ジェイソン・スタンリッジ(Jason Standridge、1978年11月9日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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ジェイソン・スタンリッジ Jason Standridge |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アラバマ州 |
生年月日 | 1978年11月9日 |
身長 体重 |
191cm 110kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1997年 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1997年MLBドラフト1巡目(全体31巡目)でタンパベイ・デビルレイズに指名され、契約し、2001年にメジャーデビュー。
2007年に投壊に悩んでいた福岡ソフトバンクホークスに入団。登録名は「スタンドリッジ」。当初はリリーフだったが先発陣にも故障者が出始めると先発に転向。ここから先発5連勝を記録しチームに大きく貢献した。
2008年は故障でほとんど投げられずオフに解雇された。この時チーム関係者である監督、コーチや打撃投手、トレーナーに挨拶に回るなど礼儀正しい性格であった。
2010年に日本復帰し阪神タイガースに入団。背番号55。登録名は「スタンリッジ」。当初は打ちこまれる場面が目立ち「スカタンリッジ」と呼ばれることもあったが、後半には安定感のある投球を見せ、自身初の2桁勝利を記録する。
2011年は中盤まで先発投手の核として活躍するも、8月頃から打ち込まれる場面が目立ち、2桁勝利は逃した。
2012年は1年を通して先発ローテーションを守り防御率2,69と優秀な成績を残すも、ダントツワーストの援護率1.98(常に防御率リーグ2位の野村祐輔と投げ合っている状態)と惨憺たるムエンゴから7勝12敗と大きく負け越した。
2013年も好投しながら相変わらずムエンゴが続き、援護率2.84はリーグで下から2番目の数字だった。リーグ3位の防御率2.74をマークしたにも関わらず、8勝12敗とまたしても負け越してしまう。オフ、惜しまれつつ阪神を退団。
ちなみに同年9月、13日の金曜日に先発登板し(シーズン56本塁打がかかっていた)ウラディミール・バレンティンを3打数無安打に抑え、勝利投手になっている。
2014年、6年ぶりに古巣の福岡ソフトバンクホークスに復帰した。登録名は阪神時代と同じ「スタンリッジ」のままとなる。
6月9日、甲子園球場での対阪神戦では3安打無失点でシーズン初完封勝利を挙げるとともに、史上16人目(外国人投手としては2人目)となる全球団勝利を達成。7月14日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)では3回裏にパ・リーグタイ記録となる1イニング3与死球を記録、その3つ目が危険球と判定され退場処分を受けている。
この年は11勝(8敗)を挙げ、阪神時代の2010年以来4年ぶりとなる2桁勝利を達成。
2015年はチーム最年長投手となる。外人枠の兼ね合いもあり、一軍と二軍を何度か行き来したが10勝をマーク。優勝に貢献した。オフにソフトバンクを退団し、千葉ロッテマリーンズに入団した。
2016年は開幕を一軍で迎え、先発で投げ続ける。4月24日のオリックス・バファローズ戦で日本通算1000投球回を達成。一時不調で二軍落ちもあったが、27試合に登板し、8勝8敗、防御率3.56の成績を挙げた。クライマックスシリーズ敗退後に現役引退を示唆し、ロッテに残る場合に現役続行すると表明した。
2017年1月5日にロッテに残留することが決まったが、この年は14試合の登板で4勝6敗に留まり、オフに自由契約となった。
通算:16年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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MLB:7年 | 80 | 9 | 1 | 0 | 3 | 9 | 0 | 6 | .250 | 127.1 | 74 | 80 | 89 | 82 | 5.80 |
NPB:10年 | 209 | 198 | 11 | 7 | 75 | 68 | 0 | 1 | .524 | 1210.2 | 388 | 844 | 496 | 445 | 3.31 |
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最終更新:2024/04/19(金) 20:00
最終更新:2024/04/19(金) 20:00
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