手が急死する、犯罪を起こして解雇するなどの理由で64人以下になってしまう事態を想定していると考えられる。ただし、現時点でこの条項が採用された球団はない。。
育成選手の保有数には現状、上限は無い。年齢制限があるわけでもないので、30代の育成選手も存在する。2011年にはソフトバンクが、巨人を戦力外になった38歳の藤田宗一を育成選手として獲得した(のちに支配下登録されたが1年で戦力外)。また、巨人時代の脇谷亮太のように、主力級の選手が故障で長期のリハビリが必要な場合に育成契約になることもある。そういう意味では、メジャーリーグにおけるマイナー契約や故障者リストのように使われている面もある。
2011年、岡田幸文(ロッテ)が育成選手としてプロ入りした選手で初めて規定打席に到達した(2009年に新人王を獲得した巨人の松本哲也は規定打席未満)。アーロム・バルディリスも阪神に育成枠で入団し、オリックス移籍後の2011年に初めて規定打席に到達している。投手では2012年、山田大樹(ソフトバンク)が育成出身選手で初めて規定投球回数に到達した。
▲打撃タイトル | |||
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首位打者 | --- | --- | --- |
本塁打王 | --- | --- | --- |
打点王 | --- | --- | --- |
盗塁王 | 周東佑京 | ソフトバンク | 2020年 |
最多安打 | --- | --- | --- |
最高出塁率 | --- | --- | --- |
投手タイトル | |||
最優秀防御率 | 千賀滉大 | ソフトバンク | 2020年 |
最多勝 | 千賀滉大 | ソフトバンク | 2020年 |
石川柊太 | ソフトバンク | 2020年 | |
最高勝率 | 千賀滉大 | ソフトバンク | 2017年 |
石川柊太 | ソフトバンク | 2020年 | |
セーブ王 | --- | --- | --- |
最優秀中継ぎ投手 | 山口鉄也 | 巨人 | 2009年、2012年、2013年 |
リバン・モイネロ | ソフトバンク | 2020年 | |
奪三振王 | 千賀滉大 | ソフトバンク | 2019年、2020年 |
表彰 | |||
ベストナイン | 甲斐拓也 | ソフトバンク | 2017年、2020年 |
千賀滉大 | ソフトバンク | 2019年、2020年 | |
ゴールデングラブ賞 | 松本哲也 | 巨人 | 2009年 |
岡田幸文 | ロッテ | 2011年、2012年 | |
甲斐拓也 | ソフトバンク | 2017年-2020年 | |
千賀滉大 | ソフトバンク | 2019年、2020年 | |
新人王 | 山口鉄也 | 巨人 | 2008年 |
松本哲也 | 巨人 | 2009年 |
「金満球団=補強、貧乏球団=育成」というイメージや、「有望な選手を安く保有できる制度」というイメージのためか、資金力のない球団向けの制度と思われていることがあるが、実際のところ、保有選手を増やすということは年俸だけでなく、練習設備など付随するいろいろな経費が余計にかかるということであり、大量の育成選手を保有するためには球団にある程度の資金力が必要となる。仕方ないね。
そういうわけで、育成枠の利用に積極的な2大球団がソフトバンクと巨人である。ソフトバンクは2011年から本格的な三軍制を敷き、ドラフト指名選手を中心に20名以上の育成選手を保有。千賀滉大、甲斐拓也といった主力を輩出しており、最もこの制度を活用している球団であることは間違いない。
巨人は2011年までは育成選手の最多保有球団で、同じく「第二の二軍」と称する三軍制を敷いていたが、戦力外選手の吹きだまりと化してしまい、2012年からは大きく縮小した(それでも保有人数は他球団に比べると多かった)。2016年からは再び三軍を創設して育成選手を増やし、最多保有球団に返り咲いている。
また、発案者の広島も球団の資金力に比べると育成枠を積極的に利用していた方だったが、2015年からは日本人育成選手の保有数は縮小気味。ドミニカのカープアカデミー出身の若手外国人と育成で契約する例が増加している(サビエル・バティスタ、アレハンドロ・メヒア、ヘロニモ・フランスアなど)。
逆に、制度開始当初から育成枠を利用ないことで知られたのが日本ハム。保有選手数を絞り、ひとりひとりの出場機会を確保するという編成方針に基づいている。しかし、2018年の育成ドラフトで初めて1名を指名した(それ以前にも育成ドラフトに参加したことはあったが、誰も指名せずに終わっている)。同じく西武も2011年までは育成選手を保有しない方針だったが、2012年以降は利用する方向に方針転換した。
ほか、ロッテや阪神は初期は積極的に活用していたものの、現在は縮小傾向。一方、楽天やオリックスは育成選手の保有数を増やしている。その他の球団はだいたい5名~10名程度というところで、まだまだ育成枠の活用法は模索が続いているようである。
▲プロ入り当落線上の選手にはチャンスの増える制度ではあるが、二軍の試合数にも限りがあり、さらに二軍戦への出場人数制限(最大5人まで)もあるため、育成選手を多く保有する球団には実戦経験の機会の確保が問題となっている(ソフトバンクや巨人が三軍を作ったのもこのため)。
