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身延線[みのぶせん]とは、静岡県富士市と山梨県甲府市を結ぶ、JR東海の地方交通線である。
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富士駅(静岡県富士市)と甲府駅(静岡県甲府市)を結ぶ全長88.4mの路線。全区間直流1500Vの電化がされている。富士駅から富士宮駅までは複線、富士宮駅から甲府駅のでは単線となっている。駅数は起終点を含むと39駅(富士駅はJR東海・東海道本線(静岡地区)、甲府駅はJR東日本・中央本線に所属)存在し、山間区間が多いが駅間距離は平均2.67kmと短い。
元々は富士身延鉄道が経営を行っていたが、1943年に戦時買収という名目(実際は地元自治体による請願)により国有化。1987年の民営化によりJR東海所属となっている。
TOICAをはじめSuica、PASMO、ICOCAなどの交通系ICカードは富士駅~西富士宮駅間のみ使用可能であり、それ以外の区間は切符(ワンマン運転の場合車内精算)が必要である。なお、甲府駅には交通系ICカード対応自動改札機が設置されているが、交通系ICカードを使い身延線から乗車してきた場合は有人改札での精算が必要になる。また、無人駅が多く、ワンマン列車は甲府駅到着時の車内清算を実施しないため、通勤ラッシュ時間に定期券を所有していない場合、精算で待たされることになる。
国鉄時代は飯田線同様戦前の車両(所謂「旧型国電」)が日本各地から転属されていたが、新性能車両への置き換えを経て2007年のダイヤ改正以降はすべて民営化後に製造された車両で運行されており、これは国鉄型車両の淘汰が急速に進んでいたJR東海管内でも特に早い部類に入る。一方で保線に関してはいまだ木製の枕木が多く、架線柱についても富士身延鉄道からのものが使われている場所がある。
▲富士駅ほ発車するとしばらく東海道本線と並走し、別れた後すぐに柚木駅がある。竪堀駅を過ぎたあたりまでは高架区間で、東名高速道路の手前で地上へ降りる。しばらくは住宅やロードサイド店が並ぶ地域を走り、中規模のビルや市民病院、イオンショッピングセンターのある富士宮駅へ到着する。富士宮駅から西富士宮へ向かう途中一時的に高架区間となるが、当該区間にはかつて野中踏切があり、富士宮随一の渋滞発生地帯であったためそれを解消するために2012年に高架化された区間である。なお、高架区間左手に広い駐車場があるが、ここはかつて創価臨(後述)のために設置された電留線があったところである。
西富士宮駅を過ぎると電車の本数が一気に減り、山間区間に突入する。ここからひたすら山を登っていく感じであるが、実際は富士宮の市街地が見えなくなるところから芝川駅までは下っている。特に沼久保駅から芝川駅の2.3kmで50m下っており、当該区間の勾配は約25‰となっている(沼久保駅から見える富士川と芝川駅近くを流れる富士川を見れば、どれだけ下ったかがわかると思われる)。
芝川駅から再び上り勾配に転じ富士川沿いを走行。稲子駅を過ぎた最初のトンネルをくぐると静岡県から山梨県へ入る。当該区間は山と川の間を沿った形で走行するため、半径200mクラスのカーブが続き、特急でも平均時速40~50km/hで走行するのが精一杯である。甲斐大島駅を過ぎトンネルを抜けると中間点となる身延駅があり、小奇麗な商店街が見える。身延駅は身延山久遠寺の最寄りでもあるため、乗客の入れ替わりが激しい。
身延駅を過ぎてしばらくは富士川沿いを走るが、波高島駅あたりで右に曲がり山間部に入る。温泉街やゆるキャン△の聖地を走行していくと再び富士川が見え、そこに印章の街である甲斐岩間駅がある。再び山間部に入り、トンネルを抜け下ると甲府盆地の入口である鰍沢口駅に到着する。
鰍沢口駅から先の甲府盆地区間は再び電車の本数が増え、住宅地を抜けながら甲斐上野駅を過ぎると富士川の支流である笛吹川を渡り東花輪駅に到着する。ここからは市街地らしい風景となり、中央自動車道や新山梨環状道路、国道20号の立体交差を抜けると甲府市に入り、善光寺駅を過ぎたあたりで中央本線と合流し、左側に石垣が見えると終点となる甲府駅に到着する。
▲以下、身延線についての特徴を記述する。
優等列車として特急「(ワイドビュー)ふじかわ」が1日7往復運行されている。
特急ふじかわは373系使用の3両編成で、1号車が指定席、2・3号車が自由席であるが、セミコンパートメント席は指定席となっている。さらに団体予約が入った場合2号車が全座席指定席となることがある。この場合自由席は3号車のオープンシート席のみ(座席番号で言うと3番から15番)となり、時期によっては立席客が発生することもある。
所要時間は甲府駅~静岡駅間が2時間13分から25分で、甲府駅~富士駅間の身延線内でも約1時間40分~1時間50分である。これは特急種別では最遅列車に分類され、これより遅いJRの特急列車は飯田線の「伊那路」と牟岐線の「むろと」、あとは九州の観光列車ぐらいである。
競合交通機関として山梨交通としずてつジャストラインによって運行されている高速バスがある。2019年の中部横断自動車道延伸よって高速バスのほうがふじかわより「安くて速い」状態となっているが、高速バスは運転手不足などで増便はおろか平日は運休しており、一方ふじかわは新幹線との接続改善や短区間利用の促進で対抗していることから、現時点でふじかわの快速化や廃止はないと考えられる。
