グラスワンダー 単語

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グラスワンダー

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99年、宝塚記念

標的はただ一頭、同期ダービーだった。

今行くか。いや、まだか。
――いや、今か。

の判断で未来を変えた「未知なる栗毛」。そのの名は…

JRA 2012年宝塚記念CMより

グラスワンダーとは、1995年生まれの元競走馬種牡馬
日本競馬史に残る群雄割拠時代・1998年クラシック世代においてグランプリ三連覇を達成。3歳(旧表記)時の圧倒的な強さからマルゼンスキー再来」「栗毛怪物と、そして幾度の故障を経験しながら復活を遂げた姿から不死鳥と呼ばれた名である。

な勝ち
1997:朝日杯3歳ステークス(GI)、京成杯3歳ステークス(GIII)
1998:有馬記念(GI)
1999:宝塚記念(GI)、有馬記念(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)、毎日王冠(GII)

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
グラスワンダー(ウマ娘)」を参照して下さい。

※当項では齢を旧表記(現表記+1歳)で統一して記載します※

概要

Silver Hawk Ameriflora Danzigという血統。アメリカ生まれである。

シルヴァーホークイギリスアイルランドで走り、アイリッシュダービーG1)2着などを含む8戦3勝の戦績で種牡馬入り。グラスワンダー以前の産駒としてはホークスター(89年ジャパンカップ5着)が立つ程度で、自身の評価はそれほど高くなかった。(グラスワンダーの)ロベルト英ダービーにして、ブリガディアジェラードの16連勝を阻んだ20世紀欧州競馬を代表するヒール種牡馬としてもロベルト系血統を築いており、日本でもリアルシャダイブライアンズタイムが結果を残している。
アメリフローラは未出走で繁殖入り。伯母にそれぞれアメリカで複数の重賞を勝ったグレイスフルダービーやトリビュレーションがいた。総じて、やや長距離系の血が入っているように思われる。

アメリフローラの95」は1996年9月キーランド・セプテンバーセールに上場された。ここで本を見初めた調教師尾形は、同行していた半沢有限会社社長伊東純一に購入を進言。ゴドルフィンエージェントとの競り合いの末に25万ドルで落札し、日本に連れてきたのであった。
外国産馬は当時、クラシック競走と天皇賞の出走権が与えられておらず、そのため買われて来るは仕上がりの短距離血統が多かったのだが、そういう潮の中ではしい買い物であった。尾形調教師は「いい買い物だった。走るだから見ていてくれ」と記者った。実際、育成調教を行ったノーザンファーム空港牧場でもその動きはすぐ評判になったという。

競走馬名は馬主半澤信彌冠名「グラス」に、伊東社長がセリで感じた「ワンダフルな印」から「ワンダー」を加え、「グラスワンダー」となった(なお半沢(有)は半澤オーナー双子半澤吉四郎が営んでいた馬主業を引き継ぐために建てられた法人で、冠名は吉四郎氏所有馬の代表格で「TTG」の「の刺客」として1970年代後半に活躍した名グリーングラスに由来している)。

1997年:3歳

1997年4月、グラスワンダーは美浦トレーニングセンター尾形厩舎へ入厩。騎手的場均に決まった。「外国産馬で、ちょっと面がいるんだが、乗るか?」と尾形師に誘われた的場騎手は、調教での動きに「今までにもいろいろな3歳に乗ってきたが、これはそのなかでもまぎれもなくトップクラスといえる1頭だ」と確信したという。

9月13日中山競馬場新馬戦では単勝1.5倍の1番人気を背負い、ろくにも使わないのに2着に3身差をつけて勝利くも「いやいや、こいつはもしかすると怪物やで」という競馬ファンのいたるところで上がり始めた。続くアイビーステークスでは、新馬戦同様にを使わず、2着に5身差で連勝。3戦京成杯3歳ステークスも、やはりを使うことなく2着に6身差で重賞勝利。最終直線では的場騎手が何度か後ろを振り向く余裕の走りっぷりだった。

しかし、全競馬ファンの口がいよいよ開いて塞がらなくなったのは、朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)の勝ちっぷりだった。

さぁグラスワンダーが、くも四番手! 外を突いて、さぁ!どこまで千切るんだグラスワンダー!?

