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2000年代


ヨミ: ニセンネンダイ
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2000年代とは

  1. 2000年から2009年までの10年間をす。
  2. 2000年から2099年までの100年間をす。21世紀とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。
  3. 2000年から2999年までの1000年間をす。3千年紀とほぼ同じ意味であるが、開始と終了の年が1年ずれている。

ここでは1について記述する。


概要


20世紀最後の年・2000年21世紀最初の年・2001年が跨る、21世紀最初の年代。

それぞれの年の記事も参照。2000年- 2001年 - 2002年 - 2003年 - 2004年 - 2005年 - 2006年 - 2007年 - 2008年 - 2009年


国際社会における2000年代


世界的には、インターネット化・脱アメリカ化といった、社会的にも政治的にも多極化が進んだ時代といえる。世紀末と新世紀が同時に連続した年代でもあり、人類史としても徴的な年代である。

政治的には、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件で、新世紀の幕開けが徴され、2008年リーマンショック以降の経済危機で閉められるという、アメリカの負のイメージが強く出た年代である。新世紀を告げたテロ事件自体は、いわゆる西側諸、英独や日本だけでなく、ロシア中国中東テロ攻撃を非難するなど、「世界的悲劇」であった。ただし、これ以降アメリカが繰り返し中央アジア中東地域で軍事作戦を展開していく中で、中東中国ロシアだけでなく、ヨーロッパの中でもフランスドイツから支持が離れていったり、かつては“アメリカの裏庭”とまで言われた中南が、ベネズエラでの反米的政権成立やブラジル経済的台頭など、必ずしもアメリカ政治経済に頼まない独自の地域統合が生まれたことにより、冷戦終結以降にあったアメリカとしての地位が徐々に低下していった。ジョージブッシュジュニア政権末期に起きたリーマンショックは、アメリカ自体を削ぐ事になり、「ヒーロー待望論」としてのバラク・オバマ大統領誕生に繋がった。
ヨーロッパでは、政治経済共同体であるEU欧州連合)が2003年に10年を迎え、2004年に10カが新たに加わり、当初の12カから25になるなど、統合と発展という夢が広がっていた。
かつての大ロシアは、1991年ソ連邦崩壊という政治危機アジア通貨危機煽りを受けた1998年デフォルト(債務不履行)で弱っていた1990年代であったが、2000年当選し、その後“新皇帝”とも揶揄されるウラジミール・プーチン大統領の強権政治世界経済を追いにした原油高によるロシア経済の復活と共に、徐々に存在感を増していった。2008年に起きたグルジア侵攻(南オセチア紛争)は、を取り戻したプーチンロシアによる、「ロシア系住民保護」という名の失地回復運動の様相を呈していた。この流れは、後のウクライナ紛争へと引き継がれていく。
中国も、1990年代鄧小平による革開放政策を基本的に堅持した結果、アジア通貨危機煽りを受けるものの、ロシア同様この時期は世界経済を追いに、“世界の工場”として19世紀のイギリス20世紀のアメリカ日本と同様に21世紀は中国一色になるような輸出経済成長を達成し、イギリスフランスを追い抜くなど、経済としての地位を高めていった。社会的・政治的には、瀋陽総領事館への北朝鮮人亡命事件や2008年北京オリンピックを前にして注を集めようとしたチベット暴動、四地震などがあったが、全体的に独裁色の強い中国政府コントロールに収まっていった。2008年北京オリンピックも問題があったものの結果としては成功させた部類に入る。しかし、必ずしも政治経済的成功ばかりでなく「大である中国」として、アジア地域で平和的ではない洋進出による領土紛争が起きるなど、“問題児”としての面も出てくる。


テロの世紀・軍事的リスク


2000年代は「テロの世紀」とも呼べるほどに、世界各地でテロが頻発ないしは注された。それは、政情不安なイラクアフガニスタンだけでなく、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者とされるイスラム原理義組織・アルカイダリードしていった結果、に西側諸営とされた々でテロが発生し、日常化していった。これ以後、「対テロ戦争」とも称される、アメリカ合衆国が率いる対テロ作戦軍事作戦が「テロリスト殲滅」の名の下に、中東中央アジア地域が展開されていく。こうした状況の中で、「テロリズム、非対称戦争、低強度紛争」といった言葉がマスメディアサブカルチャーの中でも浸透していく。
また、中国ロシアは、「対テロ作戦」を旧来から地域内に抱えているイスラム民族の弾圧へと利用していった。アルカイダからテロ攻撃を受けていた先進各でも、イスラムフォビア=イスラム教への差別意識がじわりじわり広がっていき、アメリカでは「愛国者法」と呼ばれるこれまでは違法とされた捜拷問が合法化されて、それにより内外のイスラム教徒の弾圧・排除へと繋がっていく。メディアも基本的には政府の方針に異を唱えることはなく、市民社会でもイスラムフォビアは広まっていった。

社会では、アメリカ合衆国ジョージブッシュ大統領が、「悪の枢軸」と名しした、イラクイラン北朝鮮が、経済制裁や武行使の対となり、これに反発して核開発・ミサイル開発をイラン北朝鮮が進めることとなる。


