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正式名称Bayerische Motoren Werke AG(バイエリッシェ・モトーレン・ヴェルケ・アーゲー)バイエルンエンジン製造工場はドイツのバイエルン州ミュンヘンを拠点とし、高級車メーカーとしては世界最大規模を誇る。
元々航空機向けエンジンの製造メーカーだったが第一次世界大戦後、これらが規制され、航空機エンジンをそのまま2輪車に応用するような形でオートバイ製造に転向。4輪はBMW Dixi(英国オースチン・セブンのライセンス生産)が最初。
エンブレムの円と十字は2つの説がある。1つはかつて航空機エンジンメーカーであった事に由来し、飛行機の回転するプロペラを表しているというもので、これが公式の見解とされている。一方でロゴマークの成立と飛行機事業の時系列からこの説に懐疑的な人々は多く、バイエルン王ヴィッテルスバッハ家の紋章に起源を持つ旧バイエルン王国(現在のバイエルン州)旗の青と白をデザインの観点からこのように配列したにすぎない、とする説もある。
発音はドイツ語で「ベー・エム・ヴェー」であるが一般的に日本では「ビー・エム・ダブリュー」と英語読みで呼ばれる。
傘下のブランドに、イギリスのロールス・ロイスとMINIがある。
自動車、バイク共に斬新なかつ新しい機構・機能、新機軸を良く取り入れる傾向がある。
デザインは例外を除き全てキドニー(腎臓)グリルと呼ばれる独特な形状のグリルとそれを中心とした斬新なデザインが特徴。バイクほどではないが先進的な機構を多く取り入れる傾向もあり、デザイナーのワルノリを感じさせるコンセプトカーも多数製作されている。多くの他社がスペースで有利なV6に転換する中で直列6気筒エンジンに強いこだわりを持つことでも知られ、その性能・サウンドは「シルキーシックス」と呼ばれ数多くの愛好家が存在する。高級車として世界的な人気は高く、2005~2015年まで11年連続で高級車販売台数首位を守っていた。
傾向は全体的にスポーティであり、駆動方式も殆どがFRもしくは4WD。ハッチバックでさえもFRというこだわりっぷり。
しかし調査の結果「エントリーモデルであるF20・1シリーズを購入しているオーナーの80%は自分の車をFFと思い込んでいた」という衝撃の結果が明らかになり、FFの研究開発も行われるようになった。2シリーズのアクティブツアラー(F45)及びグランツアラー(F46)、MINI等にその技術は生かされている。
BMWのスポーツモデルはM社、エム・有限責任会社(M GmbH )が開発、同社が開発したモデルには必ず「M」と付く(例:M3,X5M)。なお、Mスポーツといったグレードもあるがこちらは通常モデルとMシリーズの中間の立ち位置とのこと。M3、M5の完成度は非常に高く、世界中のメーカーが同クラスのスポーツセダンのベンチマークとしている。
レースでも耐久やツーリングカー、GTで幅広く活躍している。ル・マンでは1999年に総合優勝を達成、WTCCでは3回のダブルタイトルを獲得。2012年からはDTM(ドイツツーリングカー選手権)に18年ぶりに復帰し、2016年までで各3回のドライバーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。F1では1980~1987年、2000~2005年までエンジン供給し19勝、2006年~2009年にはBMWザウバーとしてワークス参戦して1勝を挙げている。
2018年にはWECのLM-GTEプロクラスとフォーミュラEにワークス参戦することが決定している。
他社のバイクに比べテレレバーやデュオレバー、パラレバー等の独特な機構を採用することが多く、また四輪ではもはや当たり前となったABSを早くから量産車に装着するなど安全性に対するこだわりも強い。ちなみにABSはABS→ABS2→I-ABS→I-ABS2と年々進歩を続けている。I-ABSは油圧サーボがウゼェと思ったやつは後で体育館裏な。
1917年6月2日、バイエルンに本社を移転し、社名をRMWから改名したBMWはドイツの第一次世界大戦の敗戦により当時生産していた航空機の製造が規制され。その技術をバイクに生かし、オートバイの製造に目を向け、着手することになった。
BMWとしての自動二輪第1号車は1923年12月に生産が開始されたR32であり、今日まで受け継がれることとなる水平対向エンジン(ボクサーツイン)はこの第1号車より採用されている。そのためBMW=ボクサーツインという意識がユーザーの間では根強く(特に日本市場)、並列2気筒エンジンのFシリーズや直4のKシリーズがなかなか売れないよママンとディーラーの中の人が毎夜枕を濡らしているとかいないとか。
2000年に乗車用ヘルメットなしでの安全性を確立させた画期的なスクーターのC1(日本市場未導入)を爆誕させたり、2011年には四輪譲りの直6エンジン搭載のK1600GTLとK1600GTをデビューさせたり、2012年にはまさかのビッグスクーターC600SPORTとC650GTを投入したり、意外にチャレンジフルなモデル展開をする。そして90周年の節目を迎える2013年には今まで空冷一筋だった伝統のボクサーエンジンがついに水冷化! ちなみに水冷R1200GSの日本市場導入は・・・すまん、まだ発表できないんだお。