やっぱり強いグラスワンダー! これが新しい「栗毛怪物」!
勝ちタイムがなんと! 1分!33!6! 見たかこのタイム
マルゼンスキー再来です! 勝ちタイム1分336!レコードタイム

フジテレビ 三宅正治アナウンサー

逃げマウントアラタが作り出したハイペースの中、第3コーナー過ぎでグラスワンダーが外をマクって上がっていくと、まだ先頭に立ってすらいないのに三宅アナが「どこまで千切るんだ」と実況する始末。そして直線を向くや先に抜け出していたマイネルラヴ(2着。後のスプリンターズステークスである)を並ぶ間もなく交わし、それどころか2身半も突き放し、圧倒的な差を見せつけて圧勝・勝した。勝ち時計の1:33.6は中山1600mの3歳レコード。しかも良発表とはいえ湿った馬場で……。

三宅アナが発したマルゼンスキー再来という賛辞は、現役時代のマルゼンスキーを見ていた関係者からも異口同音に発せられたもので、「競馬神様」こと評論家大川次郎も「ついに出てきたね、マルゼンスキー級が」とっている。 持込でさえしかったマルゼンスキーの時代と異なり、1990年代半ばから後半は「強いマル外」が内だけで争われるクラシック路線の存在意義を問うほどになっていたが、それでもこのように称された外国産馬はグラスワンダーが初めてであった。普段は控えめな的場騎手も、朝日杯後のインタビューでは「とんでもない怪物」の名前を挙げてグラスワンダーの素質を賞賛していた。「このまま順調にいってくれさえすれば……、来年にはスピードワールドのような大物になるかもしれない」……そう、当時の的場騎手の中ではスピードワールドの評価が凄く高かったのである。

この年の8月マルゼンスキーが亡くなっていたのは、何かの巡り会わせだったのか。競馬ファンは「(クラシックへの出走権はないけれど)来年はこのの独壇場になるな……」と、もが思ったものである。

Wonder Boy

その日、私たちは
歴史的な間を
確かに撃した。
それほど速かった。
ひたすら強かった。

この若き俊傑なら
ライバル
行く手を阻まれても
さらなる驚きを
積み重ねていくだろう。

JRA「名馬の肖像」グラスワンダーexit

1998年:4歳

1月JRA賞・最優秀3歳に選出。年度代表馬投票においても10票を獲得していた。3歳(現2歳)が年度代表馬投票されるというのはほとんどなく、実際にこれ以降も票を得た3歳(現2歳)はいない。

ところが、3月に右後脚の骨折が発覚。空港牧場へ送り返されることになり、シーズンは全休。標にしていたNHKマイルカップタイトルは、こちらも外国産馬であるエルコンドルパサーが獲得することになった。奇しくもエルコンドルパサー上は、グラスワンダーと同じ的場騎手だった。的場騎手は「グラスワンダーとも甲つけがたいほど素晴らしい同じレースを使ってほしくないし、身体が2つほしい」と漏らしている。

8月骨折が癒えたグラスワンダーは美浦トレセンへ帰厩。復帰戦は古が相手となる10月毎日王冠。だがここで一つの問題が発生した。エルコンドルパサー営も毎日王冠への出走を表明したため、的場騎手はどちらに騎乗するか、選択を強いられることになったのだ。

グラスワンダーは負けに加えて、右後脚をかばっていたことで左前脚の膜炎まで発症しており、尾形師すらも「あとは君が決めてくれ」と、遠回しに「理に乗らなくてもいい」と告げるほどに低調だった。しかしそれでも的場騎手は3週間悩みに悩んだ。現時点での差は認識しているが、今後を考えれば……。

