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韓国経済


ヨミ: カンコクケイザイ
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に第一期(1945~60)前期(45~53)・後期(54~60)、第二期(1961~86)前期(6179)・後期(80~86)
第三期(1987~現在)前期(87~96)・後期(97現在)に分けられる。

1960年代以前の経済標 (単位%100万ドル)
1954 1955 1960 1961 1954~61均、合計
経済成長率 5.5 5.4 1.9 4.8 4.4
人口増加率 2.88 2.88 2.88 3.25 2.93
1人当GNP(ドル) 70 66 81 83
民貯蓄率 6.4 4.9 1.4 3.9 3.7
投資率 11.6 11.9 10.9 13.1 12
産業構造 漁業 40.3 44.8 36.8 40.2 41.3
鉱工業 12.4 12.2 15.7 15.2 13.8
その他(サービス業) 47.3 43 47.5 44.6 44.9
卸売物価上昇率 28 81.9 10.7 13.2 22.2
輸出 24 18 33 41 200
輸入 243 341 344 316 2754
援助 154 237 245 199 2088

韓国経済企画院『開発年代の経済政策』
これによれば①60年代一人当たりGNPが80ドル台と圧倒的に低かった(GDP購買換算日本:約4700ドル、米国13000ドル、旧西ドイツ9800ドル、韓国1420ドル)
②貯蓄と投資にギャップがあった(援助によりそれは補填)
③農漁業が多く占めていた
④その他=第三次産業が肥大化していた
⑤物価上昇率が高かった。
これらのことより韓国経済は農業、援助により成り立っていた事が伺われる。

第一次~第四次五カ年計画とその実績(単位%100万ドル)
第一次(62~66)
計画/実績
二次67~71
計画/実績
三次72~76)
計画/実績
第四次(77~81)
計画/実績
経済成長率 7.1/8.5 7/9.7 8.6/10.1 9.2/5.5
1人当GNP(75年価格
、ドル)
―/307 ―/437 ―/650 ―/1607
投資率 22.6/15.1 -19.0/26.4 24.9/27.8 26.2/35.3
内貯蓄率 9.2/6.1 11.6/13.1 19.5/18.2 24.2/23.9
海外貯蓄率 13.4/8.8 7.5/12.9 5.4/9.8 2.0/11.2
産業 34.0/31.7 34.0/28.8 22.4/24.0 18.5/19.6
鉱工業 27.2/25.7 26.8/20.9 27.9/29.3 40.9/31.3
社会間接資本その他サービス 38.8/42.6 39.2/50.3 49.7/46.5 40.6/49.1
経常収支

-246.6/-250.6

-95.8/-847.5 -359/-314 -1172/-4436
輸出 138254 550/1132 3510/7815 20242/20881
輸入 492/673 894/2178 3993/8405 1887224229
人口増加率 2.81/2.75 2.20/2.24 1.50/1.70 1.591.55
失業率 14.8/7.1 5.0/4.5 4.0/3.9 3.8/4.5

『韓国経済開発外観』
これによれば、韓国経済は朴正煕政権の下で、量的にも質的にも変した様子が分かる。
輸出は特に615481万ドルから1505550万ドル、年均増加率は36.6%に達した。
結果62年に73%を占めた一次産品のシェア79年には9.9%に低下し、商品輸出構造が大きく変化した。また輸出をとする経済成長政策は産業構造をも大転換させた。
但し、成長一辺倒の開発政策は階層間の格差拡大、財閥への経済集中、インフレ進等の副作用が生じた。
その影社会政治不安が高まり、朴正煕大統領の暗殺に繋がった。

