サッカーポルトガル代表とは、ポルトガルサッカー連盟(FPF)によって編成されるサッカーのポルトガル共和国の代表チームである。ユニフォームは国旗の赤・緑を基調にしていてホームはシャツが赤でパンツが白。愛称はセレソン・ダス・キナス。
サッカーのナショナルチーム | |||
ポルトガル代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | |||
協会 | FPF | ||
大陸 | UEFA(ヨーロッパ) | ||
FIFAコード | POR | ||
FIFA加盟 | 1921年 | ||
監督 | ロベルト・マルティネス | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 8回 | ||
最高成績 | 3位(1回) | ||
UEFA欧州選手権 | |||
出場 | 8回 | ||
最高成績 | 優勝(1回) |
人口1000万人程度の国でありながら、優秀な選手を数多く輩出する強豪国。バロンドールを獲得したエウゼビオ、ルイス・フィーゴ、クリスティアーノ・ロナウドを始め、パウロ・フットレ、ナニ、クアレスマなど個性的なドリブラーが非常に多い。また、マヌエル・ルイ・コスタやデコ、ジョアン・モウチーニョ、ベルナルド・シウバ、ブルーノ・フェルナンデスなど中盤の選手もよく輩出している。
国内リーグでブラジル選手が多くプレーしていることから、デコやペペなどブラジル出身の選手が帰化して代表入りすることも多い。
近年では強豪国というイメージが強いが、FIFAワールドカップでの最高成績は1966年大会の3位であり、ベスト4以上は2回のみ。長らく無冠の状態が続いていたが、EURO2016の優勝が歴史上初めて獲得したタイトルであった。また、2019年にはUEFAネーションズリーグの初代王者となっている。かつては国際大会の予選で負けることが多く、ワールドカップやEUROの常連国となったのは21世紀になってからである。
初試合は1921年。国内リーグは早くから盛り上がりを見せていたが、代表チームにはなかなか還元されず、他のヨーロッパの国々と比べると出遅れていることは否めなかった。
FIFAワールドカップの初出場となったのは1966 FIFAワールドカップ・イングランド大会だった。このときのチームには前年にバロンドールを獲得し、ベンフィカの黄金期の立役者となったエウゼビオを擁していた。グループリーグでは、大会連覇中の王者ブラジルを相手に勝利するなど3連勝を飾る。エウゼビオは前評判通りの得点力を発揮し、準々決勝の北朝鮮戦では0-3でリードされた状況から4ゴールを決め、逆転勝利をもたらし、ベスト4進出を果たす。準決勝で開催国のイングランド相手に敗れるが、3位決定戦ではソ連相手に勝利し、最終的には初出場ながらも3位という好成績を残す。エウゼビオは6試合出場で9得点を記録し、得点王を獲得。しかもノーゴールに終わったのは初戦のみで、第2戦以降は3位決定戦まで5試合全てでゴールを決める圧巻の活躍ぶりだった。
しかしその後は予選敗退が続いて国際大会に出場できず、次に脚光を浴びるのは1980年代に入ってからだった。EURO1984においてUEFA欧州選手権初出場を果たす。グループリーグでは西ドイツ、スペインという強豪相手に引き分けると、第3戦のルーマニア戦で初勝利を挙げ、スペインに次ぐ2位で決勝トーナメント進出を果たす。準決勝では開催国のフランスを相手に激闘を繰り広げ、1-1で迎えた延長前半にルイ・ジョルダンのゴールで一度は勝ち越しに成功する。しかし、底力を発揮したフランスの逆襲に遭い、PK戦突入かと思われた延長後半終了間際にミシェル・プラティニの逆転ゴールを許し、力尽きる。
二度目のワールドカップ出場となった1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会では2年前のEUROのメンバーにパウロ・フットレが台頭したことで期待が膨むと、初戦でイングランド相手に勝利する。ところが、選手が協会に対して反旗を翻し練習をボイコットするという事件が勃発。その影響もあってポーランド戦とモロッコ戦に連敗し、グループリーグ敗退に終わる。
1990年代に入ると、1989年と1991年にFIFAワールドユースを連覇した、ルイ・コスタ、ルイス・フィーゴ、ジョアン・ピント、パウロ・ソウザら黄金世代が代表の中核となる。EURO1996で初めてフル代表での国際大会に挑んだ彼らのサッカーは、「アコーディオン・システム」と呼ばれ、司令塔のルイ・コスタを中心に中盤での頻繁なポジションチェンジと華麗なパスサッカーを駆使し人々を魅了していた。グループリーグでは、前回王者のデンマークと初戦で引き分けるが、トルコ、クロアチアを倒し首位で通過。しかし、準々決勝のチェコ戦では中盤に才能豊かな選手を揃えながら、FWに決定力を持つ人材がいないという弱点が露呈してしまい、カウンター一発に沈んでしまう。