「どっちとも言えないくらい、どっちも走る。どっちって分かれば、答えは簡単なんだ。どちらが凄いか分からないから辛いんだ」

最終的に、的場騎手はグラスワンダーを選んだ。

98年毎日王冠―「史上最高のGII」―

この年の毎日王冠は、グラスワンダーとエルコンドルパサー、2頭の外国産馬に加え、宝塚記念を含めて5連勝中、「史上最速の逃げ」との呼びも高かったサイレンススズカが出走した。後から考えてもの顔合わせだが、当時の競馬ファンにとっても実に興味深い対決で、当日はGIIだというのにGI並みのお客さんが府中に詰め掛けたものである。もっともこ怪物たちと走る他営にとってはたまったものではなく、回避が続出してわずか9頭立てとなったが。

1.4倍の圧倒的一番人気は当然、サイレンススズカ。グラスワンダーは単勝3.7倍の2番人気エルコンドルパサーは5.3倍の3番人気。「的場が選んだ」という評判がこの人気を作っていたが、やはり本調子とはいかず、尾形師は敗戦を覚悟していた。それでも「同じ負けるにしても納得のいく負け方であってほしい」と、的場騎手には勝負を仕掛けるように示を出した。

的場騎手は第3コーナーで息を入れたサイレンススズカにグラスワンダー得意のマクリで並びかけ、叩きあいに持ち込もうとする。しかし再加速を始めたサイレンススズカに追いすがるは、グラスワンダーには残されていなかった。終始先頭を駆け抜けたサイレンススズカから2身半差の2着に入ったのはエルコンドルパサー。グラスワンダーはそこから、更に約6身離された5着に終わった。
エルコンドルパサー、そしてサイレンススズカとの対決は、これが最初で最後となった。この後、サイレンススズカ天皇賞(秋)予後不良となり、再戦の機会は永遠に失われる。


ジャパンカップ出走を見据え、次走にアルゼンチン共和国杯(GII)を選んで必勝を期すグラスワンダー営。3歳にはありえない59kgというトップハンデを背負わされ、1番人気とはいえ単勝オッズは3.0倍に留まった。レースでは、コーナーで(いつものように)マクリ気味に先頭集団に並びかけたまではよかったが、直線では失速、予想外の6着に敗れてしまう。

的場騎手は「まだ本当の状態じゃない」とをかばったが、尾形師は相当なショックを受けた。当時は「3歳時にめっちゃ強く、その後はさっぱり」という外国産馬の例がいくつかあり、グラスワンダーもそうなのではないかと恐れたのだ。競馬ファンにも「ああ、グラス熟だったのね」とあっさり見切ってしまう人が多かったそうな。

結局、JCは回避。ここを勝利したのは因縁の外同期エルコンドルパサーであった。「的場は選択を間違えた」と競馬ファンも出始めていた。半澤オーナーは自分のを選んでくれた的場騎手に申し訳なかったという。

98年有馬記念―栗毛の怪物、立つ―

選ばれた

歴戦のジョッキーが選んだのは、骨折した3歳チャンピオンだった。
傷は癒えた。しかし、走りを取り戻せない日々が続く。
そして迎えた、ドリームレース。1年ぶりに点火されたターボエンジン爆発した。
グラスワンダーは、のように勝ち、のようなレースを見せる。
7年ぶりにレコード更新した朝日杯3歳ステークス
外国産馬初の優勝復活有馬記念
現役最強の座を争い、を見せつけたドリームレース宝塚記念
驚異の爆発を持つ夢、グラスワンダー。いまだその底を見たものはいない。

