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馬券


ヨミ: バケン
掲示板をミル!
1カキコ!

東京競馬第10レースの払戻を、場内テレビジョンでお知らせ致します。

東京10R 日本ダービー(GⅠ) 払 戻
単 勝 17 1,250円 6 - 8 3,190
複 勝 17 410円 ワイ 12 - 17 2,710円
12 390 7 - 17  34,420
7 3,640円 7 - 12 30,290
12 - 17 7,950円
17 - 12 15,520円
3連複 7 - 12 - 17 521,600円
3連単 17 - 12 - 7 2,856,300

(2018年5月27日(日)開催 第85日本ダービー(東京優駿)の払戻)


馬券(ばけん)とは、競馬において配当の払い戻しを受けるのに必要な投票券である。馬券というのは通称であり、現在公式名称は勝馬投票券(かちうまとうひょうけん)である。

この記事は日本中央競馬からの情報に基づいて作成しているため、地方競馬海外競馬のものとは一部異なる記述があります。


概要


馬券は20歳以上であればでも購入可であり、別に競馬興味がない人でも、今この記事を見ている恐らく暇人であろうアナタでも購入することが可である。以前は20歳以上であっても学生・生徒である場合には購入が禁止されていたが、2005年(平成17年)1月1日から施行された競馬法によってこの制限は撤された馬券(勝馬投票券)は何歳から購入できるのですか?(JRAホームページ - FAQ)[外部]

現在中央競馬では10種類(詳しくは後述の種類を参照)の馬券が発売されており、WIN5以外の9種類は全に10箇所ある中央競馬開催競馬場・場外馬券場(WINS/J-PLACE)・電話インターネットでの投票(即PAT/A-PAT/JRAダイレクト)で、WIN5インターネット投票により購入できる。

馬券の売り上げは、宝くじ競艇競輪オートレース等他の全てのギャンブルを抑えて最多であり、中央競馬売得(有効馬券の総売上)は2018年(1月12月)1年間で2兆7950830万4000円地方競馬売得2018年度(18年4月~19年3月)6033億87372180円と集計期間こそ異なるものの、合計で3兆円以上を売り上げている。単一のレースに限ると、2018年12月23日開催の第63有馬記念(優勝:ブラストワンピース)は436億6403万9500円という売得を記録している。

ちなみに、オグリキャップを始めとした第二次競馬ブーム(80年代後半~90年代前半)からバブル崩壊にかけて馬券は現在ではないほど売れに売れており、1996年12月22日開催の第41有馬記念(優勝:サクラローレル)は2018年の2倍以上に当たる売得875億1042400円を記録し、ギネス世界記録にも登録された。

かつて馬券には鉄道乗車券と同じく裏面に磁気情報を書き込んだ馬券を用いていたが、2000年代前半から導入が開始された現在の馬券はQRコードを用いた馬券となっており環境に配慮されている。(このQRコードシステム鉄道ゆいレール北九州モノレール]にも逆輸入されている) 磁気情報部分がなくなったことによりクシャクシャにしやすくなったので、負けた時にイライラしてゴミ箱に捨てる時にも楽になった。


歴史




①ガラ馬券(明治時代)


明治時代は競馬は合法行為ではなく、ギリギリ江戸時代幕末1866年(慶応2年)に開設された横浜競馬場にて発売されていた馬券は外国人居留地という治外法権であったため例外的に発売されていたものであった。

現在の馬券の方式は、パリミュチュエル方式と呼ばれている。これは、①全購入額を一旦総プールし、レースを実行する。②レース終了・確定後に催者側が総プール額から決まった割合の売得を抜き取った後、残りを当選者に払い戻す。というもので人気をオッズによって具体的に推し量ることができる、オッズの状況によって自分の買う馬券を定めることができるなどといったメリットが有る。

日本公式パリミュチュエル方式馬券が発売されたのは根岸ステークスの由来にもなった横浜競馬場1888年(明治21年)に発売されたものが最初とされているが、それよりも前から同競馬場ではガラ馬券という現在の馬券とは異なる方式の馬券が発売されていた。

ガラ馬券というのは、どちらかと言えば馬券よりも宝くじに近い方式の馬券であり、購入するとランダム番が書かれた馬券を手に入れることができ、そのが上位に入線すれば順位に応じて予め設定された当選を貰えるという方式である。要するに宝くじルーレット当選番号を決めるが、ガラ馬券ではの着順によって当選番号が決まるわけである。