身延線の優等列車は戦後快速列車の運行開始から始まる。この快速列車は1956年から運行を開始したもので、甲府~富士間を1日1往復運行していた。1964年に準急に格上げされ、「富士川」の愛称が付与される。この列車は湘南列車と呼ばれた80系があてがわれ、2往復運行、うち1往復は甲府駅~静岡駅、残る1往復は甲府駅~富士駅間の運行であった。なお、この準急は現在の特急より停車駅が少なく、全列車停車は富士宮駅、身延駅、下部温泉駅(当時は下部駅)のみである。また、南甲府駅、東花輪駅、甲斐岩間駅は全列車通過していた。
1966年に1列車の走行距離が100kmを超える準急列車は急行化することになり、静岡発着列車はそのまま急行「富士川」となったが、富士発着列車はそのまま準急となり「白糸」と名付けられた。しかし身延線内急行「富士川」は甲斐岩間駅に停車したのに対し準急「白糸」は甲斐岩間駅を通過、所要時間も準急「白糸」のほうが短いという逆転現象が発生する。さすがにこの状況はまずいと思った国鉄は1968年に準急の種別廃止に合わせ準急「白糸」を急行「富士川」に統合、どちらも静岡発着となった。
1972年に山陽新幹線開業により余剰となった165系が転用され、80系を置き換え。またこの時2往復から5往復に増発されている。うち1往復を三島駅発着とし、東京方面からの東海道新幹線との接続を図っている。
その後は編成の減車や指定席の設定(利用が宜しくなかったため、すぐに取りやめ)などがあったがこの状況が維持され、民営化によりJR東海管轄となる。1994年には三島駅発着を静岡駅発着とし、5往復すべてが甲府駅~静岡駅となった。
1995年、165系の老朽化や新幹線アクセスの向上を目的に373系への置き換えおよび特急化が実施され、愛称もひらがな表記の「ふじかわ」に変更された。当初は定期6往復、臨時1往復での運行であったが、臨時1往復の設定頻度が高かったため1998年に定期化。2006年に停車駅の共通化が実施され、現在に至っている。
身延線の前身である富士身延鉄道は身延にある身延山久遠寺への参拝客および中央東線開通により衰退していた富士川舟運の代替手段として1913年に富士駅~大宮町駅(現在の富士宮駅)まで開通、その後も順次延伸していき1920年までには身延駅まで開業した。しかし当時は蒸気機関車であり、かつ工事費節約および期間短縮のためトンネルについては小型の蒸気機関車がギリギリ入れる設計で貫通させている。
その後甲府駅までの延伸が行われるときは将来の国有化のため国鉄基準で建設されることになり、かつ全線において電化が実施された。身延駅~甲府駅間は電化前提の設備・規模で1928年に全通したが、蒸気機関車基準で既に開通していた富士駅~身延駅間は拡張せずそのまま電化が実施されたため、国鉄が所有していた電車がトンネルの多い大宮西町駅(現在の西富士宮駅)~身延駅間を走行すると車両限界を超えることから、中央東線基準の車両(全体が低屋根で車輪径が小さく、パンタグラフも折畳時低くできる車両)が投入された。
しかし1950年にトンネル内で架線断絶による火災事故が発生した際、中央東線基準の車両でも安全性に問題があるとしてパンタグラフ設置部分の屋根をさらに削る工事を実施した。これが所謂「低屋根車」である。この低屋根車はその後転用導入された80系や165系にも工事が行われ、新制導入された115系は当初から屋根が低い身延線専用の2600番台が造られている。
民営化後、JR東海は低屋根化工事を行わなくても身延線に入れる車両の開発に着手。その結果身延線の車両限界に収まるシングルアームパンタグラフが開発され、373系に採用された。以降JR東海の在来線電車はすべてシングルアームパンタグラフを採用しており、身延線に乗り入れ可能となっている(寝台電車の285系も身延線よりさらに狭いトンネルを走行しているため、理論上は乗り入れることができる)。
富士宮市にある大石寺はかつて創価学会と友好関係にあり、全国各地から富士宮駅までの臨時列車(創価臨)が多数運行されていた。しかし当時富士駅~富士宮駅間は単線であり、かつ東京側で分岐していたため運用の多かった東京・横浜方面からはスイッチバックせざるを得ず、運用に支障をきたしていた。さらに当時は富士市街地を横断していた国道1号の踏切渋滞も問題になったことから1969年より複線・高架化および線路付け替えが実施された。
この工事で富士駅~富士宮駅間の複線化および富士駅~竪堀駅間の高架化、さらに線路の分岐を東京側から現在の静岡側に付替え、1974年に工事が完成した。同時に富士宮駅の北側に大規模な電留線が設けられている。なお、富士駅~竪堀駅間に本市場駅が存在したが、この工事により移設のうえ地名にちなみ柚木駅に改名された(つまり本市場駅は廃駅ではなく柚木駅の前身という扱い)。
しかし創価学会が1991年に大石寺を破門したため創価臨の設定がなくなり、現在では静岡側から身延線方面に乗り入れる特急「ふじかわ」は富士駅でスイッチバックせざるを得ない状況になっている。一方で複線化を生かして富士駅~西富士宮駅間はシャトル列車が多数設定されている。