JRA「ヒーロー列伝」No.47 グラスワンダーexit

グラスワンダーは有馬記念ファン投票14位に選出され、出走が決定した。営は年末のドリームレースに向けて、やれることは何でもやった。グラスワンダーには針が打たれ、下しが飲まされた。これらの何が効いたのかは分からないが、最終調教でグラスワンダーの調子はみるみる向上していった。尾形師は後に「って1日、2日でこれほど変わるものなのかと思った」と振り返っている。ただ、的場騎手を連打してグラスワンダーを鼓舞している様子は、かえって他営に「あのも、もう終わりかな……」と思わせる結果となった。

調教師太郎スポーツ新聞体評価で、グラスワンダーに出走一の「10点満点」を出した。その評価は正しく、レース当日にパドックに現れたグラスワンダーの体は全にできあがっていた。たるんでいた後膝(あとひざ)の周りは引き締まり、トモははち切れんばかりだった。それでもの低調はファン曇らせており、グラスワンダーは当日4番人気に留まる。順番だけ聞くとそう悪くないように思えるが、オッズは3番人気メジロブライトの5.3倍から大きく離された14.5倍だった。
この年は当年のダービースペシャルウィークや、エルコンドルパサーは出走を見送ったが、それでもグラスワンダー含めて8頭のGIイナーが集った。人気上位はスペシャルウィークを破って2冠を達成したセイウンスカイ、今回が引退レースの女エアグルーヴ、そして春の天皇賞メジロブライトだった。

だが、このレースでグラスワンダーは見事な復活を遂げる。単独で逃げセイウンスカイを、グラスワンダーは中団で追走。そして第3コーナーで進出し、残り200mで抜け出すと、メジロブライトの猛追を半身差でしのぎ切り、朝日杯以来1年ぶりの勝利を挙げたのだった。

グラスワンダーだ!グラスワンダーだ!外の方からメジロブライト!グラスワンダー!
三歳の頂点に立ったは、四歳でも強かった!
三歳の頂点に立ったは、やはり四歳でも強かった~!
グラスワンダーです!

フジテレビ 堺正幸アナウンサー

外国産馬による有馬記念優勝は史上初である。これには正直、もが驚いた。そして「駄だという情報が多いほど走する」というグラスワンダーの法則確立したのであった。

1999年:5歳

尾形師は海外遠征にも乗り気だったが、半澤オーナー内専念を決定。3月中山記念が始動戦……になるはずだったが、筋肉痛で回避。続いて産経大阪杯が選ばれるが、最終調教後に左瞼の下に裂傷が見つかり、治療のため局部麻酔を行う必要があったため、これまた回避[1]おとなしいグラスワンダーがなぜ怪をしていたのか、不思議がった厩舎スタッフ房を総チェックしたが、結局原因はわからずじまいだった。

最終的に復帰戦は5月京王杯スプリングカップに決定。この2か間のグダグダっぷりに「駄だろ」と思う競馬ファンも多かったが、単勝2.1倍の1番人気は確保した。そして、グラスワンダーは先述の法則通りにものすごい脚で差し切り勝ちを収める。的場騎手は先頭集団を見て「なんだ、みんな止まってるじゃないか」とまで思ったという。しかもこのレース、グラスワンダーは東京の長い直線を手前を変えることなく走りきっていた。多くのファンは、ここにグラスワンダーの余を感じ取った。

6月、グラスワンダーは調教の動きもよく、営も「これまでで最高のデキ」と強気の発言。安田記念は「グラスワンダーで仕方がい」とばかりに単勝1.3倍、もちろん1番人気。しかしスタートから400m地点で落寸前となったホーリーグレイルを交わした際、スパートの合図と勘違いしてんでしまう。これが最終直線での負けに繋がり、京王杯で2着に負かしたエアジハードにきっちりお返しされ、ハナ差の2着。やっぱり法則通りなのか。前走が前走だっただけに的場騎手も相当堪えたらしく、記者に「が下手で、下手で」と漏らしたという。

99年宝塚記念―グランプリホース―

宝塚記念ファン投票では、AJCCから阪神大賞典、そして天皇賞(春)を三連勝中で絶好調のダービースペシャルウィークに次ぐ第2位く。ところが今年もグラスワンダーは負けの兆を出し、すわ回避かという状態で、営は2週間前になってぎりぎり出走を決断するような有様だった。皆さん例の法則はお忘れではありませんね?