─────と書くと、宝くじと一切変わらないこの馬券の一体どこが面いのかと疑問に思うかもしれないが、この馬券が面いのはここからなのである。

ガラ馬券は転売許可されていた馬券であり、手に入れた番のが弱ければ奇跡を信じて上位入着を祈るしかないが、もしディープインパクト級の強いが当たった場合にはレース前に購入額以上で転売すればレースの結果とは一切関係なく確実にけが出せる。しかも、購入者がそのディープインパクト級のだった場合、以下のような感じでボロけすることも可である。

  1. ガラ馬券を自分のが出てくるまで購入する。
  2. 自分のを当てられたらその馬券をオークションで高額転売する。
  3. 弱いの馬券を買ってしまった人に「ねえねえどーせそれ当たらないからにならないっしょ。が買い取るから譲ってくんない?」とをかけ安価転売してもらう。
  4. 自分のの出走を取り消す。
  5. 自分の持つ強いが出走しないので、当然弱いにも勝つ可性が生まれる。
  6. 弱いが負けてしまっても、2の高額転売分の取り分があるので十分プラス
  7. 弱いが勝ってしまえば、実質2頭分の配当に近い額をボロけ!m9(^Д^)プギャー

・・・まあ所詮ギャンブルである以上皆考えることは一緒なので、案の定同様の手口による八百長・出走取消が連発しレースが成り立たなくなることもしばしばあったのと、射幸心が強すぎるということでガラ馬券は1907年(明治40年)に禁止され、それ以来日本国内では発売されていない。

ちなみにガラ馬券の由来は、今のガラポン(抽選器)と同じようにガラガラと木製の馬券が入った入れ物を回して番を振り分けていたかららしい。


②アナ馬券と日露戦争(1888年~1908年)


1888年(明治21年)、当時はまだ合法だったガラ馬券と並行して現在パリミュチュエル方式の馬券が横浜競馬場にて発売開始となった。こちらは当時、ガラ馬券に対してアナ馬券と呼ばれていた。アナの由来は不明ではあるが現在の「単・連」と同じく盲点のような意味があったと思われるガラとアナ ~明治の馬券~ (ことばマガジン - 朝日新聞デジタル)[外部]

日本政府日露戦争以後、欧に大きく遅れを取って戦地での移動手段としての軍の重要性に気づき、有効な生産手段として競馬を広めて優秀な産駒を育てていこうと計画。1906年には長らく合法行為ではなかった日本人による馬券発売を黙許した(ただし通達のみで法的根拠はない)。それにとどまらず同年には政局というを育てる専門の国家機関まで作り軍の生産良に取り掛かった。

馬券の開放によって、同年に日本人によって開設された池上競馬場の大成功(初開催から4日でなんと全建設費を回収に成功)を契機に全競馬場の建設が相次ぎ1908年当時には前述の横浜池上を含めた15個の競馬場が営業を行うまでに成長した産業となった。

しかし日本政府治安の悪化を危惧して入場料や馬券を高額に設定したりはしたものの、新の急成長産業であるため運営整備が追いつかず、ガラ馬券時代にも問題になった八百長をアナ馬券に変わっても全を防ぐことは出来ず、すぐに競馬民の批判の的となってしまい1908年には再び馬券の発売が禁止されてしまうことになってしまった。

この馬券が黙許されていたわずか2年間(1906年~1908年)は、馬券黙許時代と呼ばれている。


③景品競馬と勝馬投票券(1908年~1923年)


馬券は禁止しても軍良を止めるわけにはいかず各競馬場には馬券収入の補填として補助が支払われ、その補助によって各競馬場運営を行っていた。

しかし、その補助だけでは食いつないでいくだけでも精一杯であり前述の池上競馬場は経営が苦しくなったため周辺の競馬場(板橋目黒川崎)と合併。その後目黒競馬場への統合が決まったため1909年に止に追い込まれている。この合併が実施されたこともあり、全で15個あった競馬場は11の競馬楽部に整理されることとなった。

1912年に宮崎競馬場れを切らして今までの馬券とは異なる勝馬投票券を発売。これは競馬といって、「払い戻すのはお金じゃなくて品だから賭博罪には当たらないでしょ」という子供の言い訳じみた苦の策で発売したものではあったが、前述の通り日本政府は軍生産にこだわっていたためこれを黙認。以降、この競馬は全競馬場に広まり競馬事業を存続させることになる。

ちなみにこの時登場した「勝馬投票券」という言葉は、後に馬券の正式名称として採用されることとなる。


④馬券の発売再開と日本競馬会の誕生(1923年~1944年)


1923年に日本陸軍からの要望もあってようやく馬券の発売が再開され、補助競馬競馬は役を終えた。


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最終更新日: 19/11/14 23:28
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