1998 FIFAワールドカップまだ若かった黄金世代の成長に期待がかかったが、ストライカー不在による得点力不足という問題を解決できず、1998 FIFAワールドカップ欧州予選では1敗しかしなかったものの2位ウクライナに勝ち点1及ばず3位に終わり、予選敗退となる。
EURO2000では、足りなかった最後のピースだったFWにヌーノ・ゴメスが台頭。この年のバロンドールに選ばれたフィーゴの圧巻のパフォーマンスもあり、ポルトガルは躍進を遂げる。イングランド、ルーマニア、ドイツという厳しいグループに入りながらも3戦全勝でグループリーグを突破する。準々決勝のトルコ戦をヌーノ・ゴメスの2ゴールで制し、1984年大会以来となるベスト4進出を果たす。準決勝では黄金期にあったフランスを相手に互角の戦いを見せるが、最後は延長戦でジネディーヌ・ジダンにPKを決められ敗れる。このPK判定に対してポルトガル側は猛抗議をおこない、大会MVP級の活躍を見せたフィーゴは憤慨してPKを見ずにピッチを去り、執拗な抗議を続けたヌーノ・ゴメスには、大会後に8ヶ月の出場停止という重い処分が科せられた。
1986年大会以来3度目の出場となった2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では優勝候補に挙げられていたが、初戦のアメリカ戦で前半に3点を奪われ黒星スタートとなる。続くポーランド戦をペドロ・パウレタのハットトリックで制し望みを繋ぐが、最終戦では共催国の韓国を相手に0-1で敗れ、よもやの最下位でグループリーグ敗退という失望感の残る大会となった。
2003年に前年のワールドカップでブラジル代表を優勝に導いたルイス・フェリペ・スコラーリが監督に就任。開催国として出場したEURO2004では開幕戦でギリシャに敗れると、大幅なメンバーの入れ替えを敢行し、クリスティアーノ・ロナウド、デコ、リカルド・カルヴァーリョら新戦力が黄金世代に代わって主力となる。すると、チームは見事に蘇生し、ロシア、スペインに連勝しグループリーグを首位で突破。準々決勝のイングランド戦は、延長戦に両チームが1ゴールずつを奪う激闘となり、PK戦ではGKリカルド・ペレイラの素手でセーブした直後に自らキッカーとして成功させる活躍ぶりによって勝利する。準決勝はクリスティアーノ・ロナウドのゴールでオランダを破り、フル代表の国際大会では初の決勝進出を果たす。しかし、決勝では開幕戦に続いてまたもやギリシャに敗れ、初タイトルはお預けとなり、試合後クリスティアーノ・ロナウドは人目をはばからず号泣した。それでも新たな時代への一歩を刻んだ大会となった。
2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会では、一度は代表を引退していたフィーゴが復帰し、ベテランと若手が融合したバランスの取れたチームとなる。グループリーグでは難敵メキシコ相手に勝利するなど3連勝で決勝トーナメント進出を果たす。ラウンド16のオランダ戦はイエローカード16枚、レッドカード4枚が提示される大荒れの試合となったが、前半のマニシェのゴールを守り切り勝利。準々決勝のイングランド戦はウェイン・ルーニーの退場で1人多くなったアドバンテージを生かせずPK戦まで持ち込まれるが、GKリカルドが3人をセーブする大活躍を見せ、1966年大会以来40年ぶりとなるベスト4進出を果たす。準決勝ではジネディーヌ・ジダンのPK一発によってフランスに敗れ、3位決定戦でもホスト国ドイツを相手に完敗。エウゼビオの時代を超えることはできなかった。この大会を最後にフィーゴが代表を引退。
EURO2008では、エースのクリスティアーノ・ロナウドが徹底マークによって苦しめられるが、グループリーグではトルコ、チェコ相手に連勝し首位で通過。準々決勝では2年前のワールドカップで敗れたドイツとの再戦となるが、またも敗れベスト8敗退となる。大会後、チェルシーFCの監督に就任するためスコラーリが退任する。
スコラーリの後任としてかつて黄金世代をワールドユース連覇に導いたカルロス・ケイロスが就任。しかし、2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会ではスペインに敗れてベスト16、EURO2012では2大会ぶりのベスト4進出を果たしたが、またもスペインに延長PK戦の末敗れ、レアル・マドリードで世界最高のスコアラーに進化したクリスティアーノ・ロナウドを擁しながら結果を残せない大会が続き、ケイロスは失意にままEURO2012予選の途中で解任となる。