当日の人気スペシャル1.5倍グラス2.8倍、3番人気オースミブライトが15.9倍で、全な二強対決ムードだった。レース本番、スペシャルウィークはいつも通りの4~5番手の好位につけ、グラスワンダー&的場騎手はそれをマークして追走。一方のスペシャルウィーク武豊底的にグラスワンダーを警。武騎手は辺りを見渡し、最後は自らの股間を覗き込むようにしてグラスワンダーとの距離を確認すると、第3コーナーから最終コーナーにかけてスパートをかけた。グラスワンダーも一時離されながらこれを追いかける。前脚を掻き込む特有のフォームで一頭だけ量が違うを巻き上げて猛進し、ゴール前200m付近でスペシャルウィークを捕捉、そのまま3身差をつけてゴール横を駆け抜けたのであった。

さぁ先頭はスペシャルユタカの右が飛んだ!グラスワンダー!も う 言 葉 は い ら な い の か!
二頭の一騎打ちか!グラスワンダー交わした!グラスワンダー交わした!スペシャルウィーク負けるのか!? グラスワンダー先頭だ!2頭が差を離した離した離した!グラスワンダーが先頭だ!
的場的場的場だ!やっぱり怖かった的場グラスワンダーが勝った!そして二着はスペシャル

やっぱり「強いのは強い」!強いのは強かったが、勝ったのはグラスワンダーの方だ!

関西テレビ 杉本清アナウンサー

10万人の観客から巻き起こるマトバ・コール。武騎手も、スペシャルウィーク担当の白井寿昭調教師敗を認めた。同期エルコンドルパサーの後を追って凱旋門賞遠征を計画していたスペシャルウィーク営だったが、3着ステイゴールドには7身差をつけていたとはいえ、この敗戦によって内路線に専念することになった。

この決定によって、スペシャルとグラス、2頭の優駿はもう一度火を交えることになるのである。


夏休みを挟み、シーズン初戦は再びの毎日王冠。どう考えても勝つと思われ、単勝1.2倍の1番人気に支持された。しかし最終直線で抜け出して手前を変えると、急にバタバタしだして変えた手前を戻してしまい、伸びを欠く。結果、出走中で一の重賞勝利だったメイショウオウドウの追撃を3cmハナ差でギリギリしのぐ、という何とも消化不良の辛勝となった。

この辺りで一つの疑惑が持ち上がってくる。グラスワンダーのこれまでの敗北は、全て東京競馬場の左回りコースで喫したものだった。即ち「グラスって左回りがダメなんじゃね?」疑惑である[2]。当然東京左回り開催であるジャパンカップに向け、営は左回り重点トレーニングを行うが……左筋肉痛を生じて回避。あれ、なんかデジャヴが……。

この年のJC勝者は同期スペシャルウィークだった。やっぱりこんな展開か! ついでにこのJCデーの昼休みには、欧州遠征から帰したエルコンドルパサー引退式が行われた。彼に対するリベンジの機会も、この日失われた。
4戦2勝、凱旋門賞を含む2着2回の快挙を成し遂げたエルコンドルパサー。グラスワンダーは結局海外遠征はできなかったこともあり、後々まであの98年毎日王冠の着順でエルコンドルパサーとの強弱をられる事になってしまうのである。

99年有馬記念―不死鳥―

今年もドリームレースがやってくる。人気投票結果は宝塚記念と同じく、スペシャル1位ラス2位。しかしグラスワンダーの調子は、的場騎手が「違うに乗っているのでは」と思うほどに悪かった。

