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8.8cm FlaK


ヨミ: ハチテンハチセンチフラック
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33カキコ!

高射砲戦車を撃つのは卑怯ですな」

尋問を受けていたイギリス戦車兵は、彼らを負かした88mm高射砲を憎らしげに見ながらこう言った。

それを聞いたドイツ軍砲兵が、この意味を訳してもらうと勢い込んで口を挟んだ。

「だったら88mm高射砲以外では撃ち抜けない装甲の戦車で攻めて来るのはそれ以上に卑怯だ!」

私はこれを聞いて微笑した……。

1942年6月 北アフリカ ハルファ頂上付近 208高地にて

エルヴィン・ロンメル副官 ハインツ・シュミット中尉

8.8cm FlaKとは、第二次世界大戦の前からドイツ軍が開発および運用した高射砲である。

としてはもちろん対戦車としても高い威を発揮した本ドイツを代表する兵器の一つであり、高射砲の代名詞ともいえる。

ドイツ軍将兵からは「Acht-Acht(アハト・アハト、8-8の意)」と呼ばれて親しまれ、連合軍は「eighty-eight(エイティエイト)」と呼んでひどく恐れたという。

FlaKとはドイツ語高射砲を意味する「Flugabwehrkanone(フルークアプヴェアカノーネ)」の略である。

一般的に火口径を表す単位は「mm(ミリ)」を用いるが当時のドイツでは「cmセンチ)」を用いたため、当記事ではドイツでの兵器名は「cm」、日本語での兵器名は「mm」と表記する。


開発


第一次世界大戦終結後、陸上部隊にとって最大の脅威である航空機は飛躍的な進歩を遂げた。よりく、より高い場所を飛行するようになったのである。そういった航空機機関銃などの近接兵器ではとても対処できないため、長い射程を持つ高射砲世界で開発され始めていた。

ドイツではすでに1917年、すなわち第一次世界大戦中から他に先駆けて「8.8cm Kw FlaK」と呼ばれる高射砲を配備、運用していた。このスライド式尾栓、自動排莢機、全周旋回可な十字架、射撃対応など様々な特長を持っており、後の高射砲スタイルの元となった。

かしこれに替わる新高射砲の開発は、敗戦によるヴェルサイユ条約によって禁止されてしまった。そこでドイツ有数の大砲製造メーカーであるクルップ社は、関係にあったスウェーデンの火メーカーであるボフォース社と共同で秘密裏に開発を行った。

開発はボフォース社の75mm高射砲を基本とし、自向けに生産性などを良するという形が取られた。1928年に最初のである「8.8cm FlaK 18」が開発され、1931年にクルップ社の開発チームドイツに戻り本の生産を提案。そして1935年のドイツ再軍備宣言の時に採用された。


配備


陸軍とへそれぞれ配備されたが、当初ドイツでは高射砲は基本的に軍が管轄するものとなっていたため陸軍に配備された数は軍に対しおよそ4分の1程度と少ない。また陸軍に配備されたものもほとんどが「対戦車」として例外的に配備されたものであった。この場合着弾観測装置や時限信管付きの弾といった対装備は持たず、本来の高射砲としての運用はできなかった。

しかしドイツ軍の特徴である戦車部隊の集中運用において航空機による攻撃(いわゆるヤーボ)は度外視できず、やがて陸軍直属の高射砲部隊も編成されるようになった。

の牽引にはに8tハーフトラックSd.Kfz.7」が使用された。


実戦


88mm高射砲は第二次世界大戦の前戦と言えるスペイン内戦から、東部戦線から西部戦線、そして北アフリカ戦線までありとあらゆる地域で対、そして対戦車として終戦まで覚ましい活躍を見せた。

ここでは88mm高射砲の名を後世に残す戦いとなり、冒頭のエピソードが生まれたイギリス軍の一大反攻作戦バトルアクス」での例を挙げる。

 

