ニコニコ大百科モバイル

7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します


足利義兼


ヨミ: アシカガヨシカネ

足利義兼1148~1199)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した武将である。


概要


源氏のうち在活動をとしていた足利義康の子として生まれる。源頼朝とも姪ともいわれ、保元の乱前後から河内源氏源頼朝とは深い関係を結んでいた。

治承・寿永の乱では1180年の挙兵以来源頼朝に従い、北条政子を正室とするなど源頼朝と関係を深め、幕府内での地位を固めた。またこの時長い間所領をめぐって争っていた足利氏方につき没落したため、所領の拡大に成功している。

戦いとしては1184年に源義仲残党狩りを名小笠原長清とともに甲斐の制圧を行ったり、源範頼の軍に編成され討伐に向かったりと、どちらかといえばサポート役に回されることが多かった。ただその功として1185年に上総介に任じられている。

州合戦では本戦で戦功をあげたほか、1190年の大河兼任の乱では討伐軍を率いるなど、頼の側近として活動を続けている。

やがて1195年に48歳で々と出し、鑁寺を建立したほか、亡くなった墓所は樺崎寺となった。

彼の庶長子足利義純は、はじめ新田義重と結び岩氏を、畠山重忠の乱ののちは幕府によって重忠の妻と結ばれ畠山氏をしている。次男足利義助からは井氏がる。そして三男足利義氏が嫡子としてを継いでいった。


関連項目



最終更新日: 17/09/09 17:18
タグ検索 パソコン版を見る


[0]TOP
ニコニコ動画モバイル
運営元:ドワンゴ