当日の体重は前走から+12kgで過去最高の512kg。後膝の周りはブヨブヨしており、いかにも重かった。しかし人気は最終的に1番グラスワンダー2.8倍、2番スペシャルウィーク3.0倍。この辺りはさすがのグランプリホースの貫というものだろうか、あるいは例の法則にみんな気づいたのか。動きが硬いグラスワンダーに、的場騎手返し馬で入念に速歩を踏ませ、何とか体をほぐそうとしていた。

レースは、追込のはずのゴーイングスズカが先頭に立ってしまい、消極的な逃げを打って進んだ結果、スローペースで進行する。グラスワンダーは14頭中11番手、スペシャルウィークは最後方。的場騎手スペシャルウィークの進出をギリギリまで待って仕掛ける予定だったが、前方のツルマルツヨシの手ごたえが予想以上に良く、このままでは追いつけないと第3コーナーでの進出を決断。これが祟り、最終直線でグラスワンダーはスペシャルウィークに捕捉され、二頭は競り合いながら走。内側のテイエムオペラオーツルマルツヨシを交わし、全な横並びで決勝線になだれ込んだ。

ツルマルツヨシ!そしてグラスワンダー!外の方からスペシャル!外からスペシャル!しかしツルマルも頑っている!ツルマル頑っている!テイエムだ!テイエム来ている!ツルマルと!
そして外の方から、外の方から最強の二頭!! やっぱり最後は二頭だったぁーっ
!!

フジテレビ 堺正幸アナウンサー

写真判定が始まったが、両営関係者のほとんどが、スペシャル勝利、グラス敗北を確信していた。的場騎手はグラスワンダーを検量所に向かわせ、武騎手スペシャルウィークウイニングランに向かった。ところが、スペシャルユタカがウイナズサークル前に戻ってきたとき、写真判定が終了。掲示板の一着欄にはグラスワンダーの「7」番が点しているではないか……! ゴール間、シャッターが切られた間だけ、グラスワンダーのハナが沈み込み、4cmの差ができていたのだスタンド側から見るとグラスワンダーはスペシャルウィーク全に隠れてしまっていたため、この結果には大きなどよめきが沸いた。決勝線の横に取っていた報道カメラには勝ちが全く映っておらず、彼らも悲鳴を上げた。

確定の間、尾形師は喜びを爆発させ、そのまま隣の白井師と握手を交わした。現地で取材していた作家コラムライターの吉川良は、結果的に大恥をかいたにも関わらず、ほとんど無表情の武騎手の振る舞いに、めいた恐ろしささえ感じたという。的場騎手の方は、彼にしてはしく、表式でなりふりかまわぬ笑顔を浮かべ、ファン援に答えた。

この勝利で、グラスワンダーはスピードシンボリ(69・70年)、シンボリルドルフ(84・85)に続く史上3頭有馬記念連覇を達成。宝塚記念も入れた「三連覇」もスピードシンボリ以来に達成した。

2000年:6歳

99年の年度代表馬&最優秀5歳以上は、グランプリ連覇のグラスワンダー、海外で活躍したエルコンドルパサー秋天皇賞連覇+JC制覇のスペシャルウィークの3頭で争われた。記者投票では決まらず、選考委員会の審議の果てに選出されたのはエルコンドルパサーだったが、グラスワンダーとスペシャルウィークにも「特別賞」が与えられた。白井師は「『自競馬より他競馬の方が上』と宣言してしまったようなもん」とキレた。 井 最 強

エルコンドルパサースペシャルウィーク、そしてマイルCSを勝ったエアジハード引退したが、グラスワンダーは世紀末2000年も現役続行が決まった。この年から外国産馬にも開放された天皇賞、そして凱旋門賞への出走が計画されたが、引退した同期たちとの繁殖牝馬の奪い合いを避ける思惑もあった。