2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会は、ドイツ、ガーナ、アメリカと同居するいわゆる「死の組」を戦うことになった。だが、初戦のドイツ戦でチーム力の差を見せつけられ、0-4という屈辱的な大敗を喫してしまう。続くアメリカ戦も試合終了間際のヴァレラのゴールで追いつき、辛うじて引き分けに持ち込むが、低調な戦いぶりに国内では批判が大きくなっていた。第3戦のガーナ戦でようやくクリスティアーノ・ロナウドにゴールが生まれ、初勝利を挙げたが、初戦の大敗が大きく響いて3位となりグループリーグ敗退に終わる。
ブラジルW杯後もパウロ・ベントが監督続投となったが、EURO2016予選初戦で格下アルバニアに敗れたことで解任となり、フェルナンド・サントスが監督に就任。フェルナンド・サントスは守備を重視した手堅いサッカーに舵を切り、デンマーク、セルビアという難敵を抑え、首位で本大会出場を果たす。
フランスでの開催となったEURO2016本大会では、グループリーグは比較的楽な組み合わせになったと思われたが、ハンガリーとアイスランドの予想以上の健闘もあって3引き分けで3位という薄氷を踏む思いで決勝トーナメントに進出する。それでもラウンド16のクロアチア戦を延長戦の末に勝利すると、準々決勝ではポーランドにPK戦の末に勝利。なんと一度も90分での勝利がないままベスト4へ進出するという珍記録を作り出す。準決勝ではウェールズ相手にクリスティアーノ・ロナウドの1ゴール1アシストで勝利し、3大会ぶりに決勝進出。そして決勝では地元フランスと対戦。前評判ではフランス有利と見られる中、前半にクリスティアーノ・ロナウドが負傷交代するアクシデントに見舞われてしまう。それでも、負傷退場後もベンチから時にはタッチライン際まで出てまるで監督のようにチームに檄を飛ばすクリスティアーノ・ロナウドの姿に選手は奮闘。そして、0-0で迎えた延長後半3分に途中出場のエデルが決勝ゴールを決め、ポルトガルにとって悲願であった初のビッグタイトル獲得となるUEFA欧州選手権初優勝を達成する。
欧州王者として出場したFIFAコンフェデレーションズカップ2017では、グループリーグを首位で突破したものの、準決勝のチリ戦はスコアレスのまま突入したPK戦で3人全員が失敗し敗戦。3位決定戦では延長戦でメキシコを下し、3位の座を確保する。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会は、欧州王者として優勝候補の一角に挙げられていた。初戦で早くもスペインとの注目の対戦が実現するが、クリスティアーノ・ロナウドのハットトリックの活躍もあって3-3の引き分けに持ち込む。その後の2試合を1勝1分で終え、スペインに次ぐ2位で決勝トーナメントに進出する。しかし、ラウンド16ではウルグアイに0-2で敗れ、ベスト16敗退。前年度バロンドールのクリスティアーノ・ロナウドだったが、「バロンドールの呪い」に抗うことはできなかった。
新たに創設されたUEFAネーションズリーグ2018-2019では、グループA3を首位で突破し、決勝ラウンドでは準決勝でスイスを決勝でオランダを撃破し初代王者に輝く。EURO2020では、ドイツ・イングランドという優勝候補3チームが集まった死の組を1勝1分1敗の3位で突破するが、ラウンド16でベルギーに敗れ連覇を逃す。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では、初戦のガーナ戦に勝利すると、第2戦では前回大会で敗れたウルグアイを相手にブルーノ・フェルナンデスの2ゴールによって勝利し、雪辱を果たすと共に2試合で決勝トーナメント進出を果たす。ラウンド16ではクリスティアーノ・ロナウドに代わってスタメンに抜擢されたゴンサロ・ラモスのハットトリックの活躍によって堅守のスイスから大量6ゴールを奪って完勝する。しかし、準々決勝では今大会大躍進を遂げたモロッコの勢いを止めきれず、敗北。最後のワールドカップであると表明したクリスティアーノ・ロナウドの夢は叶わなかった。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2024/04/25(木) 21:00
最終更新:2024/04/25(木) 21:00
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