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高山善廣


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高山善廣1966年9月19日 - )とは、個人事務所高山堂所属のプロレスラーである。
東京都墨田区出身。東海大学卒でサラリーマンからプロレスラーに転身した、数少ない長身日本人レスラーの一人。


概要


1992年6月にUWFインターナショナルデビュー。この際、本人は一度入門したUインターから逃げしており、ライフセーバーアルバイト中に出会った宮戸優の紹介により再入門していたようだ。

Uインター解散後は受け皿団体のキングダムに移籍。1997年からUインター時代に一度対戦し敗れた川田利明を追う形で全日本プロレスに参戦するようになる。その2年後には大森隆男、浅子覚とともにユニット「NO FEAR」を結成。史上初となる世界タッグアジアタッグ王座の同時制覇を成し遂げた。

プロレスリング・ノアとの関わりも深く、故・三沢光晴氏とともに当時所属していた全日本を離脱、旗揚げメンバーとして参加している。その後、PRIDE参戦を機に再びフリーとして活動。2002年には自身初のシングル王座であるGHCヘビー級王座を獲得。翌年には新日本プロレス永田志からIWGPヘビー級王座を獲得した。

その後のタッグ王座では2004年天山広吉西村修組からIWGPタッグを獲得し、獲得経験のあったGHCタッグと合わせて史上2人となる三大メジャータッグ王座獲得を成し遂げた。(最初に達成したのはベイダー)

2004年8月8日新日本G1 CLIMAX佐々木健介戦の後に脳梗塞で倒れるも、奇跡的に素病院に運ばれ手術。タレント活動を経て2006年7月16日に復帰した。(プロスポーツ選手で脳梗塞の復帰は前例がいと言われている)この活動中には大河ドラマ功名が辻」で蜂須賀小六役として出演。自身の日記で「あまりの大根役者っぷりに驚いている」とコメントしていたとか。ちなみにその4年前には同じ大河ドラマ利家とまつ~加賀百万石物語~」にも出演している。

2009年3月14日グレート・ムタを破り三冠ヘビー級王者になり、史上初のメジャー3団体全てのタイトルの戴冠経験のあるレスラーになった。

2011年にはDRAGON GATEドンフジイ凱旋行にてXとしてフジイタッグを組んだ事でドラゲー初参戦。
前身である闘門時代を含めれば8年ぶりの参戦であり、4大メジャー団体全てに参戦したレスラーとなる。
後の7月には"ハリウッド"ストーカー市川フジイと6人タッグ戦に参戦、3人同時ジャーマンで観衆を沸かせた。
またこの年に7年ぶりのG1出場を盟友、鈴木みのるとともに果たす。

NOAHでは第1回グロバルリーグ戦優勝、Uインター時代の先輩佐野とのタッググロバルタッグリーグ戦優勝、GHCタッグを獲得。ZERO1両国国技館大会でもメイン大谷二郎と対戦し、"破壊王子"橋本大地とのシングルも予定されている。新日本プロレスジャイアント・バーナード、カールアンダーソン組にGHCタッグを奪われた後、KENTA率いるユニット"NO MERCY"の4番メンバーとして加入を果たした。このNMC在籍時には高山史上かなり稀なロングタイツを着用している。(通常はショートタイツのレガース。)

更に最近では花火プロレスZERO1を中心に大仁田厚との戦いを繰り広げているほか、NOAH侵略を進めている鈴木軍に対抗する形で、鈴木みのる久々に反する関係にもなった。

プロレス界の帝王」の異名を持ち、決めゼリフは「ノーフィアー!」(恐れを知らない、怖いものし)。性格は基本的に尊大で現役選手で敬意を払うのは佐野ぐらいである。ただあくまでギミックと思われ、プロレス外では先輩レスラーに敬意を払う姿を見せたり、試合後のインタビューも対戦相手をリスペクトするコメントをよく残している。総合格闘技にも出場し5戦全敗だが、PRIDEベストバウトの一つに上げられるドン·フライ戦での壮絶な殴り合いなどにより評価は高い。

得意技はエベレスト・ジャーマン・スープレックス・ホールドダブルアームスープレックス、ニーパッドを外してからの膝蹴りなど。どの技も長身から繰り出される為非常に威が高く、プロレスの試合にも関わらずダウンカウントが取られるほど。


獲得タイトル



メディア出演



関連項目



最終更新日: 15/03/30 09:26
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