後期:この時期は前期の「開発」から「安定」(三低現)へ移行していく時期である。
朴正煕政権に代わった斗煥政権は「安定」を第一に掲げ、インフレ抑制を最優先課題にした。
82年開始の第五次五カ年計画の正式名称も「第五次経済社会発展五カ年計画」とし、「開発」から「発展」、社会を重視する向きをアピールした。「民間経済への転換」が打ち出され、憲法には中小企業の振が銘記された。
但し「外向き開発政策」のつけはインフレの高進に留まらず、80年代前半には債務償還問題を深刻化させた。
対外債務残高が85年には468億ドルに達し、同年のGNPの5.7%に相当した。債務償還負担率も18%に達し、資繰りに不安が生じた。
この時の危機米国銀行の緊急融資とプラザ合意のもたらした
円高=ドル高=ウォン
による輸出急増で回避された。
プラザ合意後のドル安=ウォン安に原油安、国債利安が加わり、「三低現」がもたらされた。
これにより韓国経済はかつてない好況を得、86年からの「魔の三角形」から開放、高成長、物価の安定、経常収支黒字といわゆる「三低気」を満喫した。
ウォンはこの時初めて切り上げを始めた。これはこれまでの重化学工業化と外部環境が見事に符合した結果だといえる。
魔の三角形=成長を優先する結果慢性的インフレのこと。
経常収支の赤字に悩まされた結果、成長、物価、際収支の3つのトレードオフ関係をこう呼んだ。

 93年の泳三政権は混乱の根底に権威義的開発体制が限界に来たという事実があるとして      92年に始まった「第七次五カ年計画」を打ち止め、新たに「新経済五カ年計画」を打ち出した。
「文民政権」を標榜する同政権としては「新しい革袋に新しいワインを」という事であった。
これは「過去のような政府示と統制ではなく、民の自発的参与と動的創意が新しい経済発展の原動にならなければならない」というものであった。
その実現の為に、財政革、革、行政規制革、経済意識革等、一連の革が必要であるとされた。これにより政府機関合(財政経済院の発足)や融実名制(グリーンカード制)を進めた。また、ビッグバン経済集中の排除・規制緩和等も構想された。
しかし結果は惨惨たるもので、97年にはグループ倒産が発覚した。
この事件は「権非理(権を巻き込んだ不正腐敗)」に変りなかった事、権威義的政策運営が相変わらず続いた事だった。これは後のIMF危機に至る混乱の出発点となった。

融実名制=税逃れのための膨大な仮名・偽名・借名資り出しの政策。

後期:この時期は経済革と何よりもIMF危機の襲来である。
IMF危機当時の大統領大中であったが、野党出身であった事、革志向が強かった事、財閥・機関との癒着が少なかった事等々がプラスに働きIMFとの意向とも大部分で一致した。
基盤は脆弱であったが、民の危機意識とIMFを「の御紋」に企業構造革や革にメスを振るった。
この経済革で中堅財閥は没落、失業者は急増、所得格差は拡大した。
中産層の没落は衆論の一致するところである。
大中政権の後に登場した盧武鉉政権の経済政策は、財閥や富める者優先の経済成長政策、さらにIMF危機がもたらした混乱に対する反発を反映し「成長より分配」をスローガンに、財閥叩きや不動産投機の抑制・弱者救済・労働組合保護といった社会主義色彩の濃いものだった。
結果投資や消費等内需は振るわず、対中輸出の急増による外需の好調で、03年~08年の経済成長は5%を維持した。

アジア通貨危機と韓国~IMF危機~

当時新工業経済地域(NIES)の先頭をひた走っていた韓国経済は9712月3日の巨額資支援と引換に際通貨基(IMF)の管理下に置かれた。韓国内でのいわゆる「IMF危機」である。
前年の経済開発会議、OPECを果たしたばかりの未曾有の危機経済政策の権喪失、「第二の恥」あるいは「第三の恥」と騒がれた。
表面的には際収支の管理失敗と大企業の流動性危機であったが、本質的には借バブルの崩壊つまりは「官治」の失敗、政府導の高度成長政策の破綻であった。
その為その面躍如には企業構造革と革を通じ、企業経営の市場経済化への方針転換である。これは財閥の解体であり、開発体制から市場経済への転換であった。

「第二の恥」あるいは「第三の恥」=「第二の恥」という場合、「第一の恥」は1910年の日韓併合。
「第三の恥」という場合、「第二の恥」には朝鮮戦争が入る。
官治韓国朴正煕政権以来政策融を梃子に経済開発計画を推進してきた、その為政府式保有等を通じて銀行を影下に置いた。
その結果韓国銀行は政策融の執行機関であった。それを揶揄したのがこの言葉である。


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最終更新日: 12/07/10 10:32
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