イギリス軍は当時イタリア領であったリビアのトブルクを占領した。しかしイタリア軍支援に来た、かの名将エルヴィン・ロンメル率いるドイツアフリカ軍団がこれを包囲した。その後、ドイツ軍ハルファ及びその付近の208高地(ハフィッド高地)に地を構えた。

イギリス軍はこの包囲網を解くため、1941年6月15日に「バトルアクス(戦作戦」を発動。ハルファに第4インド師団、208高地に第7機甲師団がそれぞれ進撃した。

各師団が装備していた戦車のうち兵士が最も信頼していたのは、「砂漠女王」ことマチルダII歩兵戦車であった。歩兵戦車歩兵に随伴する対戦車として速度を犠牲に防御を向上させた、いわば「歩兵」といえるイギリス軍独自の戦車種である。マチルダIIは78mmの前面装甲を持ち、これまでII号戦車20mm機関、牽引式の37mm対戦車、そしてIII号戦車50mm戦車撃を全くと言っていいほど受け付けなかった。

イギリス戦車兵は絶対の自信を持って進撃を開始した。ところがドイツ軍地まで残り1000mまで迫ったその間、イギリス戦車兵は全く予想外の事態に陥る。彼らの自信のもとであった装甲が、全なまでに貫かれたのである。マチルダ戦車兵の心に大きなをあけたその正体は、ドイツ軍の88mm高射砲に他ならなかった。

 

作戦開始からわずか3日でイギリス軍は撤退。64台の歩兵戦車と27台の巡航戦車の合計91両もの損失を出した。このうちの大半が88mm高射砲によるものであった。しかし戦場に配備されていた88mm高射砲はハルファに5台、208高地に4台の合計わずか9台であった。

88mm高射砲は1500mで100mmの装甲を貫する、大戦初期の他兵器にない凄まじい威を持っていた。さらに1分間に15発以上の発射を持つため、4台なら毎1発この強弾を打ち込むことができた。この性の高さと、巧みな戦術で本を最大限に引き出したロンメルの采配がドイツ軍の勝因であろう。

一方、イギリス側にも敗因はあった。まず、砂漠特有の陽炎により遠方の視界が悪くなっており十分に接近しないと標を確認できなかった。次に、マチルダが搭載していた2ポンには対戦車用の徹甲弾しか用意されていなかった(直撃しても貫通するだけで終わってしまう)。そのため接近して機攻撃を加えるしか手立てはなかったがこれも有効とは言えなかった。ロンメルはこのことについて「Mk.II(マチルダ)は『歩兵戦車』と呼ばれているのに、敵歩兵に撃つべき榴弾が用意されていないのは何故だろうか。実に興味深いものだ」というコメントをした。

一応、イギリス軍は榴弾搭載の戦車も用意していた。当時のイギリス戦車の大半はこの2ポンを搭載していたため、それとは別に95mm榴弾を搭載した近接支援タイプである「CSclose supportクローズサポート)」もあわせて生産していた。しかしバトルアクス作戦時にはこのCSが配備されていなかったのである。

 

その後の作戦イギリス軍はM3グラント中戦車を投入した。この車両は強な榴弾が発射できる75mmを持っていたが、3m以上もある高の高さが災いして88mm高射砲に先に発見され撃破されてしまった。

最後にはアメリカ傑作戦車であるM4シャーマン戦車を大量に投入してようやくドイツ軍を北アフリカから駆逐した。しかし先述したとおりイギリス側が受けた損も決して少なくはなく、この88mm高射砲の出現によりイギリス軍は予想以上に苦戦させられたことは紛れもない事実である。