MotoGPには参戦したことは無く、市販車両を改造するWSBKやWSSでもタイトルを獲ったことは無いが、市販車ほぼ無改造のスーパーストックだと強さを発揮していることから、市販車の素性はいいようだ。
BMWは元々、RMW(Rapp Motoren Werke)ラップエンジン製造会社という航空機・船舶用エンジンの製造会社にBFW(Bayerische Flugzeug Werke)バイエルン航空機製造会社が合併、航空機用のエンジンを提供・製造してきた。
1926年にBFW社として分離(後のメッサーシュミット)するがその後、第二次世界大戦時も航空機向けエンジンを作り続け、そのエンジンは「フォッケウルフFw190」に搭載された。世界初のジェット戦闘機「メッサーシュミットMe262」向けのジェットエンジンの開発なども手がけるが、こちらは採用されず「ハインケルHe162」に積まれる。
▲ここで、BMWの歴史について書いてみよう。
と言っても、同社は非常に複雑な紆余曲折を経た会社である。いくつかの企業を買収して事業の手を広げたかと思えば、第二次世界大戦敗戦のあおりで工場が東側の手にわたってしまい、殆ど一からやり直す羽目になったりしている。
編集者の拙い文ではとても全貌は伝えきれないと思うので、興味をもった読者は是非とも専門書を紐解いて欲しい。
1913年にミュンヘン郊外で航空機や船舶のエンジンを作る会社、ラップ・モトーレン・ヴェルケが設立された。当初は近所の航空機メーカーにエンジンを卸していたが、やがて大手航空機メーカーのアウストロ・ダイムラー社の下請けをすることになり、急速に成長していくことになる。この頃にBMWに名が改まり、例のエンブレムが作られたという。
エンジニアの一人、マックス・エルンスト・フリッツは、タイプIIIaと言うエンジンを開発する。これは、直列6気筒、シリンダーヘッド上の1本のカムシャフトでバルブを駆動する、つまりSOHCエンジンであった。当時としては極めて先進的なメカニズムだったのである。
しかし、ドイツは第一次世界大戦に敗北。飛行機を作れなくってしまった。やむなくトラック用のエンジンを作ったりして食いつなぎ、やがてフリッツが水平対向2気筒のエンジンを作り上げる。これは最初は他の会社のモーターサイクルに搭載されたが、エンジンを横に積んだ(チェーン駆動なら当然であるが)ため、バランスや冷却性が劣悪であり、全然売れなかった。そこで逆に考えるんだとばかりにエンジンを縦積みし、シャフトが車輪に対して垂直になるのは傘歯車で方向を変えることで解決。こうして、上記のR32モーターサイクルが誕生。今日まで続くフラットツインのBMWモーターサイクルの基礎となった。
今度は四輪車の世界に踏み込もうとしたBMW。そこへ渡りに船とばかりにディクシー・アウトモビル・ディルケという会社の身売り話が持ち上がった。ディクシーは大衆車オースチン・セブンのライセンス生産を行っており、アイゼナハという町に工場があった。BMWはこれをそのまま受け継いで、いよいよ1928年に四輪車の市場に打って出た。やがて初のオリジナルモデル、303を開発。この車から伝統のキドニーグリルがはじまった。そして直列6気筒、FRというレイアウトもである。
1936年、突如BMWは一台のプロトタイプスポーツカーを作り、ニュルブルクリンクサーキットのレースにデビューさせた。ブッチギリで勝利を収めたその車は話題沸騰となり、やがて328として翌年に市販されることになる。その直列6気筒エンジンは、バルブ駆動こそOHVながら、バルブ配置をクロスフロー型として非常に高性能であった。
一方で、二輪車の方でもR32に続くモデルを次々と生み出していった。1926年にはR32の8.5psから12psに大幅パワアーップしたR42が作られ、さらなる好評を得る。これらをベースにエンジンをサイドバルブからOHVにチューンした初のレーシングバイク、R37、R47も作られた。1928年には750ccモデルのR62、翌年にはR16、R11を販売した。当時、世界は経済恐慌のただ中にあったが、性能面で定評を得たBMWのモーターサイクルは堅実に売れ続けた。
そして、1935年にはR12が登場。これはモーターサイクルの世界に画期的な変革をもたらしたモデルであった。それというのも、前輪を支えるサスペンションに、スプリングを内蔵したテレスコピック・フォークを初めて採用したのである。それまでの車軸をリンクで釣って、前輪の上に取り付けた板バネを逆U型のアームで駆動するという旧式なサスペンションに比べて、格段に軽量化と路面追従性と操縦性の向上を両立してみせたこの機構は、現代に至るもモーターサイクルの前輪サスペンションの大半で採用され続けている。このモデルは、他の部分はR11の発展型であったため安価ですみ、1942年までに36,000台も売れるベストセラーとなった。
しかし、軍拡に突き進むドイツの国内情勢はすでに、スポーツバイクの生産を許さない方向に傾きつつあった。航空機エンジンの生産にも復帰していたBMWはやがて戦争の暗雲が垂れこめる中、軍需車両や航空機エンジンを作り続ける。中でも、1941年に作られた軍用サイドカーのR75は、側車側の車輪にも駆動力を与える機構によって悪路の走破性に優れ、3輪ともタイヤのサイズを統一したり、砂漠での耐久性を高めるためにエアクリーナーをタンクの上に配置、バッテリーもなくして戦地での運用に適する機構にするなど、極めて実用性と整備性に優れた設計になっていた。
だが、やがて第二次世界大戦が起こり、御存知の通りドイツはまたも敗北したのである。