ドリフターズとは、 |
ドリフターズとは、昭和を代表するコミックバンド、コント集団である。正式名称は「ザ・ドリフターズ」、通称「ドリフ」。
現在でもベタで大袈裟な演出の笑いを「ドリフ」と形容されることもある、一つの金字塔を打ち立てた伝説のお笑いグループ。
メンバーは以下の6人が最もよく知られており、単に「ドリフ」と呼ばれた場合はこれを指すことがほとんどである。
代表番組は「8時だョ!全員集合」(TBSテレビ)、「ドリフ大爆笑」(フジテレビ)、「飛べ!孫悟空」(TBSテレビ)など。
ドリフターズ自体はメンバーを変遷しつつ1956年に日本を代表するウエスタンバンド「東京ウエスタンボーイズ」と「マウンテンボーイズ」という二つのバンドが合併して「サンズ・オブドリフターズ」という正統派のバンドとして誕生し、後の大物ミュージシャンが多く参加していたが、数々のメンバーチェンジの果てに、二代目リーダーである桜井輝夫の元で徐々にコミックバンド化して、1964年現在知られる形になった。
実質リーダー状態であったいかりや長介に不満を持った小野ヤスシらメンバーがクーデター状態でドンキーカルテットを結成して脱退、脱退に失敗した加藤茶と、急遽集められた高木ブー、仲本工事、荒井注によって現在のドリフの下地が出来上がる。 (いかりやはこの新生ドリフ結成時に正式に通算4代目のリーダーとなった)
ドリフ黎明期の活動の中で特筆すべきは、1966年に来日したThe Beatlesの日本武道館公演の際に前座を務めたことであろう。この時の映像が奇跡的に現存しており、彼らの初期の様子を窺い知ることができる貴重な資料となっている。ちなみに、このビートルズ日本公演を観に、当時高校生だった志村けんも武道館に赴いたそうであるが、志村が観に行った公演日は前座にドリフが出演しなかった日のため、惜しくもニアミスしたという逸話がある。
コミックバンドからコント集団に転じ、伝説のお笑い番組「8時だョ!全員集合」で人気グループの仲間入りをする。
しかし、1974年に荒井注が突然脱退。この時同じく辞めようとしていたが失敗した加藤の口添えで付き人だった志村けんが加入。数年のスランプを経て「東村山音頭」で人気が爆発し、第2の黄金時代を迎える。
ドリフ全盛期の人気は凄まじかった。特に加藤茶、志村けんはまさに子供たちのアイドル的存在であり、彼らの発するギャグを子供たちが真似するとしてPTAから「下品」と叩かれて問題になっていたほどである。
ドリフ自身によって、グループの歴史をコントにして見せている。
1985年に「全員集合」が終了して以降は徐々にそれぞれのソロ活動が活発化し、継続して放送された「ドリフ大爆笑」でも志村・加藤組といかりや・仲本・高木組に分かれてコントを収録することが多かった。
1990年代中頃から「大爆笑」で「全員集合」時代の舞台コントを再現するなどの活動を行い、彼らの笑いを見て育った後輩芸人たちの影響もあって再評価の機運が高まった。
2000年年始の富士フィルムのCMにおいて、田中麗奈と競演した「七福神」でいかりや・加藤・仲本・高木・荒井・志村の『6人ドリフ』が実現し話題となった。皮肉にもこれが荒井注生前最後のTVCM出演となった。
2001年のNHK紅白歌合戦でザ・ドリフターズとして初出場。
2004年のいかりや長介の死去により存亡が危ぶまれたが、その後もケーズデンキのTVCMで残された4人のメンバーが出演するなど細々ながら活動を継続。
2020年に志村けん、2022年には仲本工事も急逝し、2022年10月現在存命なのはかつて仲本工事と共に「こぶ茶バンド」という名義で活動もしていた加藤茶・高木ブーの2人である。
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最終更新:2024/04/25(木) 12:00
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