それもあって、2007年に千葉ロッテマリーンズが育成選手を独立リーグの四国アイランドリーグへ派遣する構想を打ち出したが、いろいろあって頓挫。その後、2012年になって独立リーグがNPBからの育成選手の派遣を受け入れることになり、以降、広島東洋カープ、オリックス・バファローズ、横浜DeNAベイスターズなどが育成選手を独立リーグに派遣している。
いっぽう、独立リーグからNPBにドラフト指名される例も増えているが、独立リーグ出身の選手は育成ドラフトで指名される選手が多く、最初から支配下で指名される選手はあまり多くない。
一度戦力外になった育成選手が独立リーグを経てNPBに支配下登録選手として復帰する場合もある。2012年に高卒で育成選手として広島に入団し、支配下登録されないまま2013年に戦力外になった三家和真は、BCリーグで3年間のプレーを経て、2017年にロッテと支配下登録で契約、NPB復帰と初の支配下登録を果たした。また2012年に高卒で支配下選手としてDeNAに入団、1年で育成落ちして2014年に戦力外となった古村徹は、1年DeNAの打撃投手を務めたあと2016年にアイランドリーグの愛媛で現役復帰、BCリーグの富山を経て2019年に古巣DeNAに支配下登録選手として復帰した。
▲育成選手は大別して以下のようなパターンに分けられる。
通常のドラフト会議と同日に行われる育成ドラフトで指名された選手がこれにあたる。ドラフトにかかる基準は後述の禁止事項以外は、基本的に通常のドラフト会議と同様である。
山口鉄也(巨人)、松本哲也(巨人)、内村賢介(楽天→DeNA)、山田大樹(ソフトバンク→ヤクルト)、千賀滉大(ソフトバンク)、岡田幸文(ロッテ)、西野勇士(ロッテ)、砂田毅樹(DeNA)、甲斐拓也(ソフトバンク)、石川柊太(ソフトバンク)などが育成ドラフトで指名され、のちに支配下登録を勝ち得た代表的な選手。
なお、明確に規定されているわけではないが、「企業所属の選手は技術向上と社会教育という育成制度の理念から外れる」という理由で、社会人の企業チーム所属の選手の育成ドラフト指名は事実上禁止されている。過去に企業チームから指名された例は、2006年の鈴木誠(JR東日本→巨人)、中村真人(シダックス→楽天)の2例のみ(ただしシダックスは同年限りで廃部が決まっていた)。社会人でもクラブチームは対象外で、全足利クラブから指名された岡田幸文などの例がある。
通常のドラフトと同様に指名拒否の権利も選手側にあり、高卒で巨人の育成指名を拒否して大学に進み4年後に阪神から支配下で指名された陽川尚将や、巨人の育成指名を故障で辞退し翌年改めて育成で指名され入団した松澤裕介のような例がある。
2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
6人 | 12人 | 15人 | 26人 | 17人 | |||||
2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 |
29人 | 26人 | 13人 | 13人 | 23人 | 28人 | 28人 | 32人 | 21人 | 33人 |
2020 | 2021 | 2022 | 2023 | 2024 | 2025 | 2026 | 2027 | 2028 | 2029 |
49人 | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
※入団拒否・辞退を含む指名人数。年度の数字から各年のドラフト記事へ飛べます。
支配下登録枠を空けたいが戦力外にするには惜しいと球団が判断した選手や、故障で長期のリハビリが必要なため一軍戦力にならないことが解っている選手が、一度支配下登録を外れ育成契約を結ぶパターン。
なおその際、形式上として戦力外通告を行う必要があり(ただし戦力外通告が発表されないまま育成契約に切り替わることもあるのでわりと曖昧。契約更改前に内々で打診があるらしい)、育成契約の打診を蹴ってそのまま退団・引退する選手もいる。一旦自由契約扱いとなる事で他球団へのウェーバー提示が行われるので、他球団は支配下選手として獲得する事が可能となる。その為、育成選手はフリーエージェントの人的補償の対象外だからプロテクトしきれない有望選手を一旦育成枠にする…ということは事実上不可能である(実際、2019年オフに楽天の西巻賢二が育成契約を提示された上で戦力外となり、ロッテに支配下登録で移籍した際、「育成落ちでプロテクト外しをしようとして失敗したのでは」という報道が出た)。
例としては、チェン・ウェインは中日時代の2007年にリハビリのため育成契約となっていた。2012年には巨人の脇谷亮太が育成契約を結び議論を呼んだ(翌2013年に支配下再登録)。故障での育成契約から復活を果たした選手には他に、柳瀬明宏、河内貴哉、狩野恵輔、由規などの例がある。
ウィルフィン・オビスポ、レビ・ロメロ、山本和作、星野真澄は育成で入団→支配下登録→再度育成契約→再び支配下登録、という形で育成契約と、同一球団で支配下登録を二度ずつ経験している。支配下で入団→育成契約→支配下再登録→育成契約→支配下再々登録というルートを辿ったエディソン・バリオスのような例や、ソフトバンクに育成で入団し支配下登録され、支配下のまま楽天に移籍したあと育成落ちし、支配下に再登録された小斉祐輔のようなややこしい例もある。
2008年には中日が金本明博をシーズン中に育成契約にしようとして問題となり、シーズン中の育成降格は出来なくなった。なお金本はその年のオフ、育成契約の打診を断り退団、引退している。