さて、この栗毛怪物下か……と思いきや、グラスワンダーは有馬走で燃え尽きたのか、2月までは尾形師が骨折を疑うほど、フラフラの歩みが治らなかった。間の悪いことに、グラスワンダーの担当厩務員は、デビュー当時からの担当だった大西美昭が定年退職したため、移籍してきた24歳の若手・佐々木に引き継がれていた。佐々木厩務員はグラスワンダーの調子がさっぱりよくならないことですっかり思い詰めてしまい、不眠症を発症。その様子は相当酷かったらしく、的場騎手も01年に「グラスワンダーも心配だが、佐々木君の心身も同じくらい心配だった」と振り返っている。

復帰戦は3月日経賞が選ばれたが、当日の体重は有馬記念の512kgから+18kgの530kg! 普段は体重を気にしない的場騎手ビビったという。それでも対抗になりそうなも見当たらず[3]、このなら不安要素があった方が走るだろうと思った人も多かったか、単勝1.3倍でガチガチの1番人気となった。しかしレースでは的場騎手の追いに応えず、得意の4クリを見せることすらできず6着。193.9倍9番人気レオリュウホウが会心の逃げ切り勝ちを収める大波乱となった。

営は春天凱旋門賞参戦を白紙化し、宝塚記念標を絞って、前戦として京王杯スプリングカップ連覇に挑んだ。20kgのダイエットに成功し、名だたる短距離マイルGIイナー(ちなみにこの中には同期キングヘイローもいた)を押しのけて1番人気に推されるが、レースでは見せ場なく過去最低の9着に沈んだ。
流石に不甲斐ない走りに的場騎手も落ち込んでおり、そんな気配を察した尾形師は、あえて何の説明もすることなくグラスワンダーから的場騎手の降を決定した。後任には、かつて的場騎手からエルコンドルパサーを託され、共に欧州を駆けた蛯名正義が招聘された。

迎えた宝塚記念。この年のファン投票結果は京都記念阪神大賞典春天を3連勝中のテイエムオペラオーが第1位、「さずにいられない」GI善戦マンステイゴールドが第2位で、グラスワンダーは第3位だった。当日オッズはテイエムオペラオー1.9倍とグラスワンダー2.8倍。昨年の有馬記念以来の対決がどうなるか注されていたが、テイエムオペラオーが危なげなく優勝した一方、グラスワンダーは最終直線で伸びを欠き、6着に終わる。
レース後、異変を感じた蛯名騎手は下。グラスワンダーはに載せられてコースを後にした。

左第三中手骨折の診断。尾形師はグラスワンダーの引退を表明する。空港牧場での療養を終えた後、有馬記念開催日の12月24日中山競馬場引退式が行われたが、足の負担を考えて(まだ骨折治していなかったらしい)的場蛯名騎手の騎乗は行われなかった。的場騎手は「グラスワンダーの本当の強さを皆さんにお見せすることができなかったのが残念でなりません」と、念そうにった。

生涯戦績は15戦9勝2着1回。足元が弱く、涼しい顔とは裏に常に故障と戦い続けただった。「こんなに強いのに、色々危なっかしいだった」「怪はしたけど、それでも見事に復活した」という思い出競馬ファンの間に残し、グランプリホースはターフを去っていった。

引退後

2001年から、社台スタリオンステーション種牡馬生活に入る。20032006年にかけてはシャトル種牡馬として南半球にも出張していた。2007年からはブリーダーズ・スタリオンステーションへ、2016年からはビッグレッドファームへ移動し、2020年まで活動を続けた。
現在は功労として余生を過ごしている。タンポポ好きなようで、彼の放牧地だけはタンポポがきれいに食い尽くされているらしい。