経済的なパラダイムシフトとリーマンショック


世界経済は、1990年代から続いていたインターネットバブルIT業界の急成長によりこれまでの経済理論を塗り替えるのではないかという期待から「ニューエコノミー論」が持て囃されるなどしていた。かねてから懸念されていたコンピュータの誤作動が起きるのではないかという「2000年問題」も杞憂に終わった。しかし、2000年ITバブル崩壊やエンロン事件で一旦は好気のムードが萎んだ。しかし、ITバブル崩壊の震源地だったアメリカは、FRB(連邦準備制度理事会)が低利政策を推し進め、余りを作るなどをした結果、気回復をすんなりした。また全体的には原油をはじめとした資価格の右肩上がり、ブラジルロシア中国インドの4カプラス南アフリカを加えた、BRICsを代表とする新経済が堅調に推移していった結果リーマンショック前まで、5を越える高い世界経済GDP成長率を達成した。特に新は8を達成するなど、90年代アメリカ経済一色から中国マネーを始め新マネーが世界を席巻するのでは、と言われる空気であった。そのため2008年リーマンショックは、当事アメリカを始め先進国ダメージを与えたが、「新大丈夫なのでは」というデカップリング論も出るなど、世界経済自体に強気のムードがあった。しかし、この見方は中国はある程度財政政策をすぐさま打ち出しある程度乗り切った感があったものの、ロシアは原油価格急落により、石油依存体制が露わになり、ブラジルリーマンショック以降ゼロ成長になるなど、全体的に不安定化の様相を呈していった。
EUでは、2009年ギリシャで政権交代がなされた結果発覚した、巨額の財政赤字と原因となった粉飾決算という政治的事件が発生した。結果翌2010年から欧州債務危機(ソブリリスクユーロ危機)が政治的に取り沙汰されるなど、EU自体の課題と限界が露呈していくことになる。
エネルギー市場リーマンショック以降、かなりの混乱を見せ、単に原油価格の変動だけでなく、新エネルギーとしてバイオエタノールが注された結果、穀物価格が高騰するなど、実経済でも混乱が生じた。結果として、貧困では、とうもろこしなど食が手に入れにくくなるなど、単なる経済危機以上の影が生じた。

全体的に、この間の世界は、グローバリズム=世界の一体化と先進国内の格差社会化が進んでいる。これは、基本的に1945年以降の“第二次世界大戦を引き起こした保護義への反”というスローガンから「自由貿易は経済成長を促進する」という半分事実で半分イデオロギーの経済政策が常識化したことと、インターネット化や各経済連携協定(関税・貿易自由化)締結などが相まって、技術的にも政治的にも地域や世界の一体化が結実したことに端を発している。結果として、先進各では、ヒト・モノ・カネが行き来自由になり、雇用の流動化や投資の自由化となっていった。グローバリズムは一面で、各経済成長を支えた一方で、情報ヒトの行き来が自由化したことにより、リスク世界化させていった。テロの脅威は典的であるが、ある地域で起きた事が他の地域でも起きうるという事を市民メディアを通して共有することで、治安立法を各政府がしやすくなる状況となった。ただしこの心配は必ずしも杞憂ではなく、航空機世界中を結ぶことで、SARSや新鳥インフルエンザウイルスその他土病とされていた細菌・ウイルスを原因とする病が、簡単に世界化していっている。情報面では、インターネット技術の普及と共にインターネットを通したクラキングやハッキングによる情報流出・窃盗が徐々に顕在化していく。「新自由主義」、「グローバリズム」の記事も参照。

グローバリズムが単に自由化だけでなく、格差社会化を生んだのは、推進側の「自由義の不徹底」という事以上に、自由義が進んだ裏で、企業経営者がその地位を手放さないまま自己に都合がいい規制緩和や雇用切りをしやすくする「労働市場革」をしたことにより、雇用の調整弁として非正規雇用が割合として高まっていったことにある。これと呼応する形で、投資マネーに敏感に企業も反応し、「資本主義」と揶揄されるような、とにかく短期利益や期待先行の経営計画、従業員の福や賃上昇よりも、自己資本率(ROE)を優先させるような“経済革”が断行されていった。新自由主義とも称されるこの流れは、1980年代に先進各の“福病”や経済停滞への対処として始まったが、2000年代経済自由化の流れは、各横断的にマネーが流動していった結果、一の財政融政策だけでは対応できないほど、投資銀行パワーが影拡大したことに段階の違いが見られる。この流れは、その後の2010年代も同じ、もしくはそれ以上とも言える。
格差社会化・中間層の階層分化は、「今日より明日明日より明後日」という単純な変化志向を削ぎ、保守的・現状維持的な志向を増やす結果となっている。これは、最リタイアをした親世代よりその親世代の背中を見ている子世代に強く、「とにかく今以上に悪くならないように」と同じ者同士で固まるナショナリズムポピュリズムとなって現れている。変化や多様性といった価値よりも、まずはが身の安全や経済的利益という欲望は、2000年代経済危機社会変化とは切っても切り離せない。

文化的には、インターネットが高速ブロードバンド・常時接続化が一般化し、YouTubeといった動画共有サービスが誕生した。他にもFacebookMySpaceTwitterWikipediaといった現在まで普及拡大するインターネットサービスが続々と登場し、インターネット接続としてのPCの普及、その後のスマートフォンの誕生と、ネット社会日常化していった。特に音楽は、iTunesをはじめとしてクラウドサービス利用が常識となり、CDといったディスクメディアを質的にも上回るなど過去のものとしていった。iTunesを展開したApple社は、iPhoneMacと合わせて世界観を演出する事により成功を収め、これまでは機や価格といった面がビジネス的に重視されていたが、イメージや価値の創出が2000年代以降はより強く打ち出されていくことになる。


日本における2000年代



新自由主義の浸透と格差社会化



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最終更新日: 18/03/26 20:46
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