バリエーション


8.8cm FlaK 18(88mm高射砲18
一番最初の。本来、下2桁の「18」は「1918年」に生産もしくは配備されたことをすのだが、実際に配備されたのはドイツが再軍備宣言を行った1935年からであった。これは当時のドイツが先述のヴェルサイユ条約に抵触させないため「第一次世界大戦からすでに 生産開始されていた」という欺瞞工作のためのものであった。この手法は本に限らず様々な兵器で用いられた。
1936年のスペイン内戦に投入され本来の対としてはもちろんのこと、I号戦車II号戦車体であった当時のドイツ軍重な対戦車としてそのを存分に振るった。
の搬送に使用されていたSonderanhanger(ソンダーアンハンガー、「特殊トレーラー」の意)201で、前後の向きが決まっており後ろだけ二重輪になっていた。
8.8cm FlaK 36(88mm高射砲36
1936年から生産開始された、本シリーズの本命。8.8cm FlaK 18の実戦経験を基にさまざまな良が行われた。
身を「ライフルチューブ」「身内筒」「身外筒」の3分割としたことによる寿命の延長
・発射方向の転換に電を用いることによる、素向と砲兵の負担軽減
・向きの前後に関係なく取り付けができる二重タイプトレーラーSonderanhanger 202の開発
こちらはフランス侵攻作戦から使用され、当時ドイツ軍を悪戦苦闘させていたルノーB1戦車などの堅固なフランス戦車を次々と撃破した。
その後はさらに直接照準器や新徹甲弾の開発による対戦車のさらなる向上が図られた。
8.8cm FlaK 37(88mm高射砲37
当時の最新鋭アナログコンピューターコマンドレーテ」という新たな着弾観測装置を搭載し、対任務に特化させたタイプ。もちろん徹甲弾さえあれば対戦車戦闘も可である。
以上3種の身にはそれぞれ互換性があり、このタイプFlaK 18の一体身が使用されることもあった。
8.8cm FlaK 41(88mm高射砲41
56口径から74口径となり、それに合わせて各所の改造が行われたタイプ。本の持つ威は当時ドイツ軍高射砲への装備のために開発した最大径の高射砲である12.8cm FlaK 40に匹敵する。
戦車戦闘を考慮した設計のため、全高が低めにされていることも特徴となっている。
下2桁が41なので1941年からの生産であるはずだが、実際は何らかの理由で遅延が発生し1942年の末からであった。威は非常に高かったものの動作不良が多く、終戦までの生産数は上記3種が20000門以上に対しわずか550門程度であった。

派生型


8.8cm KwK 36(88mm戦車36
の優れたが注され開発に至った戦車ドイツ傑作戦車ティーガーI」に搭載された。
8.8cm PaK 43(88mm対戦車43
8.8cm FlaK 41を元に再設計が行われた対戦車。74口径から71口径となった。
従来のドイツ製対戦車のような輪付きの限定旋回式ではなく、独立させ高射砲のような架を持たせたことで全周旋回を可とした。
また、全高を低くしたことによる被発見率の低下という対戦車ならではのコンセプトである「隠蔽の向上」を図りつつ、貫1500mで170mm以上と大幅に強化された。
しかし重量が5tと対戦車としては重すぎた(ワンランク下の7.5cm PaK 40が1.4t程度)。
そのため戦況の変化も手伝ってい段階で自走砲化が進み、それぞれの車両にあったタイプも開発された。
PaK 43/1がナースホルン戦車自走砲PaK 43/2がエレファント駆逐戦車PaK 43/3がヤークトパンター駆逐戦車にそれぞれ搭載された。
さらに大戦末期には特製のシャーシに「乗せただけ」という感じのWaffentrager(ヴァッフェントレーガー、「武器運搬の意」)も開発され少数ながら実戦に参加した。
8.8cm KwK 43(88mm戦車43
上記の8.8cm PaK 43と並行して開発が行われた戦車。「ケーニッヒスティーガーキングタイガー)」こと「ティーガーII」重戦車に搭載された。

本砲を搭載した自走高射砲


名称中の「auf」は英語で「on」に相当する。


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最終更新日: 16/02/21 20:45
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