その戦績から種付けには恵まれたが、その後は先細り傾向となり、2010年代以降は大物と言える産駒を産み出すことはできなかった。社台で種付けした初動3年間の産駒の競走成績が芳しくなかったことから日高へ移籍(種牡馬としては2軍落ち)したことによるが考えられるが、結果的に日高へ移籍した直後から社台時代に生産したが活躍し始めるという皮な巡り合わせがあったことが、2010年代産駒成績の低迷に繋がってしまったと言えよう。しかしながら3世代ジャパンカップを制したスクリーンヒーローを輩出したことで、サイアーライン2020年代に入っても繋がっている。産駒傾向としては熟かと思うと忘れた頃に突然勝ち出したり、いきなり走したりするようながそこそこいた。如何にも彼らしい。中でも息子アーネストリー2011年宝塚記念において、因縁のスペシャルウィークブエナビスタを2着に下す形で勝利している。血は争えないものである。

2021年には、息子スクリーンヒーロー息子モーリス息子、つまりグラスワンダーの曾孫ピクシーナイトGIタイトルを獲得し、1984年グレード制導入後初となる子四代でのGI競走制覇を達成した。スクリーンヒーロー息子ゴールドアクター種牡馬入りしており、その脚の血筋が絶えることは当分なさそうだ。

2014年には、函館競馬場イベントスペシャルウィークと出席し、邂逅を果たしている。栗毛を見ると奮するスペシャルのため距離は離れていたが、当のグラスワンダーはっ気を出していた。

ちなみに、1999年アメリカで生まれアメリカで走ったグラスワンダーの全には Wonder Again の名が与えられている。遠い異の地でのこととはいえ、その念頭にグラスワンダーがあったことは想像に難くない。

血統表

Silver Hawk
1979 鹿毛
Roberto
1969 鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Gris Vitesse
1966 芦毛
Amerigo Nearco
Sanlinea
Matchiche Mat de Cocagne
Chimere Fabuleuse
Ameriflora
1989 鹿毛
FNo.12-c
Danzig
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
Graceful Touch
1978 鹿毛
His Majesty Ribot
Flower Bowl
Pi Phi Gal Raise a Native
Soaring
競走馬の4代血統表

クロスNearco 4×5(9.38%)、Native Dancer 5×5(6.25%)

上述の全Wonder AgainもガーデンシティBCH・ダイアナHとGⅠを2勝する活躍を見せており、その孫にはペガサスワールドカップターフ連覇などGⅠ3勝のColonel Liamがいる。

主な産駒

太字GI/JpnI優勝

2002年産

2003年産

2004年産

2005年産

2006年産

2007年産

2008年産

2010年産

関連動画

関連コミュニティ

 

関連項目

JRA賞特別賞
優駿賞時代 1973 ハイセイコー(大衆賞) | 1978 テンポイント(マスコミ) |
1982 モンテプリンス(ドリーム) | 1983 アンバーシャダイ
JRA賞時代 1989 オグリキャップ | 1993 トウカイテイオー | 1995 ライスシャワー | 1998 サイレンススズカ |
1999 グラスワンダースペシャルウィーク | 2001 ステイゴールド | 2004 コスモバルク(特別敢闘賞) |
2007 ウオッカメイショウサムソン | 2009 カンパニー | 2016 モーリス | 2020 クロノジェネシス
競馬テンプレート

脚注

  1. *出走までに麻酔が抜けきらないと物違反で失格になるため。レース中に負傷しても痛みをごまかして走らせる外道の不正を防止するためである。
  2. *グラスワンダーが東京を苦手としていたかどうかについては、いくつかの意見がある。的場騎手は「安田記念で苦戦した経験から東京競馬場嫌いになったのかもしれない」と精的な問題と見ていた。安藤勝己は「マクリを得意とする脚質が東京長い直線には向いていないのだ」と分析。太郎は「骨折で手前を変えるのが下手になったため左回りが苦手なのだ」としている。
  3. *前走で重賞勝利を挙げたものの注は薄かったメイショウドトウと、ファンは多かったがな勝ち阿寒湖特別だったころのステイゴールドが出走しており、今の視点だとなかなかのメンバーに見えるかもしれない。
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最終更新:2024/04/23(火) 22:00

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